ハマり症の婚約者に、婚約破棄したいと言われました。

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ハマり症の婚約者に、婚約破棄したいと言われました。

「ヘレナ、僕との婚約を破棄して欲しい」


 美しい湖の畔で、婚約者であるランベルトにそう言われて、私はロマンス小説を彼に勧めたことをひどく後悔した。



 ──昔から、ランベルトは好奇心旺盛な性格だった。


 例えば屋敷を抜け出して従者も付けずに街を歩き回ったり、庭師に無理言って庭の手入れをさせてもらったり、馬車の馬に乗ろうとしたり……。


 とにかく、ランベルトは自分の知らないものや、目新しいもの、興味を惹かれたものに対しての探究心がすごかった。伯爵家の長男であるとか、俗物に触れるのは良くないのではないかとか、ランベルトにはまるで関係のないようだった。


 そしてそれは幼い頃彼と婚約を結んだ私も、しっかりと影響を受けていた。


 二人でこっそり街へ行っては平民のフリをして子供たちと遊んだこともあるし、果物屋で林檎を買って丸かじりしたこともあった。


 大抵バレて怒られてしまうのだが、それでも二人でこっそり行う冒険は楽しくて、普段触れられないものに触れ、新しいことを知ることは、とても魅力的なことだった。


 そういうわけで、自然と私たちは何か興味をそそられることや、面白いと思ったものがあったら、すぐに互いに共有するようになった。


 例えば街外れに『出る』と噂のオンボロ屋敷があることを聞いたランベルトが興味を抱き、一緒に探検へ行って──。


「待って待ってランベルト」

「どうかした? ヘレナ」

「どうしよう、今気付いたんだけど私、幽霊とか駄目みたい!」

「そうだったのか? それは新発見だな、おめでとう!」

「ありがとう! 怖いから帰っていい?」

「もう少し探索したらな」

「意地悪!!」


 結局私は鼠に虫に、果てには自分たちの足音に驚きながら、終始ランベルトにくっついて歩いていた。ランベルトはずっと楽しそうだった。



 お菓子作りに興味を持って、こっそり夜中に調理場でお菓子を作りそれぞれ持ち寄った時には、


「どう? 美味しい?」

「あぁ、食べられる石があるなんて知らなかった! 凄いなヘレナは」

「クッキーなのだけど」

「僕が作ったのはどうだ?」

「そうね、炭を食べるなんて初めての経験だわ。具材は炭と炭とあと炭かしら?」

「パウンドケーキなんだけど」


 どうにかお互い全て食べ切ったものの、その日の夜にはお腹が痛くて二人して寝込んでしまった。



 ……今思い出しても、とても貴族の御曹司と令嬢がやるようなことではないなと思う。


 それでも、貴族ならではの窮屈さからの反動なのか、私もランベルトも、楽しさを求めて色々なことに手を出した。


 そしてここ最近、私が手を出したのが、ロマンス小説だった。


 大衆向けに発行されているそれを読んだ私は、すぐにその世界観へどっぷりとのめり込んだ。

 

「す、素敵……!」


 ロマンス小説の中で繰り広げられる恋愛模様は、私からしたら、まるでお伽話のようだった。自分の立場よりも愛をとる登場人物や、敵に好意を持ってしまった禁断の恋、幸せだけを詰め込んだ甘いお話──。


 私はすぐにランベルトにロマンス小説を勧めた。これらのジャンルを読むのはほとんど女性なので、興味を持たない、それどころか拒否反応すら起こしてしまう男性もいる中で、ランベルトはいつものようにすんなりと受け入れてくれ、そして私同様夢中になった。


 そうして私のおすすめを何冊か貸したのが、一ヶ月前のことなのだが──。


(こんなことになるなら、貸さなければ良かった)


 ヘレナは真面目な表情を浮かべるランベルトから視線を逸らして、目の前の湖を見た。


 貸した小説の一つに、身分違いの恋を描く物語があった。主人公の女性は平民に対し、お相手の男性は貴族。相容れないはずの二人が偶然出会い、惹かれていく。作中、男性は「これこそが運命の恋」だと言い、家が決めた婚約を破棄して、最後には主人公と結ばれるのだ。


 まぁ、そんな簡単に婚約破棄なんて本来なら出来ないし、平民と結ばれることを両親が何も言わずに許すことに対しての違和感は拭えなかったが……。


 それでも、そこは物語だと割り切ってしまえば気にならなかったし、何より二人の恋があまりに情熱的で、それでいて美しく、とても感動したのだ。


 私はただそれを共有したくてランベルトに貸したのだけど、結果的にそれは間違いであった。


(運命の出会いを、したのかしら……)


 ちらりとランベルトを見る。

 返事をしない私を、彼はじっと待ってくれていた。その優しいところが私は大好きなのだが、今は少し切ない。「冗談だ」の一言を言うには、冒頭の台詞を言ってから随分と経ってしまっている。


 つまり、冗談などでは決してないのだ。


(小説を読んで、ランベルトも運命の出会いをしたいと思った?)


