第71話 時間が欲しい

 最後に付け加えられた言葉に、フィルメラルナはびくりと反応を示した。



 ガシュベリル領は、故郷がある場所だ。


 家がある町だ。



 イルマルガリータについて、何か手がかりでもあったのだろうか。


 神殿から失踪した彼女が、今もあの町の教会になど潜んでいるとも思えないが。



 それとも、何か他の問題でもあったのだろうか。


 神殿騎士卿という高位の騎士が赴かなくてはならない事情など、フィルメラルナには見当もつかないけれど。



「あなたのお気持ちを和らげる術など持つ者はおりませんが……お父上は近日中に釈放されるはずです。その前に、もう一度お会いになられますか?」



 もう一度会ったならば。


 父親グザビエは、今度こそフィルメラルナを娘と認めてくれるのだろうか。



 あの時は劣悪な環境の中、精神が疲弊していて、フィルメラルナを認知できなかっただけなのかもしれない。


 けれど今、お互い冷静な心で会ってみたならば。


 神妃代理として困惑している娘の問題を解決しようと、奔走してくれるのだろうか。



(いいえ)



 そうではない、と本能が告げていた。


 何かがおかしいのだ。



「――どうされますか?」



 遠慮気味に、再度エルヴィンが問う。



「もう……会わなくていい」



 やっとのことで口を開いた。


 しばらく声を発していなかったためか、妙に枯れ果てたような声だった。



 この答えを、エルヴィンは予想していたのだろうか。



「分かりました」



 理由も聞かず、ただの一言でこの会話は終わった。



 あれほどこだわっていた父親の処遇だというのに、あっけないほど短い時間で終わってしまった。


 フィルメラルナの胸に、妙な虚無感が生まれ出て――消えた。



「私はこれより歴史ヒストリフ棟へ行かねばなりません。ヘンデル殿から火急の話があると……」



 当然、神妃に関わる要件なのだろう。


〈祈祷の儀〉やらなんやら、きっと事務的な問題も取りざたされる。



「フィルメラルナ様……あなたは、これからどうされるのですか?」



 町娘として故郷の家に帰ると豪語したのは、いつだったか。


 それも、もう過去の自分。


 今は帰る場所もなく、唯一の心の支えすら失った。



「分からない。ただ……時間が欲しいの。ごめんなさい」



 過去を捨て、今を受け止める。



 そのための時間が必要だった。


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