第41話 兄弟の再会

 戦地へ向かう馬車の中で一人、僕はただ無言のままに小石に跳ねる振動に身を任せていた。時折外を眺めては視線を外し、ぼんやりと無駄に豪華な内装を眺め、瞳を閉じる。時折都市や町に寄っては補給をしつつ、出来る限り先を急ぐ。


 その道中、僕は殆ど喋らなかった。お祖父様も言葉数は少なかったし、そもそも今回は王太子に随行する公爵家当主と言う立ち位置だ。馴れ馴れしい言葉は使えないし、使える場所も少ない。

 時折短い時間を見てお祖父様は優しく声をかけてくれた時もあったが、僕の反応は酷く淡白なものだった。


 別にお祖父様を恨んでいるからでは無い。ただそう言う気持ちになれなかったのだ。それをしてしまうと、まるで今生の別れの前の最後の団欒になってしまいそうで、それが気持ち悪かったのだ。


 今回の戦い、状況によって僕が指揮権を持つことになっている。その判断は王命によってお祖父様に委ねられており、不利な状況に陥った時は僕が指揮を執ることになるのは間違い無いだろう。


 戦地まで後一日、と言う程に近くなった辺りで、はて僕はどんな顔をして弟に会えば良いのだろうかと考えた。

 王位継承権の序列としては僕が上。しかし戦場の序列に於いては弟が上。能力や周囲からの評価は圧倒的に僕が下。しかし弟は先日の戦いで大敗を喫している敗軍の大将。

 それを除いたとしても、かれこれ五年も経つ。別れの挨拶も録に交わすことが出来なかった。


 最後の最後まで僕を慕い尊敬してくれていた弟の心を裏切ってしまった僕が、今更兄面あにづらをして会うだなんて。


「はっ」


 そんな葛藤を笑い飛ばす。どうせ顔を合わせるのはこれが最後だ。そう深く考えることでも無いだろう。そう自分に言い聞かせながら、僕は流されるままに戦場へと足を踏み入れた。



 ※



 辿り着いた陣営の空気はまぁ重たいものだった。皆が緊張に顔を強ばらせており、足を踏み入れただけで緊迫した状況が伝わってくる程だった。


 少なからず見かける情けない顔をしているのは領兵を預かったりした傘下貴族だろう。恐らくは戦慣れしていないのに戦に連れられた哀れな弱卒だ。とっとと帰ればいい。武を尊ぶこの国の貴族に腰抜けは不要だ。


 僕は戦場を知らない。けれど、そんな顔はここには不要だと、それくらいは分かった。


「王太子殿下、ザルード公爵閣下、心よりお待ちしておりました」

「うむ。ご苦労」


 出迎えた騎士や兵はお祖父様の軍勢を見ると皆が表情を安堵に崩した。挨拶こそ最初に持ってきたものの、きっと僕はメインディッシュの横に乗っている添え物程度にしか見られていないだろう。


「クロイツは何処いずこか」

「こちらへ。お二方をお待ちです」


 どこか見覚えのあるその騎士に案内されて向かったのは、大きな天幕だった。如何にも大将が居ますと言ったその周囲には多くの護衛兵が立っている。あれは鎧からして常備兵だろう。