 そして、街に行って、出会ってしまったのだろうか。


「……好きな人が、いるの?」

「あぁ」


 迷うことなく返ってきた肯定に、私はぎゅっと拳を握った。


(婚約破棄なんて、そんなの嫌。私はランベルトが好きだもの。もっとたくさん、色んなことを知って、色んなことを共有して、楽しいことをもっと一緒に……)


 けれども、仮にここで駄々を捏ねたところで、それが意味をなさないことは分かっている。頷くにしろ断るにしろ、結果は同じなのだ。一方通行の気持ちでは意味がない。


「……私、あなたとお話しするのが好きだったのよ」

「僕もだ」

「一緒に色々なことをするのも好きだった。怒られたりしたけど、それでもランベルトと一緒なら全然平気だった」

「あぁ」


 ランベルトが頷いてくれる。それは嘘などではなく、きっと本当に同意してくれているのだろうと思った。

 

(けれど、私より一緒にいて楽しい人と会ってしまったのね)


 堪らず袖をギュッと掴んで涙がこぼれ落ちないように必死に我慢する。

 破棄なんてしたくない。ランベルト以外の人と結婚なんて嫌だ。──けれど。


 けれど、ランベルトが幸せになれないくらないなら。


「……あのね、ランベルト」

「なんだ?」

「最後に一つだけ、どうしても伝えたいの」


 ゆっくり深呼吸をして、私は顔を上げるとにこりと笑った。少しでも可愛く見えるようにと願いながら。


「私、あなたと出会えて良かった。──沢山楽しい思い出をくれてありがとう」


 これは精一杯の強がりだ。泣いてなんかやるものか。泣いてしまったらランベルトが幸せになれない。突然婚約破棄なんてあんまりだと思うが、それでも私は彼が好きなのだ。だから、最後くらい彼の前ではいい子ぶりたい。


(大丈夫。すぐには無理にでも、きっとまた誰かを好きになれる)


 心の中で言い訳をする。自由に恋愛できる立場じゃないことなんて分かっているけれど、そうでも言い聞かせないと、泣いて喚いて引き留めてしまいそうだった。


 ランベルトは私の言葉を聞いて、それはそれは嬉しそうに微笑んだ。大好きなはずの笑顔が、今は胸が締め付けられるような痛みを与える。


「僕の方こそ、ありがとうヘレナ。君に会えたことは、僕にとって一番の宝物だ」


 甘く優しい言葉に、思わず笑顔が崩れそうになったが、どうにか耐えた。まだ私にはやるべきことがある。──返事をしなくてはならない。


「──この婚約は、白紙に戻しましょう」


 いつもは令嬢らしからぬ姿ばかりを見せてきたが、今だけは少しでもそれらしく見えるようにと心がけて頭を下げた。


 本来なら私たちだけでどうにか出来る問題ではない。ランベルトが彼のご両親にお話をしているのかは分からないが、少なくとも私の両親はまだ知らないだろうし、これから話し合いを行わなければならない。

