兄妹と生き死に
「トト、用意ができた」
「わかった」
テレジアの言葉にトトは静かに立ち上がりすっかり住み慣れた家をあとにする。
夕立が夏の熱をさらう草原のなかをトトはテレジアの後に続いて歩く。遠く夕日が沈みかけた海はその色に染まっていた。
「トトはそのまま前進してから振り返って」
「了解」
テレジアが足を止め、トトは独り進む。眼前には切り立った崖。大きく育った小楢の木と墓石たちがオレンジ色に染め上げられていた。
振り返るとテレジアは静かにトトを待っていた。通り過ぎた夕立の雫に濡れた頬は泣いているかのようだった。トトは場違いにもその姿を綺麗だなと思った。
ちぎれた雨雲の灰色と雲間の青、草木の緑と夕日のオレンジが天地をかき混ぜたような色彩を放つなかでその姿は確かなものだった。
「テレジア……」
「トト」
兄妹は互いの名を呼び、見つめ合う。
いつもならトトが話し出す場面だが、トトはすべてをテレジアに委ねていた。トトの願いを無視することも含めてテレジアの好きにさせた。テレジアは説得を試みたりはせず、数日独りで考え用意を済ませるとトトをこうして呼び出したのだった。
「トト。私はトトが壊せと命じるなら対象を破壊する。だけど、トトが死にたいと言うなら……」
テレジアは背嚢から一振りの剣を引っ張り出すと、切っ先でトトを捉えた。
「それがトトのお願いなら……完璧以上にあなたを殺すわ」
その一言とともにトトの脳裏に
「……その気になったか。そういうお前を見るのも久しぶりだな」
「そうさせたのはトトだ。私はトトを殺す。サブ電源も破壊する」
「おっ、おいっ⁉ どういうことだ?」
「私はトトを殺す。トトの願いだから。だけど、全部トトの思い通りにはさせない」
揺るぎなく宣言すると背嚢をトトへと放り、テレジアはあごでそれを示した。トトが開けるとなかに武器の類が詰め込まれていた。
「ルールを説明する。今から戦ってトトの勝ちなら、サブ電源は破壊しない」
「お前の勝ちなら……言うまでもないか。死ぬ気でいる俺の勝利条件は?」
「今から引くラインを突破できればトトの勝ち。私はライン防衛」
「防衛する気は?」
「ない。開始と同時に襲いかかる」
トトは提示されたルールと武器に考えを巡らせる。
左胸に触れる。サブ電源を壊されるわけにはいかない。
「なあ、俺を殺してからならサブ電源は壊し放題じゃねーの?」
「そんなことはしない。トトが止まる前にサブも破壊する」
「勝負ありとなったら、それ以上手出しはしないってことか」
「約束する」
「……ああ、約束だぞ」
念を押すトトにテレジアが頷き返すと、トトは武器を選びテレジアはラインを引き始めた。各々の用意が済み再び相対するとテレジアが首をかしげた。
「トト、何を選んだ?」
「
「ふざけてるの?」
歩行杖を放り投げたトトが上下逆さに持った鞘を地面に突き立て中腰で構えた。
「大真面目だ。中世の剣を愛用してるお前には言われたくねぇよ」
「銃火器を使えばルールが成立しない。硬くて程々の長さと重量さえあれば、人間も機械人形も殺すのに充分」
テレジアが直剣を振る。時代錯誤で鈍らだが、テレジアの言葉の通り硬さと重さを備えており数多くの人間を屠ってきた代物だ。
「そりゃどーも。お前は戦いのこととなると饒舌だな」
「今なら止めにしてもいい。トト……どうする?」
中止を口にしながらもテレジアは腰を深く落とし構えた。その瞳は始まりを静かに待っていた。そんなテレジアを見てトトは笑い、終わりを口にする。
「止めねぇよ。まったく最高だな、お前は」
「……トトはバカだ」
火蓋は切られた。
二歩で距離を詰め切ったテレジアが三歩目とともに剣を振るった。金属音が響き、トトが吹き飛ばされるがすぐに跳ね起きる。そのままライン目指して飛び跳ねるトトの鼻面をテレジアの靴底が削る。打ち落されたトトが草の上を転がるとそばを大振りな一太刀が通過した。転がりながらトトが草葉を切り飛ばすザクザク音のタイミングに合わせて突き出した鞘に剣が激突する。鞘は砕けず剣を受けきった。