 天幕の入口に立ち、騎士が口を開く。


「王太子殿下、並びにザルード公爵閣下がご到着。クロイツ殿下へお目通りを願う」

「どうぞ」


 入口を守っていた兵士の横を通り抜け入ったその先。長方形テーブルのその上座に、五年ぶりに会う弟の姿があった。


「あ……」


 昔に比べて随分成長した弟は僕が知る面影を強く残しており、大きくなったなと言う感嘆を覚えた。

 だがその様相は疲れにまみれ、頬もどこか痩けているように見えた。


 何か言いたそうな弟を遮って、僕は口を開いた。


「カー=マイン・カラーレス・ジ・ガーランド・ル・カルロ=ジグル・アーレイ、及びザルード公爵、此度は援軍として参った。安心召されよ」

「あ……ああ、感謝する、兄上、ザルード公爵。座ってくれ」


 誘われた上座の脇に座ると、弟は天幕の出口に立っている者に貴族達を呼ぶよう指示を出した。

 僕は指示出しの後に見つめてくる弟と一切視線を合わすこと無く、顔を上げたまま視線をテーブルに向けていた。

 その上には幾つかの地図が並べられており、また幾つもの線が記されていた。ちらと見るだけで翻弄されているのが分かった。行動に迷いがある動きだらけだ。

 僕はそれを確認すると静かに目を閉じ、貴族や騎士達が集まるのを待った。


 暫く待つと、そう時間も経たずにそれぞれが集まってくる。

 皆が皆僕とお祖父様に礼をしてから席に着いた。

 その姿を確認してから、弟は口を開く。


「皆の者、此度我が兄カー=マイン王太子殿下とザルード公爵が援軍に来てくれた。これで戦況を覆すことが出来るだろう」


 おお、と声が上がる。そんな中でもやはり表情が硬い者もいる。あれは恐らく小さな領地を持つ士爵だろう。貴族では無い、戦いに触れる機会の多い彼らは現状を理解しているようだ。


「兄上、何かお言葉を」

「ザルード公爵」

「はっ」


 弟に振られた言葉をそのまま公爵に渡す。今回、僕がすることはただ座っていることだけだ。それはお祖父様とも打ち合わせている。


「此度の援軍は王太子殿下の麾下とする。全軍の戦時序列はクロイツ殿下、続いて王太子殿下、次に私となる」


 お祖父様は一度間を置いてから口を開く。


「そして、戦況如何いかんによっては総指揮権を王太子殿下に移譲するものであり、その判断は私に委ねられている。この際の序列は王太子殿下、続いてクロイツ殿下、私となる。これは王命である」


 誰かが何かを口にする前に王命を言葉にする。これは絶対の命令だ。誰も異議を唱えることは許されない。


「クロイツ殿下もよろしいですな?」

「国王陛下のお言葉に異議は無し。皆も今後はそのように」

『はっ』


 全員が応答をしてから、現在の戦況を弟の御側付きが説明し始める。この男ははっきり見覚えがあった。常備軍の隊長であり、国内有数の実力を持つ騎士だ。それだけ父上は今回の戦いに気合を入れていたことが伺える。


 説明が始まるも、僕は一切口を出すことはしなかった。ただ話を聞いて、地図を見ているだけ。それ以上も以下も無かった。そしてそのことに誰も不思議を覚えている様子は無い。

 表面上の敬意はありながらも、誰もが僕を見ようとしない。これが本来の無能王太子の姿だった。それもそうだろう。足出纏あしでまといでしか無いんだから。


 今回僕の兵――屋敷に付けられていた近衛兵二十名と、お祖父様から預かっていた百の直属兵――と、お祖父様の直属を含む直轄兵の千は本軍付きとなった。その代わりに違う貴族の戦力を他所に割り振り、敵の襲撃に対応することになる。


 敵軍もどうやら本格的な動きを見せ始めたようで、増援部隊がぞろぞろと湧いて来ているらしい。そしてそれらがこちらの村や町を襲っているのだ。前回の戦いと違い、今回は確実に戦力を分散することを強いられている。


 かと言って敵の本軍が向こうに見えるのだから、こちらも本軍を動かすことは出来ない。もしここが抜かれれば後ろには砦と城郭都市があり、そこを占拠されるのは戦略上非常に不味まずいことになるからだ。

 逆に僕達がそこに籠もると敵の本軍が他所に移動してしまう可能性があるし、僕達がそこから動けなくなってしまう。何せ籠もっている砦や城郭都市を守る必要が出てくるのだから。

 僕達に望まれているのは敵の本軍をここに留め、他の戦域の軍が敵軍を撃退し合流するまでの時間を稼ぐことなのだ。


 だから、何があろうとここだけは絶対に守らなければいけない。



 ※



 色々な決定が行われてから、お祖父様を含む全ての貴族と騎士がそれぞれの軍の指揮へと向かった。僕の部隊への指示も基本的にはお祖父様に任せることになっているので、僕がすることは無い。

 そして残った天幕の中には現在僕と弟の二人だけ。これは弟が周りに命じたことだ。


 誰の姿も無くなってから、弟は弱々しい笑みを浮かべた。


「兄上、久しくしております」

「うむ。健勝に……と言う訳では無いな」


 僕は苦笑する。


「眠れておらぬか?」

「はい。兄上だけに言います。食事も殆ど喉を通らず、夜はどれだけ疲れがあろうとも意識が落ちることはないのです。眠れてもすぐに頭の中で兵の鬨の声が鳴り響き、目を覚ましてしまいます」

