第3話

初日の滑り出しは順調だと言ったが、あれは嘘だ。

教室で、遠巻きに見られながらひそひそと噂されている。

黒澤一樹なる生徒が教えてくれたように、3限目のHRで千秋は自己紹介をした。そこまでは良い。促された席が、その黒澤一樹の後ろだった。それもいい。

だが、今のこの状況は何だろう。


「お前、自分で弁当作んの?すげーな、初めて見たかも」

「……はぁ、あの、前の学校から」

「この学校にいる奴って、基本ボンボンだからさ。作るって言ったら使用人が作るし、もしくは買いに行ったり食いに行ったりするわけ。だから俺は、このいかにもな手作り弁当が珍しい」

「僕は……君の、三重箱の方が、珍しいよ」


自身の机の上には、弁当箱が所狭しと並んでいる。いや、むしろ並べられている。

小さなお弁当箱一つの千秋と違って、色とりどりのおかずが詰められた重箱の中身が何せ三つも並べられているのだ。

通っていた小学校の運動会以来かもしれない。余所の家庭が持ってきていたのを見たことはあるが、それをこんな間近で、しかも今日、見ることになるとは思わなかったと千秋は目を瞬く。

千秋が千堂家から貰っているお金は決して少なくない。だが今までずっとやってきた生活スタイルをわざわざ崩すことはないと、お昼の弁当作りは継続していた。

食材は自分で買ってきて、自分で調理して詰める。母子家庭だった千秋には当然のことで、それは今後も変わらないだろう。

対照的なのは一樹だ。三重箱にきっちり丁寧に詰められた食材たち。高級感漂うそれを、彼は「飽きたんだよなー」と言いながら口に放り込んでいく。

そんな姿を目の前で見ながら、千秋は内心焦っていた。

周囲が千秋をひそひそと見つめている。悪口ではないだろうが、好意的というわけでもない。恐らく黒澤一樹という男が、自分と昼食を食べているという現実が、きっと彼らの中で不思議なことなのだろう。

そしてこういう視線を送られる理由を、千秋はなんとなく察していた。


「あの……」

「うん?」

「黒澤さんは……もしかして立派なお家の方なのではないでしょうか……」

「クラスメイトに対してすげー言葉使いするな。黒澤って家号聞いたことない?立派立派。そこそこな」

「僕の家は……中の下もいいところなのですが……」

「中の下かー。うちは上の上なんだなーこれが」

「――お引き取り、「願うな。そして怯えんな、生まれたての子鹿みたいになってんぞ」……」


いや、見たことないです。生まれたての子鹿……

などと言えるほど千秋の精神は強くなかった。

上の上とはどれほどのお家柄なのだろう。今まで母と二人で平凡に暮らし、その手の指導も教育も受けてこなかった千秋には正直想像も付かなかった。

千秋が知っていることは、恐らくそう多くない。幼小中で学んだ一般向けの歴史や現代社会程度の知識。あとは何か色々兄が教えてくれた気もするが、家号持ちの力関係を始めとした、千堂という家のことだけを覚えている。

