潮風は揺れる

常盤しのぶ

潮風は揺れる

「甲板にな、出ようと思ったんだ」

 松島はそう言うと、照れ臭そうに頬を掻いた。

 一応釈明しておくと、僕は止めた。彼は船に弱い。船の、揺れに弱い。ただでさえ客室でも気持ちが悪そうにしていたし、客室からでも風を浴びることくらいはできる。いちいち部屋から距離のある甲板まで行く必要はないし、そもそも行けるとは思えない。行ったところで単独で帰れるわけがない。

「その結果がこれだ」

「いやはや、済まないね」

 客室を出、廊下を歩き、食堂を通り過ぎる頃には既に一人で歩けないくらいに弱っていた。戻るように進言したが、その程度で引き下がってくれるなら僕は今までどれほど楽をできただろうか。

 甲板へたどり着いた頃には松島は僕なしで立つことすら難しい程にまで弱っていた。何故そうまでして甲板へ出ようと思ったのか。

「ほら、船に乗ったら一度くらいは甲板に出て思いっきり潮風を浴びてみたいじゃないか」

「気持ちはわからんでもないが、風なら客室にも入ってくるだろう」

 甘いなぁ、と松島。

「甲板だから、良いんじゃないか」

 思わずため息が出た。彼のわがままに僕は幾度となく振り回されてきた。身体が弱いくせに妙に色んな所へ行きたがる。今回の九州旅行だって新幹線や飛行機など選択肢がある中でわざわざ船を選ぶし、いや、別に船が悪いと言うわけではないが、お前は乗り物酔いの中でも特に船が駄目じゃないか、なんだってそんな船に乗りたがるんだよこの前だって……。

「だってお前」

「なんだよ」

「船の方が楽しそうじゃんか」

 松島は僕と旅行する時、移動手段や観光目的で何かと船を選びたがる。自分は船酔いを起こしやすいのに。彼は毎回顔を青くさせては僕に助けを求めてきた。僕は僕でそんな死に体の彼の肩を抱え、呆れてため息をつきながら足を引きずる。そもそも松島は僕よりいくらか身体が大きいから僕への負担が必然的に重くなっている。彼はそのことに気づいているのか?

「嫌か?」

「もう慣れた」

「ならいいじゃないか」

「よくはない」

 客室のベッドで松島は横になりながら無邪気に笑う。その顔を見て、僕はまたため息をついた。今日だけで何度目だろうか。

 窓から外を見やると、既に日は落ちかけていた。青かった海が、オレンジに照らされる。

「まぁ悪かったよ。今回も貸しをつけてやるからさ」

「そうでもなければ助けんからな」

 わーひどい。そんな松島の罵倒を右から左へ流しながら、僕は部屋の灯りを消した。

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