やらずの雨

灰崎千尋

 雨風の荒れ狂う中、おまえは此処にやってきた。

 旋毛つむじから足の先までびっしょりと濡れて、その身がひとつの重い雫のようだった。

 震える手で私に縋り、おまえは言った。


「火に当たらせてくれ」




 濡れた衣は脱いで私の羽織を引っ掛け、湿気た煙草はほうって私の口を吸った。

 私が握ってやった手は、いつの間にか私よりもよほど熱い。

 私は言った。


「今宵は泊まってゆくと良い」




 明くる日も、空は咽び泣いていた。

 揺さぶられ身を震わす板戸にしずくが打ちつけている。戸の隙を覗く私を、背から抱き寄せ耳をみ、おまえは言った。


「今宵は、蒸しそうだ」






「此の儘、雨が止まなければ良い」


「何故」


「止めば屹度きっと、おまえは此処を出て行くだろう」


「さて、な」







 雨の降り続く日を、私たちは数えなかった。私たちの重ねた夜を数えないように。

 けれどいつかの同じような日に、かつておまえの肌に張り付いていた衣に身を包み、おまえは言った。


「随分と世話になった」




 だ、雨は止んでいないのに。




 私はおまえに背を向けて、おまえが跡をつけた首筋のよく見えるように、うなれた。おまえの唾を呑む音が聞こえた。

 私は鏡台の前に座って、白粉おしろいを塗り、唇に特別なべにを引きながら言った。


「綺麗な私を覚えていておくれ」




 するとおまえは、私を後ろから抱きすくめた。その温もりと汗の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、振り向きざまおまえの口を吸ってやった。

 私は言った。


「おまえは何処へもらぬ」




 おまえは、目を見開いたまま、倒れた。




 紅の毒の回ったおまえは、ようやく私のものになった。

 朧気な瞳も、声を失った唇も、青白い肌も、殆ど動かない手足も、おまえが私にしてくれたように愛そう。

 何処へもやらぬ。

 誰にもやらぬ。

 おまえを離してなどやらぬ。




 震える手で私に縋り、お前は言った。


「     」




 心配する事は無い。

 おまえを二度と、雨などに濡らさせてはやらぬ。




 外は未だ、雨。



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