第47話 兄と弟

 次の日の朝。僕は久しぶりの王室が揃った朝食を迎えていた。

 メイドに迎えられて行った王室の食堂グレート・ホールでは奥行のある縦長のテーブルが存在感を放っていて、久しぶりに見たそれに懐かしさと呆れを覚えてしまった。


 上座にはもちろん父上と母上が座り、そして父上側には僕を筆頭に弟、ダイン兄上、王子達が並び、その次に第一側室の子のリリス姉上、そこからずらりと王女が並ぶ。要は王位継承権の並びだ。

 母上側にはリリス姉上を産んだ第一側室、その隣にダイン兄上を産んだ第二側室が続き、そこから第十側室までが座っている。こちらは単純に側室となった順番だ。

 僕が居ない五年の間にまぁ側室もその子供も増えていること。正直「お前は誰だ」と言いたくなるくらいで、向こうも向こうで色々な視線を向けてきていた。

 幼い子供は素直に好奇心の視線だが、側室や多少大きくなっている子供は微妙な目で僕を見ていた。まぁ五年もの間ここに居なかった王太子だからね。

 正直弟とダイン兄上、リリス姉上くらいしか絡んだことはないので後は義母や兄弟と言う感じはしない。


 さて久しぶりの王室の朝食だが、これが非常に堅苦しい。

 僕が屋敷で食べる時は一人で何人もの使用人に囲まれて食べているだけなので静かなのは当然だが、これだけ大勢が一緒に食事をしていても食器の物音が殆どしない、無言の空間と言うのは一度外の世界を知った身からすると違和感が凄い。

 音を立てているのは幼い子供達だけで、父上や母上、僕や弟、ダイン兄上、リリス姉上、そして側室達は全員食器の物音一つさせない。

 昔は普通だったこれも久しぶりだと少々不気味に感じる。全く食事を楽しめない。無性に斡旋所の食堂が恋しくなった。

 それからして、ようやく短くも長かった食事が終わり、全員に紅茶が行き渡ってから父上が口を開いた。


「皆も知っていようが、此度の戦ではクロイツが多大な功績を残した。またその前はダインが特殊個体の魔獣を討伐して名を揚げた。二人共、誠大義であった」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 弟とダイン兄上の言葉に全員が拍手する。


「まだまだ余は王として君臨するが、その後を継ぐ者達が育ってきていることは誠喜ばしい。まだ幼い王子は兄二人に負けず、そして王女はその名に恥じぬ教養と美しさを持つよう励め。特にリリスはラディッシュ辺境伯嫡子との婚姻が迫っておる。そのことは努々ゆめゆめ忘れるで無いぞ」

「はい、父上」


 え、何それ知らない。いや知るわけ無いんだけど。


「お主もだダイン。腕があることは此度の討伐で証明した。なれば婚姻もそう遠い話では無い。強くなること、賢くなること、それに加え妻を迎える者としての心構えを覚えておくことだ」

「はい、父上」


 いやそれも知らない。知るわけないんだけどそうなんだぁ……

 父上がそう遠い話では無いと口にしたと言うことは、恐らく後ろではもう内々にその相手は決まっているだろう。もしくは僕が知らないだけで婚約者がいるのかな。

 こう考えたら、僕達って大きくなっていたんだなぁ、ってつくづく思わされる。

 そんな中で、僕は弟の表情が曇っていることに気がついた。今の流れに何か思うことでもあったのだろうか。僕とは違って知っていたと思うんだけど。


「では言うことはこれまでだ」


 そう言って、父上は母上を連れて王室の食堂を出て行った。


 さて、と僕は一人立ち上がる。

 こう言った王室が集まった場を辞する時は順序があり、基本的には偉い人順になる。

 国の頂点である国王と王妃が最初に出て行き、その後に続いて王太子が出て行く。更にその後を王子が出て行き、側室が出て行き、最後に王女が出て行く。

 この中で国王と王妃、そして王太子だけが別格だ。つまり僕が出ていかないと他の誰も立ち上がることは出来ない。

 メイドに連れられて王室の食堂を出て行く。その最中、向けられてくる視線は酷く馴染みのあるものだった。


 第一王子と第三王子がお褒めの言葉を貰う中、何も言われることが無い王太子。なのに最初に部屋を出て行く王太子。何も出来ぬのに王太子を冠するカー=マイン王子。


 五年前まで毎日のように浴びていた視線に一瞥すること無く、僕はその場を辞した。



 ※



「励むな」

「兄上」


 王族だけが使える鍛錬所。そこで弟が一人剣を振るっていた。

 その剣筋は見事なもので、ジャスパーとして活動している僕でも目を見張るものがある。恐らくはエルドレッドやロメロと戦っても遜色無いだろう。

 冒険者の実力等級に当てはめれば確実に5はある。足りないのは実践に於ける経験だろうけれど、弟には間違い無く才能が有る。能力値とは上昇しない者はどれだけ訓練しても上昇しない。上昇すると言うことは、それだけで素質があると言う証明なのだ。

