第87話 あなたはなぜ?

 美しい外見と、神に選ばれたその存在意義。


 神脈を正し自然災害を抑制し、人から争いの心を遠ざけ、世界の平和を維持する尊い力を民衆は信じている。


 イルマルガリータの残虐な行いや、彼女に纏わる闇の部分は、決して公表されない。



 そんな女神にも等しい聖女が亡くなったという訃報は、人々を大いに悲しませた。


 そして、まだ彼女の葬儀の予定すらたっていないうちに新しい神妃を公表したところで、そう簡単に彼らの心を動かせるわけはないのだ。



「エルヴィン様が奔走されています。きっと上手く騒ぎをおさめてくださいます」



 アルスランの提言に、確かに、とフィルメラルナも同意する。



 詰まるところ、一番の解決方法は、時間の経過なのだ。


 イルマルガリータ喪失の事実が浸透し、フィルメラルナが受け入れられるには、それ相応の時間が必要だ。



「ただ、今回の騒動で……おそらくは」



〈聖見の儀〉は、暫く見合わせとなるでしょう。


 そうアルスランが結んだ。



 混乱が収まり、民衆の前に新しい神妃が姿を現しても差し障りがないと、神殿および王宮からの指示があるまでは。


 この儀式は、きっと反故となる。



 けれど一旦、目的は終えたのだ。


 民衆に伝えるべき事実と、新しい神妃の存在を示した。



 あとは各々の心でその事実を消化し、日常として受け止めていってもらうのを待つしかない。



「そうね、きっと。……でも、わたし、露台に出て良かった。久しぶりに普通の人たちに会った気がしたの」



 限られた神殿の空間で過ごす日々が長くなっていた。


 誰とも馴染むことなく、友人と呼べる者もなく、そんな毎日が少しずつ自分の日常になりつつある。



 だから、自分がついこの間まで彼らと同じ立場であったことを思い出し、懐かしく感じている。


 同時に、自由だったあの頃が思い出されて切なくなる。



 それでも。


 少しでも外部の人々が発する熱気に触れて、フィルメラルナの気持ちは明るくなった。



「状況が落ち着けば、〈聖見の儀〉は必ず再開されます。神妃の存在を何よりも望んでいるのは、彼らなのですから――」



 青い瞳を緩やかに細めた笑顔に、ふとフィルメラルナは思い出さずにはいられなかった。



「あの……訊いてもいい? アルスラン、あなたはなぜ?」



 どうして、護衛騎士などに志願したのだろうか。


 それも、自ら「危険」と分かっている神妃のもとへなど。



「あの時のことは、心から感謝しています。私は数日の留置後、解放され従騎士に戻りました。そして、しばらく後に、あなたの護衛騎士として志願したのです」


「だって……あなたには」



 確か、婚約者がいたはずだ。



 あの呪われたハプスギェル塔で、幸運にも生きて見つかった彼女は、しかし心身ともに瀕死の状態で……。


 アルスランは、彼女に献身的な介護をしているのだと思っていた。


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