「……で、あるか」


 思う以上に弟は疲れている。

 よく見れば目の下にも薄らとくまが見える。どうやら化粧によって誤魔化しているようだ。

 戦場であろうとも殿下である弟には王宮から使用人が付けられるし、各貴族も自費で使用人を連れて来ている筈だ。

 弟はそれらに命じて何とか誤魔化しているのだろう。


 僕は完全に消沈している弟に、しかし何を言ってやることも出来なかった。だって、今弟をそうさせているのは僕が無能王太子だったから。

 王位継承権第一位でありながらそれを放棄せざるを得なかったからこそ、その役割の全てが弟の肩にのしかかり、こうして苦しませている。

 その原因である僕が、援軍に来ながらも何もしてやれない僕が、どうして慰めることが出来ようか。


 あるいは【変化ヴェイル】を使い、唐突に現れた見ず知らずの者として敵軍を殲滅することは出来るだろう。

 だがそれでは駄目なのだ。王太子と継承権第二位の王子が戦場にいるのに、どこの誰かも分からぬ人にその全ての手柄を取られるなど――僕はどうでもいいが――弟を貶めることになる。


 ひっそり夜にでもじわりじわりと敵兵を減らしていく? それとも毒を用意して敵の食事に混ぜ込む? どれも論外だ。正体不明の勝利はあってはならないし、毒を用いた軟弱な勝利を我が国は良しとしない。

 真っ向から叩き潰す。これこそが我が国の強さだ。今の僕ならそれが愚かなことだと理解も出来るが、この国はそう言った風潮が染み付いているし、それで実際に領土を広げている。

 愚かであるかも知れないが、決して間違いでは無いのだ。これを否定すれば、僕はこの国に居る資格すら失ってしまう。


 結局、それ以上僕達の間に会話は無かった。弟の御側付きが天幕に入って来るまで、僕達は他人よりも離れた距離感のまま過ごしていた。


 そして次の日から戦況は動き出していた。相手への圧をかける為に軽く仕掛けては引くという戦術や、夜襲を行うなどしてこちらが待ちの姿勢では無い印象を与えるなど、色々と動きを見せた。


 だがこれはこちらも兵士を減らすことになるので、何度も出来るものでは無い。あくまでも相手の増援に好き勝手されない為の見せかけなのだ。油断していればお前達の本軍を飲み込むぞ、と。

 こちらとしては、真っ向からの勝負になれば負けない自信がある。この場に敵の戦力の全てが集まれば、こちらも同条件の場合負けはないのだ。しかし今はこちらの戦力は分散している状況で、敵の方が数は上。迂闊なことは出来ようもない。


 ならばこちらも更なる増援を、とは簡単にはいかない。


 そもそも兵士と言うものはその殆どが生産力なのだ。

 我が国の直属が付かない直轄兵と呼ばれる者はその殆どが荘民からなる荘兵だ。生産活動に回さないそれらを総じて領兵と呼んでいる。

 この者達が領内の見回りや魔獣の間引き討伐、あるいは有事に備えている。だがこの領兵は同時に生産力を担う役割も果たしている。

 つまり、領兵は集めようと思えば幾らでも、それこそ数百万を呼び寄せることも出来るが、そんなことをすれば確実に数年間、下手をすればその何倍もの期間国力を落とすことになる。

 国力が落ちると言うことは周辺国家に狙われる可能性が増える上に、生産力も減り国民が飢えて人口が減り、更なる国力の低下を招く。


 ならば公爵や侯爵のように上位貴族が、と言うものも、早々出来るものでは無い。

 そもそも上位貴族とは、功績を得ただけで多くの領土や地位や名誉を得ている訳では無い。それに加え、功績を得る可能性が高いもの――この場合で言えば、有事に国を守ることが出来るものを指すのだ。

