第30話 塔――来たる冬と魔女とカラス

 その塔は、恐らくこの北辺に森が広がる前には既に存在していたと思われる。かつて辺り一帯に広がっていたなんらかの文明の、唯一の名残り。森の北端という立地と、その向こうに海が広がることから、監視塔の役割をしていたものだろう。

 白亜の塔は大半が森による侵食を受けていた。樹齢何百年、時には千年以上を数えるであろう樹木が塔に絡み付き、外壁や内側の構造を打ち破ったり、ときにそこに添いながら、塔の上へ上へと伸びていった。付近は徒歩で行くことのできないほど木々で埋め尽くされた場所なので、こうして中空に顔を出した一部を見る以外にはないが、樹木と一体化した塔は一服の絵画のような趣があるはずだとハナは確信していた。

 塔の頭頂部は四阿のような屋根のある吹き抜け構造になっている。朽ちた屋根と支柱を支えるように、ここにも太い樹木の枝が寄り添っていた。そうんでなければ、屋根は落ち、塔もここまで形を残していなかっただろう。

 柱と柱のあいだをくぐり抜けて塔の上に降り立ったハナは、その狭い空間の真ん中に冬の門の気配を感じた。相変わらず、門そのものの姿が見えるわけではないが、そこから流れてくる冷たい風は、冬を思わせる香りを纏っている。

 四季の門のなかで、恐らくもっとも力のあるものは、春の門と、それからこの冬の門だ。冬を隔てるそれらの門が開くとき、世界は一変する。夏と秋は緩やかに来て、緩やかに去って行く。一方で、冬は容赦なく世界を眠りに誘い、また春は、横たわる冬を吹き飛ばすように強烈に世界を目覚めさせる。

 ハナは、冬などなければ良いと思ったことが幾度もある。生命にも世界にもこれほど過酷な季節はない。しかし、冬の眠りがあるからこそ、その停滞した時間で得られるものもあるのだろうと、最近ようやく考えられるようになった。

「今年も、いろんなことがあったねぇ」

 ムニンに語りかける。ムニンはハナの肩の上で、外気の寒さに羽を膨らませていた。ここは北の海からの冷たい潮風が届くから、地上よりも一層寒いのだ。こんな寒い場所、早く帰りたいと思いながらも、しかし、秋の最後の一瞬が惜しくて少しだけ無為な時間を過ごしてしまう。

「この一ヶ月の間でも、人魚に星の子、シュネーが来たり、あとは家の修繕に久しぶりにたくさんの村の人たちが来てくれたね。村では、エリンに双子が生まれた。いなくなっちゃったのは、エトワールと、長老……でも、長老は春にまた会おうって言ってくれたし、大丈夫、だよね」

 それから、忘れていたたくさんのことを久しぶりに思い出すことができた。

 ハナは、エトワールの死と、昔の写真が出てきたことはなんだか偶然ではない気がしている。ハナたちの大切なエトワールが、ハナに過去と向き合う力をくれたのかもしれない。この先ハナが、彼女のようにこの世界に絶望の感情を残してしまうのか、それとも、過去からなにか新しい価値を引き出すことができるのか、それはわからないけれど、当面じっくりと向き合うだけの時間は、まだハナにも残されているだろう。

「今年は森から遠くへ行けなかったけど、来年は旅行も行けたら良いねぇ」

 そしてシュネーの住む都市や、ルシルの元を突然訪ねて驚かせたい。それで、彼女たちが過去のことをどう考えているのか、いままで聞くことのできなかったことを、話せたら良いなと思う。

 ふふふ、とハナは静かに笑った。

「もう充分たくさん生きたと思っていたけど、やりたいことっていうのは新しくどんどん生まれてくるんだね。まだまだ元気でいなくちゃ。ねえ、ムニン」

 ハナはムニンの艶やかな黒い体に頬をすり寄せる。

『大丈夫、ずっと一緒にいるよ』

 と、耳元で聞こえた気がした。きっと、ただの思い込みだけれど。

 ひとしきり笑ってから、ハナは冬の門と改めて向き合う。

 それから、呪文の言葉を唱えた。



「おはよう。お目覚めの時間だよ」

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魔女の棲む森 とや @toya

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