 今目の前で見た弟の動きは、五年前とは比べ物にならない程の鋭さがあった。


「良い剣捌けんさばきだ。流石だな」

「まだまだ未熟の至りです。此度の戦で更にそれを思い知らされました。教師となる相手も、どれだけ加減をしてくれていたのか良く分かりました」

「訓練と殺し合いは違うからな。まぁ当然だろう」

「兄上はそれをなされたことがあるのですか?」

「いや、無いさ。殺されそうになったことならあるがな」

「え?」


 小さい頃から、僕は何度か暗殺されそうになったことがある。たまたま弟は知らなかった場面だし、王太子が暗殺されそうになった事実など決して広まらない。そう言う状況になった、と言うだけで何人もの護衛達の首が飛ぶからだ。そして巻き添えを食らうことを恐れる者もまた口を閉ざす。


「まぁ気にするな。済んだ話だ」

「今ご無事ならそれで私は良いです」

「はは。ありがとう」


 弟の側に立って、僕は周囲を見渡した。


「懐かしいなここも」

「ええ。昔はよく兄上とも励みました」

「お主に叩きのめされた記憶しかないがな」


 はは、と笑う。でも、それは事実だった。

 僕はどれだけ鍛錬しても全く上達しなかった。弟やダイン兄上と試合をする度にぼこぼこにされていた。時には文字通り瀕死の状態になることだってあった。何せ生命力も精神力も無い上に頑強等級値と精神耐性等級値も最低値だったのだ。思わぬ一撃をまともに食らっただけで魔典医がすっ飛んで来ていた。


 その度に弟は謝罪と心配をくれたが、ダイン兄上は侮蔑の視線をくれたものだ。虫けらを見るようなあの瞳、今でも思い出せる。


「兄上の凄さはそう言った部分ではありませんでしたから」

「強くなければ意味は無いさ」

「そうかも知れませんが、少なくとも私にとって兄上は強い人でした」

「ロイ、身体を鍛える前にもう少し人を見る目を鍛えた方が良いぞ」

「それは流石に酷いです」


 二人して笑う。まるで昔の光景の中、二人の姿だけが大きくなったようだ。


「ロイ。先程王室の食堂で元気が無かったが具合でも悪いのか?」

「ああ……兄上には分かりますか」

「うむ」


 多分誰でも分かると思う。特に僕達の両親は。


「……此度、私は兄上から譲って貰う形で勲功第一等を手に入れました」


 僕は咄嗟に小さな【闇の部屋ダーク・ルーム】を張った。僕達の周りには少し離れたところに護衛兵とメイドが居るからだ。


「お主の手にしたものは本物だ」

「いえ、紛れも無く兄上のものです」


 弟は力無く首を振った。


「ダイン兄上は自分の力で魔獣を狩り、そして婚約者がいます。リリス姉上もまた、夫人として城を出て行きます」

「そうだな」

「何だか、私だけが成長していないように思うのです」

「ふむ」


 成長してない、か。


「特に此度兄上の姿を見て思いました。私は何も変わっていないと」

「つまり私は変わっていたと?」

「いえ、兄上も何も変わっていません。兄上は昔から凄い人でした。今回それが表に出てきただけです。だからこそ、私は何も成長していないと思うのです」

「ふむ……」


 少し支離滅裂な言葉だが、今回自分が何も出来なかったこと。だが兄上と姉上はそれぞれの勤めを果たしているからそう感じるのか。

 王子にとって名を揚げることと妻を娶ることは立派な勤めであり、王女にとっては妻となり他家との繋がりを強くすることもまた立派な勤めだ。

 そう言う意味では確かに弟は名を売ることも出来ておらず、また婚約者すら居ないのだろう。置いていかれている感覚があってもおかしくはない。


 だが実際には今回の戦の手柄は最早誰が何と言おうと弟のものとなっているし、多分婚約者などに関しても、弟に言ってないだけで後ろの方では色々話が進んでいると思う。

 王太子であったとは言え、僕なんて産まれて間もない頃に婚約者が決まっていたのだから。王位継承権第二位の弟に未だ本当の意味で婚約者が居ないなんて考えられない。一つだけもしかしたらと言う理由もあるけれど、まぁ無いだろう。


