第23話 ささくれ
「ご家族とは距離を置いているんでしょう、無理に会わなくとも進められる方法を探しませんか」
ノエルは片眉を上げた。家族について何も言われず、訊かれない、節度と距離をありがたく思う。ジリアンは家族構成をはじめとする身の上話を慎重に避け、必要が生じたときにのみ語った。それを知ってか知らずか、ひとの心を無遠慮に踏み荒らさないかれとの生活はとても快適だった。
「ありがとうございます。でも、歌う花づくりに必要なのであれば」
背が高いですねとか、どうして自分を指して「僕」と呼ぶのかとか、少年のような格好をしている理由や大学を辞めた理由を、かれは一度たりとも尋ねなかった。
尋ねられたくないから、尋ねなかった。ノエルが単身で暮らしており、家族写真のひとつも見当たらないのは、相応の理由があるのだろうから。
インターネットはすぐに答えを教えてくれるに違いないが、ジリアンは避けた。誰にだって、訊かれたくないことのひとつやふたつはある。それを知らずとも、生活を営んでゆけるならそれでいいではないか。
ジリアンにも秘密はある。家族のこともだし、大学でのことをつぶさに話したくなどない。それを聞きたがるならノエルも同罪だ。ここに来てずいぶん良くなったが、記憶は忘れた頃に鋭い痛みとなって蘇る。指先のささくれなら皮を千切って終いだが、そうもいかない。
実技指導と称して教授室に呼び出され、「そんなに美人なのに、どうして男の子の格好をしているの」とずけずけ質問されたうえ、体を撫で回された夜は眠れなかった。『斜塔』の役人である両親と成績を持ち出されては口を噤むほかなく、逃げる、通報するといった冷静な思考回路は恐怖によってすぐに閉ざされた。
病み衰え辿り着いた精神科でまともなカウンセラーと出会うや、教授はすべてをジリアンになすりつけ、学生課は退学処分を下した。
「僕はここで……いえ、あなたにずいぶん救われたんです。ノエルが先生ならよかった。こんな大人のひともいるんだって、安心できました。だから、できることはお手伝いします。そのために僕を雇ってくださったんでしょう。母と会うのは、たしかに気乗りはしませんが、別に殴られたり怒鳴られたりするわけじゃないですから。お小言はもらうでしょうけど、それはいつもですし」
ねえ、ジリアン。ノエルの呼びかけはいつだって柔らかい。
「きみはものじゃないんです。誰が相手であっても、踏みにじられたり、傷つけられたりするいわれはないんですよ。怒るのは体力がいりますが……もしも今、きみがその体力を失って、やり方を忘れてしまっているなら、ここを隠れ家にして、休んでください。前にも言ったでしょう、心安くいてほしいと思っているんですよ」
「ノエル……僕は」
「いいえ、私だって偉そうにお説教できる立場じゃないんですがね。調べたらすぐにわかることですが、私はむかし、家族との生活に失敗したんです」
穏やかなまるい声を、自嘲と悔恨がくらく染めてゆく。
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