第46話 凱旋と論功行賞

 ようやく戦後処理も落ち着き、周辺に斥候を放ったり多方面軍の戦況を確認する程度しかやることが無くなった頃、ようやく父上からの指示が届いた。


 帰参の指示が出たのは僕と弟、僕の近衛隊と直属兵、そして弟に付けられていた常備軍だ。予想通りと言えば予想通りだが、まだ入れ替わりの貴族などは来ていないのに良いのだろうか。お祖父様が戻って来てくれたとは言え、まだ兵数は減ったままなんだが。と思ったけれど、指示書にはどうも全体的に敵の攻勢が無くなってきていることも記されていたので納得出来た。

 僕のところにも多少は情報が入っているものの、父上の方がやはり情報が早いし多いな。

 そんな訳で、交代の戦力が届くまではお祖父様を含め、貴族や騎士達は現状維持となった。


「ではザルード公爵。また帰参した時にでもな」

「ははっ。帰る道中、どうかご無事で」

「なぁにその時は素直に逃げるさ」


 お祖父様と笑いながら頷き合う。


「ザルード公爵よ、此度は助かったぞ」

「勿体無きお言葉。クロイツ殿下もどうぞお気をつけ下さいませ」

「うむ。感謝するぞ」


 弟がそう言って、僕達が乗る馬車は出発した。


 王城へ帰る間は特にこれと言ったことも無かった。

 帰る間僕らは馬車の中で昔のようにずっと語り合っていたし、眠る時も同じ場所で寝た。食事も一緒に取ったし、切れていた兄弟としての何かを取り戻す為にあるような時間だった。


 そうしてゆっくりした時間をかけて、僕らはようやく生まれた場所へと帰った。





「ではこれより、此度の戦の論功行賞の儀を執り行う」


 玉座の間。その中に響き渡る大臣の声によって、今回の戦の功績を称える時間が始まった。

 最前列には僕と弟が並んで跪き、その後方にはロメロやエルドレッドが居る。本来であればもっと多くの参戦者が並ぶものだが、今回彼らはまだ戦地に居る。なので、先達てせんだっての論功行賞の場が設けられたのだ。

 そもそも論功行賞とは戦争が終わってから行われるもの。現在はまだ初戦とも言える戦いが終わっただけでしか無い。事実お祖父様は戦場に残っているのだから。

 その上で行われると言うことは、各地に散らばっている敵軍を追い返すことに成功し、初戦が終わったと言う証明なのだろう。

 それにしても王城に帰参しての手早いこの論功行賞。思惑が透けて見える。


 称える者は玉座に父上、その隣に母上が座り、その下の段には側室やその子達がずらりと並び僕達を見下ろしている。準備されていた論功行賞の儀式とこの構図。その意図を理解して、難しいことになってるんだな、と眉を顰めたくなる。


 どうでも良いですがダイン兄上、そんな鋭い視線を送ってきても貴方に与えられるものは何もありませんよ。


「では先ずクロイツ・ル・カルロ=ジグル・アーレイ」

「はっ!」

「此度は一度の敗北はあれど、それを以て余り有る勝利をもたらしたことをここに称する。よくぞやった。大儀である」

「有り難き幸せ」

「次にカー=マイン・カラーレス・ジ・ガーランド・ル・カルロ=ジグル・アーレイ」

「はっ!」

「クロイツを支え勝利への大きな一因となったこと、誠見事である。よくぞやった。大儀である」

「有り難き幸せ」

「うむ」


 ここで僕は喉を鳴らした。論功行賞の儀とは、通常であれば名前とその功績内容を述べた後に、その功績の等級と褒美が取らされる。

 僕と弟が並んで名前と内容を述べられたと言うことは、僕と弟は同等級と言うことになる。あまり例の無いこれは、第一等を選ぶのが余程に難しい時にする。

 今回僕は指揮の功績は全て弟にあると報告していると言うのに。

 これを認める訳にはいかない。


「以上の功績を称え、二人を勲功第一等とする。褒美をこれに」

「はっ」


 そう言って、台盤だいばんに乗せられた褒美が大臣達の手によって僕らの前に持ってこられる。本当はこれを受け取って終わりなのだけど、弟がそれを手にしても僕は動こうとしなかった。