家号持ちでこそあるが、祖父の事業が成功したことによる成金の果てであること。

異能を持たぬ家の者であるため、立場も決して強くはないこと。

決して大きな顔ができる家でも家号でもない。おおよそ一般家庭より、顔が利く程度だと千秋は思っているし、兄もそれ以上のことは言わなかった。

だからこその中の下。それより下を家号の持たない者とするなら、むしろ我が家は家号持ちの最下層だろう。


「お前、出身は?」


最早弁当を口に運ぶ気すらしなかった。周りの視線とこそこそ話で気分が悪い。


「西部州の最先端です……本当に、田舎で」

「おお、思ってたより田舎……西から来てんな。なのに東高?西高のが近いだろ」

「実家がこちらにあるんです。家庭の事情で、呼び戻されて……」

「ふーん。じゃあ、この辺の家号とか知らないわけだ」

「全く……つい先週まで一般人側というか……家号なんて西部州の有名どころしか知らないです」


そんな知識しかないからこそ、千秋は小さくなって過ごしたかった。

こんなことになるのなら千春にでも少し聞いておけば良かったと思うし、なんなら少し勉強して編入に備えることもできた。それをしなかったのは千秋の落ち度であり怠慢だ。

こんなところでも己の性格が出る。いやでもだってまさか、初日からこれほど誰かに絡まれるとは思わなかったのだ。それも周囲が注目するほどの相手。

誰だ。このクラスメイトは一体誰なんだ。


「いやー、その知識のなさはいっそやべぇな。どうするんだよ変なのに絡まれたら」

「先生に言います」

「ぐうの音も出ないほど正論だが、まず絡まれない努力をしろ?」


千秋を見る一樹の目は呆れている。

怖い。そんな目で見ないで欲しい。そして放って置いて欲しい。

人と話すのは好きじゃないのだ。苦手――いや、嫌いだ。

千秋は人の織りなす言葉が嫌いだ。安心して言葉を、声を聞けるのは母と兄くらいで、それは十六年生きてきて終ぞ変わらなかった。


「この学校の半分は家号持ちだ。ピンからキリまで、安全な家から危ない家まで、七家姓ななけせいって分かるか?さすがに分かるよな?」

「存在は……でも家号までは知りません」


七家姓。今の実質的な日本の権力者。七つの家に与えられた俗称だ。

未曾有の大災害。猛威を奮った奇病。そうして荒れた日本を建て直したのが七つの組織であったことから、今でもこの国は七つの組織――家によって動かされている。

全ての家号の頂点に君臨している七つの家は、互いに不可侵の条約を結んでいる。20年ほど前までは、この七つの席を奪い合ってかなりの争いがあったらしい。

不可侵はあくまで七家同士のこと。その席を奪おうと他から攻められることは止められず、また、そんな輩がいるくらいにはこの国は荒れていた。

現代版戦国時代だよなと、社会科の教師は笑っていた。実際に、内五つの家は没落した上で成り代わられていると聞く。

自分が生まれる前のことなのでよく知らないが、少なくとも今は七家揃っているし、彼らの尽力あってこそ今の日本があるのだろう。


「この学校には、七家姓の子どもたちもいる。まぁ派手な家号を背負ってるくらいだから、敵に回さなければ危ない人間じゃないのは確かだ。むしろ、そこそこな家柄の奴が危なかったりするんだよ。あちこちの地域から集まってる分、地元で大きな顔をしていてプライドが高い奴もいるし、野心を持って来てる奴もいる。親の権力を笠に着て、好き放題してる奴もいないわけじゃない。一応、学校もそれなりに取り締まってるけどな」

「…………」


話を聞いているだけで帰りたくなってくる。

本当にこんな場所に3年間も居られるのだろうかと思って、心底自分の身の上が嫌になった。

半分ほど食べた弁当を片付けようとする。しかしそれをみていた一樹が、「まぁ食え」と無理矢理蓋を奪っていった。


「予想以上に危ないわお前。人の家庭に首突っ込みたくないけど、お前の家はそんなことも教えてくれなかったのか?」


一樹の言葉に、千秋は無表情で俯く。

教えてくれるわけがない。教わっていたのであろう兄はいない。

千春は、と思ったけれど、聞かなかったのは千秋だ。千春だって、千秋がここまで無知だとは知らなかっただろう。何せ千秋本人が、何を知らないのか分からない状態なのだ。

自分で作った弁当を眺めながら、自己嫌悪で一杯になる。人と話すことを嫌がってきた弊害がこれならば、それは千秋の自己責任だ。

そうやって鬱々と考え込んでいた千秋を見て、一樹が何とも言えない溜息を吐いた。

そういう溜息を吐く人間を千秋は沢山知っている。呆れ、失望、そんな感情を千秋は何度も受けて来たし、今ここでそれを向けられたことに肩が震える程度には敏感になっていた。


(放って、おいてほしい)


僕が悪かったから。ちゃんと、勉強しておくから。

どうか放って置いてくれという気持ちが、胸の内を渦巻いていた。

弁当にこれ以上箸を付ける気にもならない。だからと言って、一樹を直視できる余裕もない。伏し目がちに、怯えて、何もできず、ただ時間が過ぎるのを待つ。

これが今までやってきた千秋の生き方だ。千秋は、兄のようには生きられない。


「……ったく、おい、顔上げろ」


頭上から声が降りかかる。言葉遣いの割には険のない声で、ゆっくりと面を上げた先には、文句を言いながらも弁当を平らげ、行儀悪く指に付いた何かを舐め取っている一樹が立っていた。

彼の瞳が真っ直ぐと千秋を見ている。男にしては綺麗な顔立ち。髪の色から少々日本人離れしていて、よく見れば、瞳は僅かに緑がかっている。


「しばらく面倒見てやるって言ってやるほど、俺はお人好しじゃないし暇でもない。お前を守るべきは家だし、それを敢えてしていない事情に首を突っ込むのも筋違いだ。それに、もしかしたら何も起こらず、何にも巻き込まれずお前は学校生活を過ごせるのかもしれない」


