第40話 最初で最後の親孝行

 その日、僕は人生で初めて父である国王陛下の言葉に対し、気が狂ったのかと思ってしまった。



 ※



 屋敷にお祖父様が到着し、碌に挨拶する間も無く馬車に揺られて数日。僕は王城に着くなりすぐに部屋で身体中に【還元する万物の素リターン・オブ・マナ】をかけられると着替えさせられ、その足で玉座の間へと連れて行かれた。


 王城に向かう馬車の中でのお祖父様の顔が頭をよぎる。

 いつも僕には朗らかな笑顔と空気を向けてくれるあのお祖父様が、終始険しい顔をしていたのだ。もちろん会話だって最小限で、初めて僕はお祖父様との時間に息苦しさを覚えた。


 そんなことがあった上でのこの急な謁見。普通であればありえない。王への公式な謁見なんて、例え息子であっても願い出て数日後になることだってあるのにこれである。

 嫌な予感と言うものすら飛び越えて、真面目に命の危機すら感じ始めた。


 しかし躊躇っていても仕方が無い。僕は扉の前に立つ兵士に一つ頷いた。

 ゆっくりと開かれる扉と、その先に見える懐かしい光景。


 真っ直ぐ先まで伸ばされた赤い絨毯。その脇に並び立つ国王の近衛兵達。

 奥を見れば七段を上って辿り着く玉座の椅子と、王妃の椅子。

 そこに座るのは、我が父と母である。


 ゆっくりと姿勢を正して進む。ここからは一切の無作法は許されない。

 視線を下に向けた状態のまま段の下まで辿り着き、跪く。


「国王陛下、王妃陛下に於かれましては、拝謁を賜りましたこと、恐悦至極に御座います」

「うむ、良く来た。おもてを上げよ」

「はっ」


 膝を着いたまま見上げる先には、五年ぶりに見る両親の顔があった。

 相変わらず強靭さと荘厳さを兼ね備えながらも若々しさを感じさせる父。

 まるで少女そのままのような美しさと豊満な身体を持つ母。

 二人の姿は僕の記憶の中のままだった。


 年取ってないのが凄いよね、って素直に思う。


「そのままでは疲れよう。立つが良い」

「有り難きお言葉」


 言って立ち上がり、そのまま見つめ合う。要件は何だろうか。心臓に悪いので早く言って欲しい。

 父上が僅かに目を細め、ようやく口を開いた。


「カー=マイン・カラーレス・ジ・ガーランド・ル・カルロ=ジグル・アーレイに命ずる。ナーヅ王国との戦に赴き、クロイツを助けよ」

「はっ?」


 やばい、と思った時には本当にやばかった。父上の瞳が鋭くなった。

 でも絶対に仕方無い。だって、僕に、戦に行けと?

 そんな心境を必死に抑え、僕は胸に手を添えて宣言する。


「はっ! 王命しかと賜りました。このカー=マイン、身命を賭して敵軍を殲滅致して参ります!」

「うむ。詳細は追って知らせる。下がれ」

「はっ」


 礼をして、慌てぬよう努めて歩き、扉の前で振り返り、また礼をしてから玉座の間を出る。


 そうして外に居た兵士に案内された部屋に付き、ソファーに座る。メイドが準備してくれた紅茶を一口飲んで、目を手で覆ってしまった。


 ばっっっっっっっかじゃないのか?


 僕が何故これまで屋敷に軟禁されていたのかを父上はお忘れになったのか?

 王族に不適切と言われ廃太子どころか下手をすれば抹殺までされていたかも知れない僕に戦場に行けと?

 無能と言う称号の意味を果たして忘れられてしまったのか?


 僕が無能時の能力等級値は全て1で、魔術属性等級値は0だ。

 この能力値は訓練をしていない、十歳にも満たない平民の子供が持っているような数値だ。父上はそんな僕に対して戦場に行けと命じたのだ。


 もしかして本当にジャスパーが僕とばれたのだろうか? だからこそ戦場に行って敵兵を皆殺しにしてこいと? それならまだ納得出来るけど、ばれてはいない筈だ。


 駄目だ分からない。何故父上があんな無茶な命を下したのか。

 そこでお祖父様の沈痛な表情を思い出す。そうか、お祖父様は知っていたんだ。僕にこの王命が下るのを。


「はぁ……」


 紅茶を飲んで鈴を鳴らす。喉が乾いて仕方が無かった。


 それからどれだけ呆然としていただろうか。


「国王陛下、王妃陛下、ザルード公爵閣下がお越しになられます」


 外から聞こえた兵士の声に背筋を伸ばし立ち上がった。

 どうして国王夫妻が足を運ぶのか。普通呼び出すと思うんだよね。


 僕は少し離れた位置に移動してから父上と母上とお祖父様を待つ。国王夫妻が室内に入ってくる時にはノックも声かけも無い。だからこそ兵士は「お越しになられます」と予め言ってくれたのだ。最上位の王族を外で待たすなんてありえないから。


「うむ」


 父上と母上、そしてお祖父様が入室して来て僕は礼をする。父上が上座へ、母上が横に座るのを確認し、父上から許しがあってようやく僕は母上の対面に座った。お祖父様は下座だ。