「どうしたカー=マイン」

「恐れ多くも、国王陛下に申し上げたき儀、御座います」

「申してみよ」

「はっ」


 隣から弟の視線を感じながら、僕は覚悟を決めてそれを言葉にする。


「此度の賞賜りますこと、誠恐悦至極に御座います。されど此度の賞、私には受け取る資格は御座いませぬ」

「何故だ。余は受けた報告を以て称しておる」


 いや嘘吐かないで下さい。他の貴族や騎士達がどう報告したか知らないけれど、少なくとも指揮を執った僕は「何もしてませんよー」と言う上奏文を差し上げた筈だ。

 だからこれは、他の人が報告したものを父上が利用しているのだ。

 何故父上が今更僕に勲章を与えようとしているのか。その理由は分からないけれど、僕はそれを受け取るつもりは無いし受け取る訳にはいかない。


「私が成したはクロイツより引き継いだ陣の守りを命じ、決戦に於いて突撃の号令をかけたのみ。戦に勝てたのは敵の攻勢を退け、また決戦にて敵を討ち滅ぼした者達にこそ与えられるものかと」

「褒美は褒美。指揮を執ったのであれば必要であろう」

「恐れながら。賞とは戦であれば軍を率いたもの、また手柄を立てた者にこそ与えられるものかと存じます。此度の戦、決戦にて勝利致しましたが、それはクロイツがその場を用意してくれていただけのこと。

 幾度と訪れる多数の敵兵や戦況の変化に対応し、それを配下の者に命じた采配があればこそ。その積み重なる下地があったこその勝利に御座います。

 指揮を執った褒美を賜る権利、その全てはクロイツにのみあるかと存じ上げます」


 そこで、一呼吸置く。


「重ねて申し上げます。私が成したことは、完璧に用意された陣に赴き、決戦の号令を命じた、ただこれだけに御座います」

「ではお主は戦に赴き、ただそれを眺めていただけと、そう申すのか?」

「お言葉通りに御座います」


 無音。一切の音を許さない静謐が玉座の間を支配する。僕は呼吸するのすら辛く、ただひたすらに頭を下げ続ける。

 ここで父上に「偽りを申すな」とお叱りを受けても構わない。ここは玉座の間。並ぶは王妃陛下を初めとした王室。大臣や宮廷貴族に父上の近衛兵まで居る。

 もしこんな場で偽りを口にしたと認められたならば、それこそ僕はこの場に相応しくないと追い出されるだろう。そしてその後は戦が始まる前から決まっていた王太子カー=マインの終わりだ。戦の勝利によって狂いかけていた僕の運命が元に戻るだけ。

 そうなれば勲功第一等は弟だけのもの。何も問題は無い。


 それから暫く経ち、ようやく父上が口を開いた。


「あい分かった。では此度の勲功第一等はクロイツだけとする」

「有り難きお言葉」


 僕は何とか過ぎ去った苦難に小さく息を吐いた。隣から強く伝わってくる視線は見ない。

 そんな中で、儀式は続く。


「では続いてロメロ・プラム」

「はっ!」

「エルドレッド・マルリード」

「はっ!」

「そなたらは此度の戦、多数の敵兵を屠り勝利に多大なる貢献をしたことをここに称す。以上の功績を以て二人を勲功第二等とする。褒美をこれに」


 僕達に続いて第二等も二つ並び。これも多くはないが、無いことも無い。例えば二つの軍が同時に出陣して、両方の副将格が同じような功績を手にした時にこうなる。


 そうして二人が立派な剣と勲章を受け取って、とりあえず今回の論功行賞は終わりを迎えた。


「以上を以て此度の論功行賞の儀を終わるものとする。他はまた追って沙汰を出すものである」


 大臣のその言葉に、父上が立ち上がった。


「皆の者、大義であった」


 そう言って、父上と母上は専用の扉から去って行った。その後を王室が続き、更に大臣達が続く。完全に全員が去って行ったのを確認してから、僕は立ち上がった。この中で最上位である僕が立ち上がり玉座の間を出ないと誰も動けないのだ。