そのまま自身を斬り潰そうとするテレジアの腕にトトが片手片脚で取り付く。地面を叩いて躰を跳ね起こした勢いのままトトは鞘の先端をテレジアの瞳に突き立てようとするが、振りほどかれ突き飛ばされてしまった。
地面を転がり墓石の近くで止まったトトはそれでも鞘を放していない。よろよろとそれを頼りに立ち上がった。
「トトは私には勝てない」
そんなトトにテレジアは敗北を突きつけるがトトは不敵に笑った。
「どーだかな……剣、手放してるじゃねぇか」
「……次で終わりだ、トト」
トトに取り付かれたときに手放した剣を拾い上げるとテレジアは再び構える。
彼我の距離は初撃のときよりもあるが問題にはならない。ラインから離れたトトが一方的に不利な状況。トトは手放さなかった鞘で左胸を守っている。フェイント動作を含めて七歩もあればテレジアには充分だった。
「トトはバカだ」
接近中の急加速からの回り込みでトトの防御の隙を捉えた一振りがトトの手から鞘を吹き飛ばす。がら空きになったその胸へテレジアは剣を突き立てる。正確に右胸のメイン電源を貫いた剣を引き抜きながら振り上げ、今度は左胸へと振り下ろした。
トトの二の腕を切り裂き、胸に食い込むはずの斬撃がガチリと止まった。テレジアの瞳がキュッと見開かれる。
同時にトトが半歩詰め寄りネイルを装着した右手をその瞳に叩き込まんとする。
「――引き分けに、しといてやる」
テレジアの眼前でネイルを止めるとトトが抱きつくようにテレジアに倒れ込んだ。吹き飛ばされた鞘が誰かの墓石にぶつかりコンと音を立て、戦いは終わった。
「どうして? トトが私に戦闘で勝てるはずがない。対応できない速度だった……」
「観察と推理だよ。お前がどう動くかはわかってた。そうなるように煽ったからな。負けず嫌いなんだよなテレジアは」
「最後も通らなかった。トトを完璧に……」
「脇に石挟んでた。腕は落とされたがな」
カラカラと笑うトトの左腕がボトリと地面に落ちる。
「勝負あり、俺は致命傷を負っているがサブ電源は無事。約束だぞテレジア。これはお前が持っていけ」
「……わかった、トト」
テレジアの手が剣を放すとトトの躰をゆっくりと抱きしめた。
「……トト、私は嫌だ。誰も、家族も、人間もいない世界なんて」
「…………」
「トトが、いないなんて……」
そこから先は言葉にならなかった。
行き場を求めて彷徨うパルスを鳴らしながらテレジアは叫びだす。
焼き切れんばかりにモーターが肌の下で駆動しているのを触れあったトトは感じる。人間の慟哭とは似ても似つかない苦しみ藻掻くテレジアの姿を見てトトは残った右手でその頭を撫でた。
「うるせぇ泣き声だ……そっかぁ、
涙を流すことなく泣き続けるテレジアを撫でるトトの手の駆動がぎこちなくなる。電源の損傷によって途絶えだす信号。焦点が合わなくなったカメラアイが騒がしい。終わりはもう目の前だった。
テレジアの泣き声を感じながらトトの口から声が漏れ出る。
「生き急いだ挙句、最期の最期で心底惜しくなるなんてな。俺もとび……の馬鹿だ。あぁ、……か。俺はどうし…………ない、くらいお前達、のアニキだってこと、か。馬鹿なと……とか、そっくり……ねぇか」
「トトっ!」
自分に抱きつく可愛い妹を抱きしめてトトはかつての家族たちと同じように願いを込めて囁いた。
「テレジア、どうかお前も生きてくれ」
それからトトは崩れ落ちて――死んだ。
機械人形に捧ぐ終末の讃美歌 世楽 八九郎 @selark896
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