14 うつろい

 灰色の空を見上げるのにもいささか飽きてきた頃、空が千切れるように雪が降ってきた。吐く息も白さを増してくる。そろそろ本気で次の行動を考えなければと思っていたちょうどそのとき、何かが勢いよく飛び込んできた。

「痛っ」

 頭をかすったその塊は、わたしの足下にぽとりと落ちる。視線を落とした先には青い鳥がいた。指を差し伸べると小さく飛んで逃れるが、すぐに地面に落ちてしまう。もしかしたら怪我でもしているのだろうか。

 青い鳥。ふとこの間の授業を思い出す。幸運の青い鳥についての話だった。そのときわたしは願ったのだ。未来に至るそのときまで、先生と二人ずっと箒を並べて飛んでいたいと。今も気持ちは同じだけれど、このまま関係がほどけてしまえばきっと願いは叶わない。

 怪我をしているであろう青い鳥をこのままにはできず、ポケットの中にしまい込んだ。望まない結末にたどり着いてしまわないように出来ること、それは家に帰って先生と話をすることだ。まだ不機嫌なままでもいい。扉の魔法だけでも解いていてくれたらと期待しわたしは樹洞をあとにした。

 扉にはもう目に見える魔法効果はない。わたしは慎重にドアノブに触れた。鍵も魔法もかかっていないようで扉はこともなげに開いた。部屋に入るとどれだけ体が冷えていたのかがよくわかる。ブランケットで暖を取りながら、ポケットの小鳥をソファへと移した。鳥は首だけ持ち上げしばらくあたりを見回していたが、一度ぶわっと羽を膨らませたあとはどうやら落ち着いたようで、静かに羽を休めている。

 さてここからが本題だ。わたしは大きく息を吸って吐いて、意を決して先生の部屋へと向かった。

「先生、ただいま帰りました」

 わかってはいたが返事はない。とはいえ、箒も外套も玄関にあるから部屋の中にはいるはずだ。

「先生、出てきてください。お話、まだ途中です」

 喧嘩になってしまったときは忘れてしまわないうちに話をしなければならない。それは母と暮らしていたときに学んだことだ。喧嘩っ早い母親を持つとこんなところで役に立つ。

「出てこないならわたしが入りますよ」

 それでも何も答えない。まるで母だ。口には出さないだけでわたしも先生と母を比べていた。優劣をつけるためではない。先生と母には似ているところが多かったからつい思い出してしまうのだ。印象のまるで違う二人。けれど考え方や感じ方に似通ったものを感じていた。例えばこんなとき、わたしとどうでもいいような諍いを起こしたとき、母もこんな風にわたしを無視した。意地を張って自分からは何もできなくなってしまうのだ。

「開けますね」

 だからわたしが扉を開ける。案の定、鍵はかかっておらず、ますます母のようだと思った。予習はしっかりできている。きっと上手にできるはずだ。

「先生、反省してください」

 単刀直入なわたしの言葉に先生は不機嫌そうに振り返る。けれど出て行けとは言わない。魔法を使えばいくらでも追い出せるはずなのに。

「こんな冬場にわたしみたいな魔法もろくに使えない子を外に放り出しちゃダメです。死んじゃいます」

 わたしの言葉に先生は驚いたような顔をした。自分が着の身着のままでも便利に生きていけるくらいに魔法が使える特別な存在だということを理解していないのだ。きっとちょっと閉め出したくらいの気持ちでいたのだろう。

「それはすまなかった」

 ここですぐに謝れるのは先生のいいところだと思う。ここは母とは違うところ。大人にこんなことをいうのもどうかと思うが、母よりずっと素直なのだ。

「先生、わたしどうして追い出されたんですか」

「それはお前が」

 止まった言葉の続きを待つ。沈黙を恐れずに待つことしばし。

「すまんがわたしにもよくわからない。ただ、お前に生意気な対応をされていると感じた。大方、お前に言われたことが図星だったのだろう」

「母にこだわるみたいなことですか?」

「ああ、きっとそうだ。そしてそれがたまらなく嫌なんだ」

 手探りで紡ぎ出す先生の辿々しい言葉たちがわたしの胸にすとんと落ちる。わだかまりを溶かすのは素直な言葉だけだ。どんなに美しくとも言い訳などでは届かない。

「どうしてこんなに気になるのか。立ち止まってしまうのか。喧嘩の原因はとっくの昔に処理できているのに、その後のことが片付かない。10年以上もそんな気持ちに纏わり付かれ挙げ句あいつが死んだと聞いてもまるで理解が追いつかない」

 淡々と告げたあと先生は、これ以上は勘弁してくれと小さく続けた。十分過ぎるくらいの告白にわたしの胸は痛んだ。こんなにも素直に話してくれるとは思わず、申し訳なく思ったのだ。

「先生ごめんなさい」

「お前は何もしてないだろう」

「わたしも大人げなかったんです。ごめんなさい」

 自分の正しさを盾にずいぶんと踏み込んでしまった。離れたいならそれでもいいが、わたしは一緒にいたいのだ。うつろい続ける二人の関係にさよならという選択肢を持たせないためには、正しさを押しつけてはいけない。

「そうか。よくわからないがお前は子供だ。大人げなくとも仕方な、ん?」

 センチメンタルな空気を突き破るように、開いたままの扉の隙間から何かが勢いよく飛び込んできた。既視感を覚えよく見てみると、そこにいたのは青い鳥。

「先生その子、さっきわたしが保護したんです。羽を怪我していたみたいで」

 居間にいたはずの青い鳥。怪我は直ったのだろうか。先生の肩に止まり何事もなかったように囀っていた。

「ほう。戻ってこないと思ったら羽を傷つけていたか」

「先生、その子とはお知り合いですか?」

 先生はしまったという様子で口に手を添えた。いつもなら黙ってわたしの言葉を受け流しただろうに、先ほど色々話した名残かしどろもどろに答え出す。

「いや、なんというか。どうしているかと思い偵察にいかせたのだ。結局、なんの成果も得られなかったが」

 つまりこの鳥は先生の使い魔だ。

「先生、わたしのこと心配だったんですか?」

 先生の心の内を少しばかり垣間見たようで、わたしは嬉しくなる。

「そういうわけでは」

「先生、わたしのこと大切なんですね」

 黙り込む先生。もしかしたら、わたしは少しは自惚れてもいいのかもしれない。先生はわたしに少々甘い、甘いのだ。

「先生、お茶でも淹れましょう」

 喧嘩することでわかることもあるとはいえ、こんなことわたしは二度とごめんだ。争いの中でしか解りあえないなんてことあるはずもない。解り合うならどれだけ時間がかかるとしても、優しい時間の中がいい。

 だから先生、お茶の時間のやり直しを。今日のスコーンには少々甘い、甘いジャムを添えて。

 

 


 



 

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雪にあしあと 七歩 @naholograph

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