第9話 有能、されど無力

「ふむ」


 屋敷で管理されている金、資産の全てを記した帳簿を見ながら、思わず声が出た。

 これまでその管理の一切は使用人、ひいては筆頭使用人であるゼールに一任されていた。

 一応確認は次席使用人のタナルもしているが、文字通りの確認担当だけだろう。何故ならその記載内容は一応僕が確認しているという形になっているのだから。

 もちろん今までの僕にそれが理解出来ていた訳も無い。


 ここ五年でこの館で動いた金の流れを見ていると、ゼールが如何に優れた使用人かと言うことが分かる。何故なら、そこそこの金が入っているそれの管理を完全に任されながら、一切の不正な使用が見当たらないからだ。


 それこそ屋敷の管理・運営に必要な支払いや購入、あるいは僕が求めた物――これまで殆どそんな物は無かったが――のみに費やされ、それ以外の一切が貯蓄され、現在その額は馬鹿になっていない。


 ここで改めて、糞も付かぬ役立たずな王太子である僕が年に手にする金額を最も流通の多い硬貨で述べると、総額で金貨二千八百枚になる。月で言えば四百枚だ。

 これは大凡子爵二家と男爵一家分に相当する。そしてその入手先は国王とザルード公爵家からとなる。


 毎日汗水垂らして働く市民の月の収入が平均で金貨十五枚、年収が金貨百五枚だ。彼らが聞けばきっと僕を刺殺したくなること間違い無しだ。


 そんな金貨二千八百枚の内、月に支出するのは大凡金貨百五十枚から二百五十枚くらいだ。使用人への支払いは王宮と公爵家から出ている。なので屋敷の維持、食料その他諸々を消費すると大体がそのくらいになる。

 ちなみに男爵家の月収が多くて金貨百枚くらいなので、王太子が住む屋敷が如何に大きく広いかが分かると言うものだ。

 しかもこれ、見る限りかなり無駄を省いている。


 一年は七ヶ月あるので、この五年間で大凡五千二百五十枚から八千七百五十枚もの金貨が残っている計算になる。正確に言えないのは常時消費する維持費や纏め払いする為の掛金などがあるからだ。

 最近は僕が多少なり使っているが、それを含めてこれだけの金額を馬鹿正直に管理しているゼールは流石王室に仕える使用人家の次期家長と言うに相応しい。


 五年分の帳簿を見終わった僕は最後の紙の束を机の上に投げた。


「如何でしたでしょうか」

「分からぬ。茶を持て」

「は」


 如何にも不機嫌ですといった体で、僕は言い放った。

 大人になって偉そうにしたくて帳簿を見たけど分からなかったから不機嫌になりました、と言うように見せかけるためだ。


 先日ジャルナールと会話した辺りから気にはなっていたのだ。裏人という存在が上位者には必ず居ると言うのであれば、この館の使用人にそいつらが居ない訳が無い。

 扱いがある種極大魔術級の王太子だ。護衛兼情報収集として裏人を潜り込ませない理由がどこにも無い。


 ちなみにこの屋敷の使用人は国と公爵家の者が半分ずつ属している。

 使用人で言えば一応はゼールが頂点に君臨しているものの、次席のタナルは公爵家に代々仕えている使用人の一族から来ている。

 そしてその下にいる使用人やメイドもほぼ半分ずつおり、言わば国王派と公爵派が存在しているのだ。


 またそれは騎士や兵士も同様で、近衛兵こそ国直属だが、それ以外の騎士や兵士は公爵家から来ている。この屋敷はつまり、僕の警護をしつつ、その状況を日々確認し、二つの派閥が互いに変なこと――僕に思想などを植え付けたり、派閥に属する女を近づけたり――をしないよう見張っている場でもあるのだ。


 こう考えると、裏人が居ない方がおかしい。

 それに気づいてから、背筋が震えた。何故なら、既に僕が今までとは違う行動を起こし過ぎているのだから。


 書庫に籠もる、兵士の訓練を眺める、商人とのやり取りを自分で行うようになり、武器を購入するようになり、商人と二人きりになって話しまで行うようになった。

 成人して気が大きくなった、大人振りたくなった、では少々言い訳に苦しい。


 今までの僕は本当に、ただ一日を無為に過ごし、使用人達の言うことを守ってきた無能王太子だったのだ。これでは怪しまれて当然だ。

 それに気づいてしまうと、ゼールを筆頭にした使用人全員の視線が気になってしまう。もしかするとこれまで二人きりで話していた内容全てが耳に入っている可能性すらあるのだ。


 だからと言って何もしないままでは、危険が迫るのを待つばかりになってしまう。なので、今回で言えば帳簿を見るなり自分の為の行動を起こしつつ無能さをぎりぎり見せるようにしているのだ。


「王太子殿下、代官より使いの者が参りまして、近々ご挨拶に参りたいとの願いが届いております」

「良きに計らえ」

「畏まりました」


 僕が住むこの都市は国の直轄領ではあるものの、やはり管理する代官は存在する。いわゆる宮廷貴族と言うやつで、そいつは年に二度程ご機嫌伺いという名の挨拶に来る。


 今回もそれなのだろうけれど、いつもより一ヶ月程早い。今の時期でこの違和感は、非常に嬉しくないものだった。

 もしかしなくても父上の耳に何かしら入ったのだろう。その確認の為に足を運ぶと言う方が納得がいく。もちろん邪推の可能性もあるけれど、存問に見せかけて様子を見る立場としてはゼールよりも遥かに適切な相手に違いないのだ。


 焦りを覚えながら僕は自室に戻り身体をベッドに投げ出した。


 良くない兆候だ。今でも何か目立ったことをしているつもりは無いけれど、成人するまでが文字通り無能すぎた。僅かでも違うことをするだけで目についてしまう。

 だがこのままではまずいとは分かってしまっているのだ。


 最も最適な解決手段は、魔術カラーを覚えることだ。魔術はあらゆることを可能にする。例えば魂位レベルを上げる為に屋敷から抜け出し、魔獣を狩りに行くことだって可能になる。


 その魔術を覚える事が出来ない。魔術書は屋敷の中に沢山ある。高い知力でそれらを理解することは容易い。だがその練習をする場所が無いのだ。

 魔術は発動すれば必ずその魔力が感知される。一切魔術や戦闘訓練をしたことが無い平民ならともかく、この屋敷には裏人や、国でも有数の実力と戦闘能力を持つ近衛兵や騎士達が居るのだ、練習しているだけで絶対にばれる。


 魂位を上昇させなければ強くなれない。魂位を上昇させるには魔獣などとの戦いを経験しなければいけない。

 その為にはこの屋敷から誰にもばれないように外出出来る状況を作らなければいけない。

 それをする為には魔術を覚え無ければいけない。でもばれないように魔術を覚える事が出来ない。

 だからいつまでたっても魂位を上昇させることが出来ない。


「駄目だ」


 手詰まりだった。このままでは僕は能力が高いだけの無力だ。無能では無くなっても力が手に入らなければ意味が無い。役に立たない力など無いに等しい。


 僕はやっぱり、無能のままだった。

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