第29話 神妃の代理です

「どうか、どうかお待ちください、イルマルガリータ様っ、ハッ」



 よほど緊張していたのか。


 今はじめて顔をあげたアルスランは、両目を丸く見開いた。



 彼の戸惑いは、至極当然だ。


 イルマルガリータの姿を知る者であれば、異なる人物が目の前に神妃として立っている事実に、強烈な違和感を抱かないわけはない。



「あ、あなた様は……?」


「その……すみません。わたしは、だ、代理なんです。フィルメラルナ・ブランと申します。あの、いろいろと事情があって」



 アルスランがどのような立場の人間か知らない状態なのに、イルマルガリータ失踪の件を勝手に話すわけにはいかない。


 そう判断したフィルメラルナは、咄嗟に言葉を選んで言い繕った。



 嘘ではない。


 彼女はいずれ戻ってくる。


 自分は、仮の存在なのだ。



「代理……そのようなこと」



 しかし。


 青年は、よほど強靭な意志の持ち主なのか。


 このような事態にも冷静に頭を回転させ、フィルメラルナの発した言葉を、鵜呑みにはしなかったようだ。



 じっと見あげる知的な瞳が、様々な可能性を探っている。


 そう、神妃の代理など、歴史の中にもきっと在り得ない。



「失礼を承知で申し上げます。本日、神妃様が久方ぶりに祈りを捧げ、神脈を正されたと聞き及んでおります。それは、もしやあなた様が?」



 それほどまでに火急の用があるのだろうか。


 アルスランは、神妃としての能力をフィルメラルナに確認した。



「あ……あの。一応、お聞きします。その、あなたの願いを」



 これ以上騒ぎを大きくしてはマズイと感じたフィルメラルナは、苦し紛れにそう促していた。


 彼の質問を煙に巻いた形だが、神妃の力を肯定するなど、自分には不相応に感じたのだ。



 その態度をどう捉えたのか、アルスランはほんの少しだけ緊張を解いた。


 そして――。



「どうか、あなた様のお力で、ハプスギェル塔を解放してくださいますよう」



 聞いたことのない塔の名前を、アルスランが口にした。



 まだこの神殿にきて少ししか経過しておらず、その期間でさえ眠っていて、自由に歩き回ったわけではない。


 意味が分からず、フィルメラルナは眉をひそめた。



 その表情が彼に不安を抱かせたようだが、それでも彼は引かなかった。


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