 つまり、上位貴族はそれぞれが担当する防衛地域があるのだ。

 その戦力を「こっちの戦況が悪いから連れて来てね」なんて簡単には言えない。それをしてしまえばその領土方面を守る為の戦力が無くなってしまうからだ。


 今回初戦からコンコラッド公爵が参戦しているのは、この戦域がコンコラッド公爵の担当地域に入るから。お祖父様が動けているのは、お祖父様はこう言った際の遊軍的な動きを求められているからだ。必要な状況に応じて必要な場所に派遣される。それがザルード公爵家には求められている。


 話を戻すと、アーレイ王国としてはこれ以上の増援は出来る限り避けたいのだ。だからこそ、ジリ貧と理解しつつも分散した戦力が敵の分隊を殲滅し、こちらに合流することを待っているのだ。

 それが、現段階で下されたこちらの結論だった。


 その日の夜に集まった軍議では、状況が芳しくないことが報告された。

 分散しているこちらの軍が上手く敵の侵攻軍を殲滅、あるいは撤退させられていないのだ。その分時間がかかり、こちらへの合流がいつになるのかが読めなくなっている。

 ちなみに、圧をかけているのはこちらだけでは無く、向こうからもそういう動きはある。時折奇襲じみたことまでしてきて、こちらの緊張は高まる一方だ。


 そんな中、戦況が変わる報告が入った。



 ※



「ジェイナル伯爵の軍が敗走?」

「はっ。現在は残兵を集めつつ、ローネ伯爵へと合流に向かっているものと思われます」


 一瞬空気が固まり、そしてそれぞれが騒ぎ出す。援軍を向かわせるべきだ、それではここが危険になる、しかし領民が襲われるぞ、現在の我々では動くことは出来ない、では領民を見捨てるのかなど、意見が飛び交っている。

 ジェイナル伯爵が担当している戦域はそこそこに大きな都市や複数の町や村がある場所であり、敵の兵数もまた多いことが確認されているのだ。

 そこを防衛、撃退していた軍が敗走したらどうなるか。考えるまでも無い。


 慌てふためく彼らを見ながら、僕は内心溜め息を吐いた。皆の意見が正しいとも間違っているとも思わない。どれもが考えに至って当然のものだろうから。ただ、その焦りに満ちた姿が滑稽にしか映らない。


 視線を弟とお祖父様に向けると、弟はやや俯きうなだれているようで、お祖父様は腕を組んで瞑目していた。

 僕はもちろん発言しない。ただ自分の役割を果たすだけだ。

 つまり、何も言わず座っているだけ。


「クロイツ殿下! 殿下はどう思われますか!」

「うむ……」


 その場の貴族達から一斉に視線を向けられた弟は静かに頷いた。

 そんな状況でありながら、何故か弟の一歩後ろに立っている常備軍隊長は御側付きの癖に口を開かない。弟もまた、聞こうとすらしていない。

 これは少しばかりおかしい。軍隊長と弟は決して不仲では無い筈。そもそも軍隊長と言う者が私情で下らないことをする訳が無い。

 僕とお祖父様が来るまでの間に何かあったな。僕は確信した。


「兄上はどう思われるか」

「ザルード公爵、お主はどう思う」


 振られた言葉は全てお祖父様に渡す。周囲も当然とばかりに僕を責めることはしない。逆に何か言えば馬鹿なことを、なんて視線が飛んで来るだろう。


「私は応援に向かうべきと存じます。戦に勝てども民無くば敗北も同然。この場は今後防衛に徹し、援軍を向かわせ素早く敵を殲滅することが最善かと」


 お祖父様の言葉に気色を浮かべる一同。歴戦の猛者である最上位貴族であり、この場で最も――そう、僕や弟よりも頼りになる男の言葉に意気が湧いたのだろう。


 人は自ら考え行動するよりも、他者の言葉に従うことをよしとする。


 そんな言葉が頭をよぎった。今のこいつらの姿は正にそれだった。


「殿下!」


 その時だ、軍隊長の焦った声が聞こえたので咄嗟にそちらを見ると、弟が椅子から崩れ落ちていた。軍隊長はそれを支えている。

 僕もお祖父様も総立ちになって皆が駆け寄る。誰が声をかけても弟は唸るばかりで、反応することは無い。


「魔術医だ! 魔術医を呼べ!」


 軍隊長の声に兵士が飛んで行く。

 その間、声をかけ続ける軍隊長や慌てふためく貴族達の言葉を耳にしながら、僕は小さな頃の弟の姿を思い浮かべていた。

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