 それから兵に連れられて部屋に戻り、メイドが淹れてくれた紅茶を飲みながらこれ以上ないくらいにだらしなくしていると、扉の向こうからノックの後にロメロの声が聞こえた。


「王太子近衛隊隊長ロメロ・プラム、及び王太子直属直轄軍隊長エルドレッド・マルリードに御座います」

「入れ」


 体勢を直してから迎え入れると、二人は早々に跪いた。


「此度は王太子殿下のご威光により、恐れ多くも勲功第二等頂きましたこと、心より感謝申し上げます」

「感謝申し上げます」


 僕は苦笑しながら手のひらを振った。


「先程のやり取りを聞いていなかったのか? 私は何もしておらんよ。それより座れ」

『はっ』


 二人が立ち上がって椅子に座る。メイドに命じて紅茶を持ってこさせてから、口を開く。


「まぁあれだけ敵を屠っておれば第二等も当然であろうな」

「恐れ多いことです」

「誠に」


 そう答える二人は普段の明るい声色では無く、表情含めて硬く感じた。それに気づきながら、僕はいつも通りの口調で二人に声をかける。


「これでまた屋敷に戻ってゆっくり出来るだろう。お主達も訓練を休んで身体を癒すと良い」

「ですな。久しぶりに動くと気持ち良くも疲労が溜まりますな」

「そう言えばエルドレッド、お主歳は幾つなのだ?」

「二十九ですね」

「ロメロは?」

「二十七で御座います」

「二人共まだまだ若いではないか。むしろ体力有り余っておろう。ちょっと魔獣でも狩って来てくれぬか。それを肴に美味いワインで一緒に飲もう」

「そう言えば三人で飲むと約束しておりましたな」


 そこでようやく二人の顔に笑みが浮かんだ。そうそう、それで良いんだよ。

 僕も笑みを浮かべ、落ち着いた気分で背中を預けて紅茶を飲んだ。しかしまたすぐにロメロとエルドレッドの表情が硬くなる。


「王太子殿下……よろしかったのですか?」

「何がだ?」

「此度の戦の勝利、だれ――」

「そこまでだ。此度の戦、勝利はクロイツの采配があってこそ。私の功績なぞ髪の毛一本分も無い。よいな? 皆にもそう伝えよ」

「……御意に」

「畏まりました」


 返事をしながらも二人共納得のいっていない様子だった。普段僕の言うことには素直に従ってくれる二人にしては珍しいことだ。

 彼らの心のうちにどういった思いがあるのかは知らないし、知ろうとも思わない。僕のことを本当の主人だと思ってくれているからこその歯がゆさかも知れないけれど、僕はそれに気づかない振りをする。

 無言で紅茶を飲んでおかわりでも頼むかと思うと、またもや外から声がかかった。入室を許可すると、そこには父上の近衛兵の姿があった。


「王太子殿下、国王陛下よりお呼びに御座います」

「分かった。すぐに向かう」


 僕は言うと同時に立ち上がった。同席している二人もまた立ち上がる。

 そんな二人の目を交互に見つめ、僕は静かに言った。


「此度の戦は誠大儀であった。そして礼を言おう。これは王太子からの言葉であり、私カー=マインからの感謝の念だ」


 もしかしたらこれが最後の言葉になるかも知れない。だからこそ、僕は素直な気持ちを吐露とろした。

 開かれた扉から出ると、そこにはもう一人の近衛兵の姿がある。無表情に僕を見るその男を見つめ返し、小さく頷いた。


「案内せよ」

「こちらへ」


 そうして案内されたのは貴賓用の応接間。近衛兵の手によって開けられた扉をくぐると、そこには朗らかに微笑む父上と母上の姿があった。何故だろうか。その微笑みが酷く心に刺さるのは。