彼の言葉は真摯だった。実直過ぎると言ってもいい言葉に、思わずたじろいでしまう。

着席したまま、身体が後退した。だが一樹はそんな千秋の心情を知ってか知らずか、ぐっと顔を近づけて念を押すようにこう言った。


「だけれど、もし何か起こったとき……巻き込まれたときは俺を呼べ。真っ先に。何も考えず。俺の名前を口にしろ」

「あ、の――」

「助けてやるって言ってるんだ。信じろよ」


ぽんっと頭の上に手が置かれる。

まるで幼子を相手にするかのようなそれに、千秋は彼が本当に同級生なのか疑った。

はっと見開いた視線の先に、一樹の顔があってそれが兄に被る。兄は千秋をよくそうして撫でた。三つ下の弟を、いくつになっても子ども扱いして、誰にも心を開けない千秋を慰めてくれた。


「飯は食っとけよ。次、体育だから」


一樹はそう言って千秋の席から離れていった。重箱を適当に自分の席に置いたまま、教室から出て行く。

千秋はそんな彼を、どこか唖然とした気持ちで見つめていた。

彼は本当に、一体なんなのだろう。

転校初日から、こんな訳の分からない自分に……

親切な人だと思った。そこで反感も気味悪さも抱かなかったのは、千秋が彼の言葉を信じたからである。







「あんなの、全校生徒に言っていたらキリがないと思うけれど」


元は艶やかな黒髪だった。しかし全体に赤いメッシュを入れた彼女の頭髪はこの学校でとても目立ち、かつ顔立ちも相まって一種の有名人にすらなっている。

廊下を行き交う生徒たちがちらちらと女を見ていた。2学年である彼女が1号館にいるのが珍しいのだろう。一樹は女を前にして、本日何度目かの溜息を吐く。


「……分かってるよ」

「分かっていないわ。お前の欠点ともいえるそのお人好しは、一体いつになれば改善するのかしら」


一樹はこの女が苦手だった。一樹の痛いところを容赦なく突いて、かつ抉るように言葉を紡ぐ。

自分を真っ直ぐと見据えるその眼光も、逃げ道を塞がれているようで益々居心地が悪い。


「俺の性格は、あぁいうのを放っておけるほど出来てないんだよ。危ないと分かっているものを、危ないままにしておくのは目覚めが悪い」

「お前のせいではないのに?」

「名前を聞いて、言葉を交わして飯まで一緒に食ったら、もう他人じゃないだろ」


女の表情が、理解できないと言っていた。

理解してもらう必要は無い。一樹には、目の前の彼女のようにその容姿と在り方だけで人を惹き付ける才能は持っていない。嫌でも人を呼び込んでしまう彼女とは違うのだ。そしてその誰もを信用していない――そんな生き方は一樹にはできない。

一樹は一樹の行動理念に基づいて生きている。誰かが困っていたら手を差し伸べてやりたいし、助けを求めていたら駆けつけてやる程度には〝人間〟に好意的だ。

一樹は多分、誰よりも〝人間〟が好きなのだ。それが欠点だということは自覚している。

少なくとも、黒澤家の跡取りとしては相応しくない。


「……まぁいいわ。今に始まったことではないし、そのせいかお前の周りには人が多い。中には役立つ縁もあるんでしょう」

「別に利益を求めてるわけじゃ、」

「求めていることにしておきなさい。建前は大事よ。お前は黒澤なのだから」

「…………」

「今日の放課後、生徒会室へ」


伝えたわよ、と踵を返した女の背中に、「は?それだけ?」と声を掛けた。だが彼女は振り返らず、赤い髪を揺らして自分の学年館へ帰っていく。


(んな伝言……メッセージ一つで十分だろうが)


ポケットを探って、端末を取り出そうとする。しかし一樹が思った場所にそれはなく、あれ?と制服の内ポケットも探る。

自身の身体を手当たり次第に触れること数十秒――


「……家に忘れたわ」


最後に見たのは朝食の時。テーブルに置いて、今日のニュースと天気予報をチェックして……ゆっくりしていた中で妹に急かされて、そのまま――

思い出して、頭を掻く。赤髪の女はもう見えない。



「お優しいこって」



呟いた言葉は誰の耳にも届かなかった。



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