第73話 グレイセスの心配(エルヴィン)

 きな臭い噂が立っているガシュベリル領視察の急務に乗じて、グザビエの家に立ち寄った。


 だがグザビエ当人の言うとおり、フィルメラルナという少女が住んでいた痕跡は、全て失われていたのだ。



 自分はあの日。


 数名の信頼できる部下を連れ、確かに彼女を迎えにいったというのに。



 その事実すら、近所に住まう者たちも覚えてはいなかった。


 あの事件は夢だったのかと自分の記憶を疑うほど、理解できない現象がエルヴィンを包んでいた。



 いったい今何が起きていて、どこへ向かおうとしているのか。


 これまでも、今現在だって分かりはしない。



「おいおい、神妃の世話は神殿騎士卿の務めだろ。おまえ自身がそう断言してるじゃないか」



 エルヴィンは声を詰まらせた。



 務めだと割り切ってきたからこそ、あの非道で傍若無人なイルマルガリータとの婚約も受け入れたのだ。


 彼女ではなく「神妃」という存在を、甘んじて妻にする役割を。



「俺は正直、イルマルガリータなんざ糞食らえと思っていたさ。あの女は悪魔だ。あいつがしてきた数々の悪行は、何万回地獄に落ちても償えやしないとな。だがな……あの嬢ちゃんは違うじゃないか。どんな理由であれ、拉致されるようにして神殿に連れてこられた身でありながら、呪われたハプスギェル塔を解放した。イルマルガリータの無慈悲な研究を、真っ向から否定したんだ。少なくとも、俺にはまともな人間に思えたぞ」



 神殿騎士団を率いるグレイセスは、あの夜の出来事を奇跡のように称賛している。



「あのお方は……フィルメラルナ様は、確かにイルマルガリータ様とは違う」



 自分だって、彼女を単なるイルマルガリータの代理などと、もはや思ってはいない。


 彼女は、正真正銘の神妃だ。



 祈りによって神脈の乱れを正す力も、イルマルガリータの力で施錠された〈再生の塔〉の鍵を開けた力も、全て神が与えた神妃の力。


 その一部だ。



「朴念仁のおまえにも、それが分かってるんならそれでいい。そういえば……あの二人。ユリウス王子とミランダ王女の乱入もあったんだろ。嬢ちゃんは大丈夫だったのか?」


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