「座れ」

「はっ」


 父上の許しを得て下座に座る。しばしの無言。そのままで居ると、予め命じておいたのだろう、メイドが茶菓子を持って応接間へと入って来た。良い香りのする紅茶の注がれたティーカップを見つめていると、父上が口を開いた。


「此度のこと、ご苦労だったな」

「いえ」


 どういった言葉が続くかは流石に読めないが、本題は何か分かっている。

 僕は父上と視線を合わすことが出来なかった。だからこそ、逆にこちらから口を開くことにした。


「此度は父上の意に添えず、申し訳御座いませんでした」

「む? どう言うことだ?」

「戦に勝ってしまったことです」

「戦に勝って何故頭を下げる」


 心底疑問を含んだ父上の声。

 僕は視線をそのままに言葉を続けた。


「此度の戦、私が負けることを前提としていたのでは?」

「何?」

「父上は仰られました。王族の敗北は二度は許されぬと。自分が今出陣する訳にはいかぬと。それはつまり、私を戦地に向かわせ、私の敗北を以てクロイツの敗北を失くし、父上が出馬される理由を作るものかと」

「――待て」


 父上の焦った声に俯き気味だった顔を上げる。何か変なことを言ったかと思い逸らし続けていた視線を向けるも、しかしその顔はそもそも僕には向いていなかった。


「貴方様」


 その視線の先には、表情を消し去った母上の姿があった。


「今の話は誠ですか?」

「違う。そのようなことは無い。俺がそんなことをする訳が無いだろう」

「では今のカインちゃんの言葉は? 私が貴方様から聞いていた話とはまるで違います」

「だから落ち着けっ」


 父上の、国王としての服を脱ぎ捨てた姿がそこにあった。幼い頃には幾度か見て、もうとうに見ることの無くなった姿だった。

 そして違和感。僕の扱いだ。母上だって父上から聞いていた筈だし、納得の上だった筈だ。僕は母上からも見捨てられたと思っていたからこそ諦めがついていたのに、この様子は全く違う。これでは昔、僕のことで父上に激昂していたあの頃のようではないか。


「私は落ち着いております」

「ああ、落ち着いているな、だから話を聞け」

「ええ、聞かせて下さいませ」

「うむ。ただ待て。その前にちとカインと話をさせよ」


 小さく母上が頷くのを確認してから、父上は僕を見た。そして大きく溜め息を吐いた。


「カイン、お前はどうしてそう思った?」

「先ず、何の役にも立たぬ私が戦に送られる理由が無いこと。父上や母上の前で言葉にするのは憚られますが、私は周りが陰で言うように、子供にも負ける程の無能者です。でありながら、幾らクロイツが戦に負けたとは言え、赴く理由には足りぬと言う考えに至りました」

「うむ。それで?」

「そこで父上から頂いた先の言葉です。私は未だにご温情により王太子を賜っておりますが、その実は中身の無いもの。このまま意味も無く生き長らえさせるくらいならば、せめてクロイツと国の為に散れと命じられたものかと。これであれば、無能な王太子は消せる上、父上が出陣し戦にも勝利出来ると。私はそう納得致しました」