 それでも私が返事をしたのは、これがけじめだからに他ならない。


 始まりは家が決めたものでも、せめて終わりは自分たちで。それが、私がいつか前を向いて歩いていくために、きっと必要なことだった。


「──ありがとう」


 私の返事にランベルトがお礼を言った。その言葉にまた胸が痛んだけど、今は精一杯気付かないフリをする。


 とにかく、今は一旦一人になりたい。

 一人になって、沢山泣いて、心を落ち着かせたかった。


「ランベルト、悪いけど私、今日はもう──」

「それじゃあ、ここからが本番だな」

「え?」


 屋敷に帰るからと伝えようとして、しかしその言葉はランベルトに遮られてしまった。


 思わず目を丸めて彼を見る。


 彼は緊張した面持ちで私を見つめ、そしてそっと私の手を取った。──手の甲に、口づけが落とされる。


「ヘレナ。君が好きだ。僕と結婚を前提に付き合って欲しい」

「……え?」


 その言葉を私は全く理解することが出来ず、石のように固まった。


「え……うん? えっと、少し待ってもらっていい?」


 空いている手で待ったをかけて、私は鈍い頭を無理やり動かして思考を働かせた。


「えぇと……私たちは今、婚約を破棄したのよね?」

「あぁ」

「そうよね、それで、えぇと、それで……?」

「僕が君に告白した」

「うん待って?」


 全く理解出来ない。


「意味が分からないわ! なんで婚約破棄した直後に告白?」

「それは君のことが好きだから」

「すっ……! だ、だだ、だったら、婚約破棄する必要、ないじゃない!」


 ようやく言葉の意味を理解できるようになると同時に、顔に熱が集まるのを感じた。

 私の言葉に、ランベルトはきょとんと首を傾げた。


「え? だってヘレナはロマンス小説が好きだろう?」

「え、えぇ、好きだけど……」


 それとなんの関係が、と言いかけて、はっとした。


「もしかしてだけど……」

「うん?」

「私がロマンス小説が好きだから、再現しようとしてくれたの?」


 ランベルトが照れたように笑った。それが答えだった。


「……っはあああああ……」

「長い溜息だなぁ」

「そりゃあながーい溜息も吐きたくなるわ! だって、てっきり私は運命の人と出会っちゃったのかと思って……!」

「僕の運命の人はヘレナだろ?」


 さらりと言われて、一旦落ち着いた熱が再び上がってくる。

 それに気付いているのかいないのか、ランベルトが続ける。


「僕は、君が運命の人であると思ってるし、そうであって欲しいと願ってる」

「……それは、私も同じよ」


 照れ臭くて、ぼそりと愛想無く言ったが、ランベルトは嬉しそうに微笑んだ。


「っていうか、それにしても婚約破棄なんてあんまりだわ! 紛らわしすぎるのよ!」

「そうか?」

「そうよ!」

「僕が君のことを愛してるのは周知の事実だから、てっきり大丈夫だと」

「愛っ……!? って、え、周知の事実なの? というか何が大丈夫……あぁもう待って、理解が追いつかないわ、少しずつにして!」

「愛してる」

「うぐっ」


 よりにもよってそれから言ってくるあたり、なかなか意地悪であるが、恐らく本人にそんな自覚はないのだろう。


 そもそも、好きだと言われたのだって、これが初めてだったのだ。

 婚約者ではあるものの、私たち二者だけを切り取ると、恋人というよりは、友人の延長線のような曖昧なところに立っていた。それはそれで楽しかったし、その先に無理に進まなくても、いずれは結婚するのだからと、焦ることもなかった。


 だから、つまるところ私は耐性がないのだ。そういった甘い雰囲気とか、甘い言葉に。ロマンス小説はただそれにときめきながら読むことが出来たのに、いざ自分が言われるとこうも違うなんて──。


(ロマンス小説の主人公はすごいわ)


 たった一言で、私はこんなにも心臓が忙しなく暴れているというのに。


 さらには実はそれが周知の事実だったことにも驚きだし、だからって婚約破棄を言われて大丈夫なわけないだろうとか、なんだかもう言いたいことが沢山ありすぎて、何も言えなかった。


「──ヘレナに借りたロマンス小説を読んで思ったんだ。家が決めたものではなくて、ちゃんと僕の口から、僕の言葉で君に伝えたい。そして、ヘレナからちゃんと返事をもらいたいって。家の決め事としてではなく、自分たちで婚約を結びたかった」


 ランベルトが愛おしそうに私を見つめる。普段笑い合うことは多けれど、そんな表情を向けられたこと、あっただろうか。……いや、周知の事実だと言うくらいなのだから、もしかしたら私が気付いていないだけだったのかもしれない。


「ヘレナ」


 ランベルトに名前を呼ばれる。


「僕と、付き合ってくれますか?」


 改めてランベルトが私に尋ねる。


 答えなんて、ひとつしかなかった。


「──はい!」


 作り物じゃない、心からの笑顔を浮かべて、私ははっきりと答えた。

 ランベルトの顔が幸せそうに綻ぶ。そして、


「そういえば知ってるか? 街の子供は、水辺に石を投げるとびょんぴょん跳ねさせることが出来るんだ! 早速試してみよう!」

「この流れで!? あ、もしかしてだから湖に?」

「良い雰囲気にもなって、遊べるなんて、素敵だろ?」


 ランベルトが無邪気な笑顔を浮かべる。幼い頃から変わらない、私の好きな笑顔だ。


(というか、告白からいきなりそれ……よっぽどやってみたかったのね)


 さっきまでの甘い雰囲気はすっかりどこかへ行ってしまったようだ。

 その変わりように、私は堪らず吹き出した。


「どうかしたか?」

「ううん、なんでもない。それにしてもどうやって水の上を跳ねさせられるの?」

「投げ方が重要らしい」

「とりあえずまずは小石を集めましょうか。私のほうが沢山跳ねさせてやるわ!」

「お、なら勝負だな?」


 にやりと笑ったランベルトに、私も挑発するように笑う。


「そうだ、どうせなら景品を付けよう」

「景品? 新しいロマンス小説とか?」

「うーん、そうだな。勝った方のお願いをひとつ、負けた方が聞くというのはどうだ?」

「良いわよ。何にしようかしら」

「僕はもう決めてある」

「えっ、何?」


「この先ずっと、僕と一緒にいて欲しい」


 思わず固まってしまった。顔に熱が集まる。言ったランベルトの顔も、ほんのり赤かった。


「……そ、それは、わざわざ勝負する必要なんてないから、別のお願いを考えた方がいいわ」

「……良い意味で受け取っても?」


 小さく頷くと、ランベルトはそれはそれは嬉しそうに笑って、私を優しく抱き寄せた。

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