第138話 サーベルを握り締めた腕

 悲しげな瞳で、そう言いながら後ずさる。



 エルヴィンが動けば、彼女は全力で逃げてしまう。


 それが分かっているから、彼も下手に動けない。



「ミシェルさん……あなたは、これからどうするの?」


「わたくしの役目は終わりました。イルマルガリータ様の言いつけ通り、防腐処理を施したご遺体の頭部を歴史棟へと送り、お体をフィルメラルナ様にお渡して……今こそ自由の身となりました」



「おまえは――屋敷に戻らないのか」


「どうして帰られましょう? わたくしは、イルマルガリータ様を心から敬愛しておりました。この気持ちを抱いたままサンテス家へと戻り、どこへ嫁ぐともなく抜け殻のように過ごすなど無理ですわ。それに――わたくしはイルマルガリータ様を殺害した犯人として、疑われているのでしょう?」



「……違うのだろう。おまえにそんなことができるわけはない」


「ええ、できません。イルマルガリータ様は聡明なお方でした。わたくしにそれができないとお分かりで、ご自身で人知れず断頭台に立たれ、刃を落とされたのです。うっ、ぅぅ」



 堪えきれず、ミシェルは嗚咽を漏らした。


 瞳から流れる涙が、足元の土と草を濡らしていく。



 誰も、イルマルガリータを殺してはいない。



 自らの命に終止符を打ち、唯一であろう信頼する付き人ミシェルへとその後を託した。



「わたくしは……この国を離れ、遠い地で出家するつもりです。生涯、イルマルガリータ様に祈りを捧げて過ごしたいのです。お兄様、どうかお見逃しください」



 フィルメラルナの横で、エルヴィンが唇を噛んでいた。


 腰のサーベルを握り締めた腕は、ふるふると震えている。



 ミシェルは彼にとっても、家族にとっても、大切な存在だったのだろう。


 再会できたならば、連れて帰るのが当然だ。


 泣いても喚いても、引き摺ってでも、連れ帰りたいだろう。


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