 それを聞いて、父上は額に手を置いて俯いてしまった。母上は両手で顔を覆って泣き出している。

 これは……どうやら僕の早とちりだったようだ。父上だけなら分かるが、母上はそんな演技が出来る人では無い。


 父上は腹の底から吐き出すような溜め息をした。


「なるほど。言いたいことは分かった。だが違う。俺がそんなことに息子を使う訳無いだろうに。そんなことをすればサラに殺されるわ」


 サラ母上を見ると、まだ両手で顔を覆ったまま確かに頷いた。

 相変わらず父上は母上には勝てない様子だ。


「確かにお前にはそう言葉にした。だがあれはあくまでも現状を説明しただけで、深い意味は無い」

「では」

「ああ。お前は気づいていただろう。ロイは碌に指揮が出来る状況では無かった。付けた王国軍隊長ゼギルも、一切助言が出来ないと言う状況もな。これも通過儀礼と見守っていたが、あの大敗でそれが最悪な状況であると分かった。そしてこれ以上はロイだけではどうしようも無いこともな」


 そこで父上は紅茶を飲んだ。


「だからお前とジードを送った。報告ではロイは心身共に憔悴しきっていたと言う。よって無理を通す形でお前を送ることを決めた。お前が行けばロイも気が安らぐと思ったからだ。あいつは昔も今も、お前のことを異常な程に慕っているからな。お前に念を押したのは純粋に助けてやれと言う意味だった。言葉が足らず仕舞いだったがな」

「……そうですか」

「ああ。ジードを送ったのは戦力と言う意味もあったが、ロイの盾になる為だな。あやつがおれば確実に貴族の声は防げる上、何よりロイの味方となるものが増える」

「そう言うことだったのですか」

「うむ。他にも無いとは言わんが、まぁそれだけだ。ただそれは少し遅かったようだがな。ロイは倒れ、指揮権はお前に移った。更に最悪なのがジードが他の場所に援軍に行ったことだ。あれには流石に頭を抱えそうになったわ」

「抱えてらしてましたよ」

「え?」

「寝床で天蓋てんがいを見ながら頭を抱えて延々と悩んでいたではないですか」

「……まぁ、で、そんな時に送られたお前の状況報告と指示願いだ」


 母上の指摘に、気を取り直すようにして父上が言う。


「はい。正直あの返書に記されていたことも、私の敗北を前提にしていると思ったことでもありました」

「そんなこと書いたか?」

「『責を全うせよ』と」

「そうか……今後は使い方を気を付けよう」


 はぁ、と先程から父上は溜め息ばかり吐いている。


「あの責と言うのは、お前の手紙よりも早くに状況の知らせがあったからだ。そこでお前の貴族への対応の仕方を知り、これなら他の戦地からの合流まで耐えられると判断した。そう言う意味でお前のやりたいようにやれ、と言ったつもりだったんだがな」

「なるほど」


 あの全て任せるって言うのは、つまり自由にしろという認可だったわけだ。僕の先入観が中身を読み間違えてしまったのだ。これは素直に反省しなければいけない。


「まぁ正直に言おう。賭けではあった。一応俺も裏では急ぎで準備を進めていたが、出陣の準備と到着する進軍速度、距離から間に合わないのははっきりしてたからな。後はお前に託すしかないとな」

「はい」

「そしてお前は勝った。しかもロイの大敗なぞ吹き飛ばすくらいの大勝利を齎せた」

「……」


 それに対して僕は無言だった。玉座の間とは違いここでは建前は要らない。かと言って、自分の功績を口にするつもりも無い。


「お陰でロイは名のそしりを避けられた。何せ功績が功績だ。知っている者から広がることもあろうが、その場で指揮を執っていたお前がロイに全ての功績があると口にしている以上誰も何も言えん。俺も玉座でそれを認めたから余計にな」

「はい。その件に関しましては感謝を」

「だが、お前は本当にそれでよいのか? あの勝利を持てば無能と言う声は殆ど消えることだろう」


 僕は首を振った。


「この国では、上に立つ者には二つの要素があると思います。武と指揮。このどちらが欠けても人の上には立てませぬ。私が無能なのは変わらぬまま。例え指揮があろうとも、武が皆無である以上、誰もが陰でまた何かを口にしましょう」

