雨宿りと追憶

「トト、これはなんなの?」

「膝枕という行為。ロマンの類、らしい」

「トトはおかしくなっている」

「否定はしない」


 真夏の熱気を洗い落すように雨粒が大地を叩く陰った昼下がり。テレジアをソファに座らせたトトはその膝を枕にして寝転がっていた。


「ロマンとは?」

「美人に膝枕されて雨宿り」

「美人?」

「その顔でよく言うよ、兄妹」


 トトはテレジアの頬を撫でる。シミなどない人工の肌と整った造りは人目を惹き、女性なら羨むであろう美貌である。ファミリーと呼ばれる機械人形の部隊のなかでも特に美人なテレジアであった。

 トトを初めとするファミリーの外見を担当した設計者アーキテクト曰く『完成された人形の美に未完成な少女の美を一滴』だそうだ。その言葉をなぞるように触れてみると確かに目つきや頬の辺りの柔らかさは子供っぽいかとトトは思う。

 家族を偽装するため指揮官機であるトトの外見をベースにした機体だが、トトにはそれが疑わしく感じられた。


「お前を囮にすると、男がよく釣れた」

「それが証明?」


 トトは少し考える。学習による美醜の判断は下せるが、機械人形のトトには性欲というものがない。こみ上げる情動というものなしに言い切れるのだろうか、と。

 結局トトは過去の実績で判断を下した。それから自身をのぞき込むテレジアの頬をぺしぺしと叩きながら質問を口にする。


「充分だろ。そのとぼけた質問ほかのヤツにしてないだろうな。特にテレサ辺り」

「していない。何故、テレサだといけない?」

「貧相な体つきで男顔だから」

「テレサは中性型の汎用機体」

「そういうところだぞテレジア。だからテレサはお前によく……」


 言葉の途中でトトは黙りこみ、テレジアに触れていた手で自身の目元を覆った。

 テレジアはそんなトトを見つめぽそりと続きを口にした。


「……うん。テレサにはよく怒られた」

「そうだったな……お前はよく怒られていた」


 トトのファミリーは総勢三十二体の大きな部隊であった。機械人形と人類の戦いの中期に投入された作戦可能な範囲の広い部隊で複数のタイプを有していた。トトは最初に生まれてロールアウト、テレジアが最後だった。


「そうだね。だけど今は私とトトだけ」

「……ああ。派手に暴れたからな」


 戦いの趨勢がまだ決していなかった時分にテレジアは部隊に編入された。既に十機以上を失っていた部隊に単純な思考ルーチンしか持たない戦闘型が追加されたことに期待を寄せる者は多くなかった。

 さらにテレジア自体にも問題があった。ファミリーの末妹はどういうわけかトト離れが出来なかったのだ。機械人形は部隊に編入後、指揮官機と常時リンクして僚機との連携や作戦地域のことを知り、思考ルーチンのすり合わせを行う。この作業は機体のタイプによっても異なるのだが、テレジアは戦闘型ではありえない程の長期間をトトとリンクしていた。理由はテレジアがリンク解除を拒むためだった。

 部隊の僚機たちは初めは最新の機体であることや、僚機の数の多さと過去の作戦について学習する必要があるからだろうと考えた。しかし、そうでないことが古参の者に知られ始めた時にトトは一つの決断をした。


「今日から俺の名前はトトだ。そしてお前はテレジアだ」

『トト。テレ、ジア?』

「声に出せ、テレジア。お前の名前だ」

「私は、テレジア」

「ああ、そうだ兄妹」


 その日トトは自分自身とテレジアに名前を与えた。機体ナンバー以外の自分と他者を分かつ記号を与えた直後、トトはテレジアのことを兄妹と呼んでいた。

 これを機にテレジアはリンクを切ることを受け入れ、自身と同じように名付けられた僚機たちを家族と称するようになった。それからのテレジアは機体性能を発揮し、人間と戦うことと家族を守ることに尽力した。


「そう。私たちは戦った。戦い続けた」

「……ああ」


 とうとう人類の文明維持が困難になり、作戦が各地域での殲滅戦に移行した頃には部隊はまだ八機を残していた。それでも、力強く生き乗った人間たちとの戦いは苛烈で一機また一機とその数を減らしていった。最後の人間との戦闘の際に二機を失い、隊は兄妹を残すのみとなった。それから放浪中のある晩にトトも空から落ちてきた流れ星スペースデブリによって損傷を負ったのだった。


「トト、どうしてトトは……」

「…………」


 途切れた質問に無言を返しながらトトはテレジアの言葉の続きを考える。

 どうして人間を探さないのか、戦うことを止めたのか。

 そのために造られた自分たち。そのなかで失われた家族たち。

 テレジアが問いかけたいことは何なのだろう。いっそ電子通信でも機体リンクでも使って確かめようかとトトが思い始めたとき、テレジアの手がトトの手に触れて目隠しを外した。目が合うとテレジアは静かに告げた。


「今はもう私とトトだけ」

「…………」


 言葉の意味もどう答えたらいいかもわからないままのトトの手をテレジアが引いていく。絡ませた兄妹の手がトトの首元から胸をなぞり、腹の辺りで一度止まり、そこを撫で始める。機械人形と同じ体温を感じない丸まったしゃらしゃらの黒い毛皮。


「もう、私とトトだけだ」

「わかってるよ、テレジア」

「その猫は死んだ。もう動かない。兎の肉も鹿の肉も食べない」

「死ぬ前に十分ご馳走してやったよ、お前は」

「ここに来て十年と二百七日経った。おそらく老衰」

「ああ、知ってたよ」

「トト……」

「テトラは死んだ。この雨が止んだら埋める。あの婆さんの墓の隣に埋めてやるさ」

「了解」


 テレジアが頷いた後は雨音だけが部屋に響く。兄妹は雨が止むまでそうしていた。

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