第9話 一つ星

 上の空で買い物を終え、再度キッチンカーに立ち寄った。今日のラインナップは、プレーンリングドーナツ、シナモン、グリーンティー。バニラグレーズ、チョコ、キャラメルナッツ。バニラクリーム、ラズベリージャム、アップルジャムの九種類。

 コーヒーや紅茶、ジュースなどのドリンクとそのトッピングを加えればメニューは相当数になる。一人で切り盛りするにはなかなか大変そうだ。

「ドーナツの移動販売って、珍しいですね」

「つまりビジネスチャンスってことさ」

 ディディエはからからと笑う。さんざん迷ったすえに、シナモンとバニラグレーズ、キャラメルナッツ、ラズベリージャムのドーナツを包んでもらった。

「このまえのレモングレーズ、とってもおいしかったです。ノエルも……あ、ええと、迎えに来てくれたひともすごく気に入ったみたいで」

「そりゃあ光栄だな。おれのドーナツはばあちゃんのレシピで、たぶんそう珍しくはないんだけど、たまに食べたくなるでしょ、ドーナツ。あつあつのやつ。そういうとき、道端にこの月の輪ムーンリング号が停まってたらすてきだろ? ラッキーだって思うだろ? おれのドーナツが、停電中の蝋燭とか、吹雪の夜のペチカとか、涙を我慢するのに見上げた空にある星とか、そんな存在であればいいなって思う」

 キッチンカーは月の輪号というらしい。名づけのセンスはともかく、ドーナツが食べたいときに月の輪号がすぐそばに停まっていたなら、それは紛うことなき幸運であろう。

「ディディエはドーナツ屋さんになりたくて、ドーナツ屋さんになったんですか」

「おれ? うーん、難しいな。考えた結果ではなくて、ならなきゃ、みたいな感じ。サンドイッチ屋さんでも、フィッシュアンドチップス屋さんでも、ジュースバーでもないんだ。ドーナツ屋さんだって思った。呼ばれた、っていうのかな、おれが決めたんだけど、おれが決めたんじゃなくて……わかる?」

 唐突に彼は言葉を切って、南東の低い空を差した。

「日が暮れると、あのあたりに明るい星が見えるんだ。フォマルハウト、って名前の。明るいのはひとつきりだから、間違いようがないんだけど……そういうのが、お姉さんにも見つかるといいね」

「ええ……はい」

 僕は何になるのだろう。何にもならないのかもしれないが、それはそれでひとつの選択だと、ノエルを見ていて思う。ディディエのように確たるものが胸に灯っているなら、きっと心強いのだろうけれど。

「話は変わるけど、お姉さん、魔法使いだったりする? 『斜塔』のひとと、なんとなく雰囲気が似てる」

「えっ? あ、いえ……その……大学を辞めたので、知識はありますが免状はありませんし、似てるなんて言われたのは初めてです」

 斜塔。脳裏に浮かんだのは、ブランドスーツを隙なく着こなす母の後ろ姿だった。記憶のアルバムにいる母は、いつもこちらに背を向けている。

「あっ、嫌なイメージじゃないからね。物静かで思慮深い、って感じの。そうか、やっぱり。魔法を使うひとはちょっと鋭いところがあるから、世界が見えすぎちゃうのかもね。それを全部受け止めてしまうと、疲れるよなあ」

 「斜塔」の役人はそんな人ばかりじゃない、と黙るジリアンに、ディディエは淡く笑って、またドーナツの穴をくれた。

「お姉さんがフォマルハウトを見つけられるように」

 星とドーナツとは何の関係もないと思うが、礼を言って車に戻った。

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