第3話 再会

 ポストに紬からの手紙が投函されていた。

 学校からの帰りにそれを見つけた僕は、一度部屋に持って行って、机に向かった。

 ふと、僕はどうするつもりなのだろうと思った。

 無理にでも紬に会いに行くのか、行かないのか。

 未だに保健室で交わした先生との会話が頭から離れない僕は、きっと自分では決められない。

 だから、この手紙の内容で判断しようと思う。

 顔を上げると、窓枠に沈みかけの夕日が収まっていた。太陽は、風の強さや誰かの視線なんかには左右されずに回っていて、今日も定時に帰っていくのだ。

 僕は視線を戻し、その勢いで封筒を開き、手紙を取り出した。

 そしてそれに目を通してすぐ、僕の明日からの予定が決まった。


『もし拓真が嫌じゃないなら、会いたい』

 気のせいか普段より濃く見える文字で、そう記されていた。

 ずしりとのしかかってきた何かを感じながら、僕は支度を始めたのだった。



 時刻は、午後十一時。

 椅子から立って窓の外を見ても、もう寝静まったのか、心地の良い静寂が広がっている。

 それは、僕の家も例外ではなかった。

 コートを羽織り、最低限の荷物を詰め込んだリュックを背負い、部屋を出る。この空間とも少しの間おさらばだ、なんて思ってみたけど、日曜日の夜には帰ってくるのだ。

 少しの音もたてぬよう、つま先立ちで暗い廊下を歩いていく。コートの下が汗ばむのを感じながらも、どこかわくわくしている自分もいた。

 二階にあるのは僕の部屋と両親の寝室のみ。

 今だけは、両親の仲が良くてよかったと思った。警戒するべき部屋が一つで済むのだ。

 その部屋の前に差し掛かる。

 抜き足差し足忍び足を意識していた僕だったけど、踏んでいる床がギイと軋む音がした。

 続いて、バタンと大きな物音。

 ああ、終わった。

 そう思ったが、風でどこかの扉が閉まる音だったらしく、問題の部屋からは布が擦れる音一つしなかった。

 どうやら、お約束のやつだったみたいだ。

 ほうと安堵の息を吐き、次いで馬鹿らしくなってきた僕は勢いよく階段を降りると、そのまま玄関まで来て靴を履いた。

「何してるんだ?」

 一番聞くと思っていなくて、一番聞きたくなかった声が、静寂を破った。

 間違いであってくれと願いつつ振り返るけど、こういう時に限ってファイナルアンサーは当たるらしい。

 父さんが、腕を組みながらこちらを睨みつけていた。

「こんな時間に出歩くんじゃない。戻るんだ」

「……ごめん。それは無理」

 それだけ言うと、僕は後ろ手にドアを開け、外に飛び出した。空気の冷たさに出迎えられる。背後から飛んでくる父さんの怒鳴り声をシャットアウトした。

 門扉を開けるのさえまどろっこしくてそれを飛び越えて、街灯を頼りに夜の街を走っていく。

 もう、後戻りは出来ない。

 もしかしたら、一生家には入れてもらえないかもしれない。

 それでもいいや、と思った。



 最寄りのバス停からは夜行バスに乗って、日を跨いだ。

 そして、ちょうど日が昇りかけている頃。バスは紬の住む場所、京都へと到着した。



 バスを降りてまず目に入ったのは、よくわからない赤い像だった。近づいてみて、それが唐辛子の像なのだと気づき、やっぱりよくわからなかった。

 周囲には、小さなJRの駅、ブランコとタイヤが並んでいるだけの公園があり、遠くには背の高いマンションが見える。

 開発途中の街並みにどこか不安な気分にさせられた。

 何かを取り壊した後のぽっかりと空いた土地に、工事で使われている丸見えの足場。

 この街はこれからどうなるんだろう。

 縁もゆかりもない土地にそんな思いを抱くのは、多分これから起こる出来事から目を逸らしたいからだ。

 元々は自分が望んだことなのに、おかしい。

 あるいは、だからこそだろうか。

 僕は、頬をぱしんと叩いて複雑な感情を追い出した。

 それは、背後からこちらに近づいてくる足音に気が付いたからだ。

 こつこつと小気味いい音が、ちょうど僕の真後ろで止まる。

 鼓動が一気に早まった。何故かものすごく喉が渇く。そういえば、昨晩から水分を一切取っていない気がする。

 ……そんなのは、どうでもいい。とにかく、やっと会えるのだ。

 どうせなら目一杯爽やかに振り向いてやろうとして、突然腕をとられ、僕はバランスを崩した。

 何とか足を前に出して体勢を立て直そうとするが、僕の腕はひたすらに前へと引っ張られる。

「な、なあ。おい。紬なのか?」

 抵抗は諦めて走りつつ、僕の前を行く人物に問うたのだが、返答はなかった。

 まるで映画の逃走シーンみたいに角を数回曲がったところで、僕はようやく解放された。

 来た道に顔を覗かせていたその人は、一つ頷いた後、こちらに向き直った。

 一本一本塗られたみたいに艶のある黒いショートボブに、雪だるまのような白い肌。少し気怠げな瞳に、サイズの小さい鼻。薄めの唇。

 特別印象が強いわけではないけれど、形の整った、綺麗な顔。

 紛れもなく、幼少期から共に過ごした幼馴染だった。

「紬……なんだよな」

「うん。拓真……だよね」

 僕は頷いた。

「久しぶりだな」

「うん……」

 それきり二人ともが黙ってしまって、僕は頭の中から言葉を漁った。

「その、大丈夫……なのか」

「心配しなくていいよ。最近はちょっと、調子が悪かっただけだから」

 紬はかぐや病の自覚がないはずだから、精神状態が悪いとか、そういう風に自分の不調を捉えているのだろう。

「……そうだ。さっきのは何だったんだ。急に引っ張って」

 僕の質問に、紬は少し考えるように眉を寄せた。

 昔からそんな仕草をしていたなと思い出した。

「……その、少し離れたところにお母さんと似た服装の人が見えたの。それで焦っちゃって。でも、落ち着いて考えたらあんなバッグお母さんは持ってないんだけどね」

「はは、相変わらずだな」

 紬のはやとちりを僕がしばらく笑っていると、紬は不機嫌そうに少し頬を膨らませた。

「そんなに笑わなくてもいいじゃん」

「ごめんごめん。懐かしいなって」

 ところでさ、と僕は続けた。

「これからどうしようか。無事、会えたわけだけど」

「うーん。私は拓真と会えればいいと思ってたからなぁ。……あ、照れた?」

「別に照れてないし」

 紬がにやついたまま近づいてきて、僕は顔を逸らした。紬の口元に昔はなかった小さなほくろが出来ていることに気付いた。

「そうだ。京都を案内してくれないか? 僕、初めて来たんだ」

「うん、いいよ。任せといて」

 無邪気に笑って頷く紬をみて僕は、かぐや病なんて存在しないのではないか、と本気で思った。

 全部、勘違いなのだ。

 先生が見た遺体も、かぐや病患者とされた人たちの自殺も、紬からの悲痛な手紙も、夜空の月も。

 今、目の前で笑顔を咲かせている紬だけが、本物だったらいい。

 紬との懐かしい会話に花を咲かせながら、僕は強く、そう願った。

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もし君がかぐや姫だとしたら @rokunanaroku

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