13 樹洞

 先生と喧嘩した。そんなことは起こらないと思っていただけに自分でも驚いた。けれどこれはどう考えても喧嘩だ。結果としてわたしは家の外に出され、大きな木の洞で寒さを凌いでいる。

 そもそものはじまりは授業のあと、いつものように先生とお茶の時間を楽しんでいたときのことだ。他愛ない会話を繰り返すうち、母の話題が絡んでくるのはそれほど珍しいことではない。いつもと同じように母とわたしを比べる先生。

「母は母、わたしはわたしです」

 このところよく使うフレーズを口にしても先生はどこ吹く風だ。ここまではいつもと同じ。運命の分かれ道はその先に潜んでいた。最近募っていたこの件、先生がわたしと母を比べたがることへのもやもやした感情がわたしにいつもは言わない余計なひとことを言わせた。

「先生はどうしてそんなに母にこだわるんですか?」

 わたしの言葉に先生は少々黙り込む。返事をしないこともよくあるため気になる行動ではなかった。今回もそうかと思っていたら、ややしばらくして先生はその重い口を開く。

「こだわってなどいない」

 ずいぶんと冷ややかな声だったが、先生の不機嫌はいつものことと気にはとめなかった。

「そうですか? ものすごく気にしてるように見えます。わたしだったら許せない人の名前はそうそう口にできないと思います」

「わたしとお前も違うぞ」

「わたしはという話です。だからどうしてかなって」

 ここまできてようやく、先生の不機嫌がいつもとは違うことに気づいた。表情こそ変わらないが、こんなにわたしの一言一言に苛立ちを露わにする先生など今まで見たことがない。

「先生、もしかして怒ってますか?」

「怒ってない」

「怒ってますよね?」

 いつもとは違うことにもはや気づいているのにダメ押しをしてしまったのが良くなかった。先生は何も言わず、わたしと目を合わせることもなく部屋から出て行く。すぐに追いかけ先生の部屋をノックするが返答はない。その代わりに扉に魔法が施された。見てすぐに拒絶が伝わる、いかにも痺れそうなビリビリとしたエフェクトまで添えている。

「先生!」

 呼びかけると今度は風が吹いた。窓も開いていない廊下に吹く風など魔法由来に決まってる。先生の巻き起こしたその風は悠々とわたしを家の外へと追いやった。

「もう、大人げないなあ」

 着の身着のまま外に放り出され寒くて仕方なかったが、もはや家の扉にも魔法が施されており中には戻れない。わたしは火球を作り出した。魔法製の火球は相変わらずカイロ並みの威力しか発揮しないがないよりはましだ。それからわたしは森へと向かう。木々はきっと冷たい風からわたしの身を守ってくれるだろう。ちょうどいい場所がないかと歩き回っていると、大きな木にぽっかりと空いた洞を見つけた。想像以上に温かなその樹洞の中、わたしは魔法でできる限りの防寒対策を施し座り込んだ。

 わたしは先生とのことを思い出していた。元々悪いのは先生だ。先生がわたしをからかうのがいけない。人と比べられて嬉しい人などいないのに。とはいえこの結果はなんとも空虚だ。人と人とがすれ違ってしまうことはなんと容易いことなのだろう。母もこうして先生と掛け違えてしまったのだろうか。

 樹洞の中から見上げる空は、額装された絵のように見えた。わたしと先生がはじめて喧嘩した日の空。今なら笑って「ぜひとも記念に欲しいですね」などと言えるだろうけれど、そのときはとてもそんなことを思えるような心持ちではなかった。


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