 それでも弟からすれば今自分が感じているものが全て。きっと、あの戦で負った心の傷が先程の場で開いたのだろう。自分は何と駄目な王子なのだろう、と。

 でも、僕はそうは思わない。


「なぁロイ。久しぶりに剣を交えぬか」

「え?」

「真剣ではなく木剣だ。とうの昔に師事する者もおらぬでな。兄に付き合ってくれ」

「ええ、それはもちろん構いませんが」


 そう言って、僕は護衛兵に木剣二つを持って来るように指示した。持ってこられたそれを弟と持ち、対峙する。


「さて。今更私が基本を習っても仕方無い。私が打ち込むからそれをいなすなり交わすなりしてくれ。無論攻撃もしてくれて良い。でないと意味が無いからな」

「はい、兄上」


 擬態ではなく、僕は本当に全ての能力等級値を1に落としてから全力で襲いかかった。今まで出来ていた筈の動きが出来ない気持ち悪さを感じながら、まるで大人と子供の戦いを演じる。実力差は幼い子供と鍛え上げられた騎士くらいにはあるだろう。周りで見ている護衛兵やメイドは、きっと僕の無様を改めて目にしていることだろう。


「あっ」


 そうして案の定、僕は弟の一撃を袈裟に食らいその場に倒れ込んだ。

 恐らく弟は本当に軽く打ち込んだのだろう。ただ、その軽くですら頑強等級値が最低な僕を沈めるには十分な威力を持っていただけで。


「大丈夫ですか兄上!」


 激痛が全身を駆け巡る。生命力はまだまだ十分あると言うのに命の危機を覚えるこの痛み。久しぶり過ぎて忘れていた。精神耐性が低いとこんなにも“耐える”と言うことが出来ないものなのか。


 背筋に寒気すら感じながら、僕は近寄って来た弟の顔を見上げ、確実に折れている肩に手を置いて無理矢理に笑った。


「見よ、ロイ。お主は強い。先の戦で最もの功を上げたとされる私なぞよりも余程に素晴らしいものを持っておる。言ったな。お主は偉大なる国王陛下と王妃陛下の血を頂いておる。ひいてはザルードの血もだ。なら私に出来てお主に出来ぬ道理は無い。私よりも優れたお主が卑屈になることは無いのだ」

「兄上……」

「お主がもし、それでも苦悩を覚えるならば私を恨め。不甲斐無くも弟にその役割を押し付けることしか出来ぬ兄を恨め」


 そう、王太子として産まれたにも関わらず一切の力を持たなかった僕。力に目覚めてもそれを自らの為にしか使おうとしなかった僕。

 今だってそう。僕はこうして王城に居るのに、この力を明かそうとしていない。

 僕の胸の内には、今も初めて魔術を創造したあの日の思いが渦巻いている。これがある限り、僕は父上にも母上にも、弟にもお祖父様にもこの力を打ち明けることは出来ない。


 だから、こうして弟が苦しんでいるのは紛れもない僕にこそ理由わけがある。


「いいえ、いいえ。兄上は私の最も誇りに思う兄上です」

「で、あれば、だ」


 僕は痛みを必死に耐えて笑う。冗談抜きの痛さに脂汗が出てくる。正直地面に転がりたい。けれどそんなこと出来てなるものか。


「お主が誇りと思う私が、何よりお主を誇りに思うておる。落ち込む必要なぞ無いのだロイよ。お主はただ立って、前を向き、歩くだけでよい。それだけで必ず誰もが認めるに相応しい存在となる」

「兄上……」

「それでももし、また此度のように疲れてしまった時は私を呼べ。私でよいなら幾らでも手を貸そう。何故なら私はお主の兄であるからな」


 そして弟は僕にしがみついて泣き出した。

 僕が咄嗟に護衛兵やメイド達を睨みつけると、彼らは目を背けた。そんな彼らの様子を尻目に、僕は弟の頭を撫でた。

 弟よ。お世辞抜きにお前なら父上やお祖父様のような立派な者になれるさ。断言してやる。

 そんな思いを抱えながらこの瞬間、自分の都合とは別の理由で、僕は王位継承権を弟に譲ることを心に決めた。


 そこでふと昔を思い出した。ここで弟と一緒に鍛錬をしていた時のことだ。

 ある日手加減を間違えた弟の木剣によって僕は骨を折って倒れたことがある。正に今みたいな状況だ。その時もやはり、攻撃した側の弟が大泣きして大変だった。

 何だか今のこの瞬間があの時のようで、僕は笑ってしまった。

 こう言うところだけは確かに変わってないのかもな、ロイ。

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