「さて、久しいなカイン。健勝か?」

「国王陛下の深いお心により、日々健やかに暮らしております」

「よせ。ここにおるのは親族だけだ。多少は肩の力を抜かんか」

「そうよカイン。久しぶりに母上って呼んで頂戴」

「……では。母上と。そして父上、久しくさせて頂いております」

「はは、まだ硬いがまぁよいわ」


 先程とは打って変わって砕けた様子の両親。ちらと見れば、まだお祖父様は硬い表情のままだった。


「おいジード、辛気臭い顔をするな。こっちまで移るわ」

「ふん」


 父上が笑いながら声をかけるも、お祖父様は不機嫌そうに鼻を鳴らす。この二人、昔から付き合いがあるせいかこう言う場では凄く砕けてるんだよね。


「どちらにせよ決定したことだ。納得せよ」

「納得はせぬ。だが命には従う」

「まぁそれで良い。で、だ。カイン。此度お主を呼んだのは先程言った通り、戦の援軍だ」

「はい」

「言いたいことは分かる。だがそれを踏まえた上で俺は言わねばならん、行けと」


 父上のこの言いようは、つまり父上もしたいから命令を出した訳では無いと。

 隣で悲しそうに顔を染める母上を見るに、こちらは息子が危険に晒されるのを悲しんでいるだけかな。ならばお祖父様も同様の理由での機嫌の悪さか?


「不服はありません。王命には従うのみです」

「お主のその姿勢は昔から変わらぬな」


 苦笑する父上は、唐突に表情を変えた。


「玉座から言うたがな。此度、ナーヅ王国との戦があった。国境付近での戦だ。そして当方の負けだ。それも圧倒的な、な」

「……」


 向けられたその瞳から放たれるのは、弟が負けたことへの苛立ちでは無いと感じた。強いて言えば敵国、いや現状そのものへ向けられているような。


「王位継承権を持つ者が続けて二度の敗北など決して許されん。だが今俺が出てはクロイツの面目は立たん。だからこそ、お主は決してクロイツに敗北をさせるな。分かるな?」


 すとん、と腑に落ちた。そう言うことか。心が乾いていくのが分かった。


 弟に二度の敗北は許されない。でも、父上が今出て行くことは弟の矜持を踏みにじることになる。

 だからこそ、僕が行くのか。僕が行き、僕が敗北し、父上が出兵する。

 そうすれば弟は二度の敗北を迎えず、父上は弟の面目を保ったまま戦に参戦出来る。

 つまり、僕は生贄なのだ。だって、万が一にも無能王太子が戦に勝つなんてありえない。


 母上が悲しそうにしているのは僕の運命を受け入れたからか。

 お祖父様が表情を硬くしているのは僕の運命をはかなんでいるからか。


「畏まりました」


 僕はあえて力強く頷いた。決して心の内を悟られぬよう、瞳に力を込めて。



 ※



 あれから簡易的に今後の流れを聞き、話は終わった。詳細は共に出兵することになるお祖父様に任せてあると言うことで。


 話を聞き終わってその後、僕は用意された部屋で寝転んでいた。


 色々と納得は出来たんだ。お祖父様が迎えに来た時、迎えと言うには大仰過ぎるくらいの兵士を連れていたし、僕が屋敷を出る時も近衛隊とお祖父様から預かっていたエルドレッド・マルリード達直属直轄兵まで全員連れ出していたのだから。


 初めから戦に行くつもりだったんだと思えば理屈は通る。

 万が一にも無能王太子が戦場に行くなんてありえない、と言う前提が思考を曇らせていたのだ。

 お祖父様が戦に行くのかと言う疑問程度はあったけれど、まさか自分か。


『ジャナル。今良いか』

『うむ、大丈夫だ』

連盟拠点ギルドハウス何時頃いつごろになりそうだ?』

『少し手間をとっていてな、後一週は貰いたい』

『ああ、大丈夫だ。それとな、今度戦に行くことになった』

『……なんと』

『無能王太子は死ぬだろう。お前はどうする』


 そう、仮に戦場で命を長らえたとしても、援軍として向かい敗北した無能王太子には今度こそ居場所は無い。どちらにせよ、カー=マインは死ぬことになる。

 これで無能ながらに王族の血を持っていた僕に仕える意味は無くなった。


『ははは、王太子殿下。お忘れですか』


 そんな僕に、ジャルナールは快活な笑いを送ってきた。

 口調は王太子に対するそれに変わっている。


『何がだ』

『わしは言いましたぞ。どこまでもお付き合い致すと。王太子殿下が死する時は私も死ぬ時です』

『馬鹿だな』


 空笑いが出た。そんなことも言っていたな。

 身体を起こす。


『ジャナル。お主商才はあっても人を見る目は無いようだぞ』

『なんの。私が仕えているのは実であって名では無いのです。仮に王太子殿下亡くなろうとも、貴方様は決して死なぬでしょう。ならば私はそれに着いて行くのみ』


 僕は小さく笑った。笑ってしまった。こんな瞬間なのに、僕は確かに笑えたのだ。


『あい分かった。ならば連盟拠点の件は引き続き任せたぞ』

『畏まりました』

『ああ、あと褒美代わりに何か土産でも持って帰るか。何か欲しいものがあるか?』

『元気なお姿を見せて下さればそれが最大の褒美で御座いますれば』

『馬鹿か。待ってろ、褒美を持って帰ってやるさ』

『お待ちしております』


 僕は俯いた。俯いて、手で目を覆って、首を振って、顔を上げた。


「さぁ、死にに逝こうか」


 きっと、これが最初で最後の親孝行であり、ご奉公になるだろう。

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