第4話 最後の被験者

 メルハム教会へ辿り着いたフィルメラルナは、いつものように勝手口へと回る。


 夜間なので極力小さくノックをした後、扉を開けて中へと入った。



 そこで、仄かな違和感を感じた。


 なぜか司祭館に、明かりがついていない。



「こんばんは……あの、ゼノ神父様、お薬をお持ちしました」



 遠慮がちに声をかけてみる。


 しばらく待つがいらえはない。



 こんな夜更けだというのに、急用でもあって外出しているのだろうか。



 と、そのとき。



 左側の扉に、ほんの僅かな隙間があるのに気がついた。


 木戸と枠の間から、細く明かりが漏れている。



 ふと自身の耳に神経を集めてみれば、中からヒソヒソとした話し声が聞こえてきた。


 同時に、シクシクと誰かがすすり泣く声も漏れ聞こえる。



「泣かないで、ミル」



 凛とした声が、誰かを慰めていた。



 けれど、その言葉が却って気持ちを煽ってしまったのか。


 泣き声は一段と大きくなった。



 泣いているのは女性だ。


 そう嗚咽交じりの声音から判断できた。



「ああ、長かった。この日をどれだけ待ち望んだことか」



 泣き続けるミルという女性に構わず、もう一つの声が静かに続ける。


 とてもおっとりとした声だ。



 世の憂いも何もかも達観している。


 まるで、数千年を生きるという賢者のような落ち着きが感じられた。



「わたしの手は血に汚れている。どんなに清らかな水で洗い流そうと、この罪は拭えない」



 うっ、と一瞬だけ息を止め。


 次の瞬間には、それまでよりずっと苦しそうに、ミルと呼ばれた女性が声をあげて泣く。



「ねぇ、ミル。ここまで来るのに、いったいどれだけの命を犠牲にしたのでしょうね。けれど――今宵わたしは、とうとう成すべきことを成し遂げる。この呪われた体からやっと解放される。そのためだった。ただわたしは、〈わたし〉でありたかった、それだけのために」


「……ータさま」



 掠れた女の声が、名前を呼んだ。


 涙に塗れてよく聞き取れない。



 無断で立ち聞きしている立場も忘れ、フィルメラルナは自然と片耳を扉へと近づけていた。



「さぁ時間よ。今こそ研究の成果を試しましょう。ミル、涙を拭いて。あなたはわたしの助手なのでしょう? ほら、〈最後の被験者〉の……到着よ」


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