「聞けばお前、騎士の首を鎧袖一触に刎ねたらしいな。近衛を振り払う程の巧みな馬術で地を駆け矢を跳び、敵陣を駆け巡ったとも聞く」


 父上の視線が鋭くなる。

 聞かれるのは予想出来ていた。けれど、別に動揺することでは無い。


「兵を鼓舞する為には前に出ねばなりませんでした。ですから必死に前に駆け、死に物狂いで生を求めただけのこと。騎士の首を刎ねたのもそんな中で得た奇跡。馬術に関しては父上から賜った国内最優の愛馬。何を言わずとも私の願いを叶えてくれました」

「……まぁ、お前が言うならそうなのだろうな」


 訝しげにしながら父上は頷いた。まだ疑念自体はあると思う。聞けばあの騎士、結構有名な名前だったらしいから。無能が偶然でそんなの倒せるっていう方がおかしい。僕が父上の立場なら当然疑う。


「ただ、試しに見せてもらう」


 そう言って鈴を鳴らした父上は、入って来た兵にある物を持ってこさせた。


「これは……」

「ああ、個体情報証明版ヴィジュアル・レコード・コピープレートだ」


 低いテーブルの上に置かれたのは、王侯貴族全ての人が一度は使うであろう、他者の個体情報を表示するプレート状の魔道具だ。これを見るのは五年ぶりになるだろうか。

 僕がこれを使用したのは過去二回。五歳と十歳の時の行った能力検査の時だ。二回目の結果が出たことが理由で、僕はあの屋敷に療養することが決まったのだ。色々な意味で忘れられない魔道具だ。

 ちなみに『コピープレート』と言いながら、これの大きさは冒険者複製証明証アドベルコピーカードよりも遥かに大きかったりする。

 

 それを見た僕は僅かに目を見開き、そして内心で微笑んだ。

 先程の指摘同様、これが持ってこられるのは予想していた。そして期待もしていた。正に期待通りの流れだった。でなければ自分から言い出していたから。


「さぁカイン、手を当てろ」

「はい」


 僕はゆっくりと手を差し出しながら、心の中でそっと呟いた。

個体情報隠蔽マナ・ヴェイル】と。


「……そのままか」


 それを見た父上は納得がいかなそうにしつつも、確かに頷いた。

 テーブルの上の個体情報証明版には、僕が成人になる前の能力値が映し出されている。【個体情報隠蔽】と言う技能が個体情報証明版に通用することは過去二回、僕ですら知らぬ間の使用で立証されていたから成功する確信があった。

 【個体情報隠蔽】は個体情報ヴィジュアル・レコードを隠すものでは無く覆うもの。その覆ったところに表示されているものが今、個体情報証明版には映し出されている。


 そもそも個体情報とは金の神が人に授けた、己を映し出す技能とも言われている。これに表示されているものは金の神の言葉であり、またその者のありのままの姿でもある。だからこそ、表示されている僕の能力値が疑われることは無い。


 この世界、他人の個体情報を見る術は個体情報証明版のような魔道具を使うしか方法が無い。僕が【透魂の瞳マナ・レイシス】でそれを可能としているのは、恐らく金の属性値が6-7と言う英雄級の値だからだろう。

 金の属性は使い手自体が殆ど居ない。だからこそ、魔術で他人の個体情報を見る、そして自身の個体情報を隠蔽するという発想自体が存在しないのだ。

 では個体情報証明版はどこで手に入るのか、と言うことについてはまたいずれ語ろうと思う。


 さてそんな訳で、例え僕が誰の前で何を成そうと個体情報が全ての答えであり証明。能力等級が最低値であり一切の技能が無い以上、あの決戦に於ける僕の全ては「偶然」、「運が良かった」、あるいは「理由は不明だが本人の力以外による結果」と言う認識で済まさざるを得ない。そうでないと理屈に合わないから。

 決戦時の僕の動きを詳細に知らされているであろう父上ですら、怪訝にしながらも無理やり自分を納得させている。あの決戦の場に居た者であろうとも、この個体情報を見れば確実に同じ表情を浮かべるだろう。

 そして国王陛下がこの個体情報を認めた以上、誰もそれに異を唱えることは無い。


 何故なら、彼らこそがよく知っているから。鍛えた結果が数値として、鍛えた技が技能として表示される。表示されていないものを扱うことは不可能。そこに疑う余地は無い。これを疑うことは己と金の神の存在を疑うも同義だから。

 根本的に、個体情報が正しいと言う前提を以て、それ以外の理由が後から付いてくるのだ。

 だから、僕がこの個体情報を表示し持ち続ける限り、誰も僕の覚醒した力を証明することは出来ない。

 流石に数千の兵を一人で無双とかすれば話は変わるだろうけれど、そもそもああ言った行動はもうするつもりは無い。

 また弟が困っていたりすれば分からないけれど、まぁもう無いことを祈っておこう。


 ただ先程父上が述べたように、論功行賞の結果に対してだけは眉を顰める者も居るだろう。でも僕が自ら辞退している上にそれを認めたのが国王である。あまり突っ込めば今度は弟の勲功に異議があると言うも同然。先ず言葉に出せる者は居ないだろう。

 同時に、僕が正しい意味での王太子に戻ることは決して無い。もし仮に父上に対してその旨を疑問として投げかける貴族が居たとしても、父上が僕を王城に呼び戻すことは無い。何故なら能力値が最低の無能王太子だから。


「間違いは無いようだったな。それだけお前の気迫が凄まじかったと言うことだろう」

「ありがとうございます」


 深く言及されることは先ず無いとは思っていたけれど、こう言って貰えると素直に安心する。後は父上が一言でもこの個体情報のことを貴族に伝えてくれれば一気に広まるだろう。


 父上はやはり腑に落ちないと言う顔のままに個体情報証明版を持って行かせてから、こちらを見る。


「して、お前何か欲しいものはあるか?」

「と、言いますと?」

「功績や賞とは関係無くだ。成したことは消えぬし、後は今回誤解させてしまった侘びみたいなものだ」


 そこで父上はちらと母上を見たが、母上は笑顔で僕を見ていたので気づかないようだった。泣き止んでくれて良かった。


「それでしたら、ロイが望むものを与えてやって下さい」

「あいつには勲功第一等の賞がある。お前が望むものだ」

「ロイの為になれば、それが私の望みです」

「……弟が弟なら、兄も兄か」


 僕のその言葉に何も言わず、その代わりに違う言葉を返した。


「それに……ロイには私が無能なせいで負担をかけてしまいましたから。せめてもの償いがしたいのです」

「ふむ……」


 父上は指でテーブルを叩いた。しばらく悩み、顔を上げる。


「いや、やはりお前がお前自身の望むものを受け取れ」

「それはどう言う」

「あいつは必ず今回の論功結果で自分を責める。自分の責と任を兄に無理やり託したのにその功績は全て自分のものになるのだからな。それだけでも十分なのにこれ以上あれば、お前を慕うあいつは更に自分を責めるだろう」

「……なるほど」


 何となく分かる気がした。僕だったら果たして耐えられるだろうか。

 ではどうするか、と考えてすぐに三人の男の顔が頭に浮かんだ。


「で、あれば。美味い酒を頂けたら」

「ほう?」

「実はロメロ・プラムとエルドレッド・マルリードの三人で一杯やろうと約束しておりまして。父上なら美味い酒をお持ちかと」

「それなら幾らでも渡そう。帰る時に持って行くと良い」

「感謝致します」


 丁度良かった。これで苦労してくれた彼らを少しは労うことが出来るだろう。更に言えばジャルナールへの褒美として幾つかくれてやろう。

 父上どれくらいくれるんだろうか? 大樽の二、三は欲しいところだけど。


 何はともあれ、これで今回の僕の戦は終りを告げたのだった。


 ……ああいや、もう一つだけ残っていたな、と僕は弟の顔を思い浮かべた。

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