第2話 責任
「今度の土曜日、
「ダメだ」「ダメよ」
手紙を書いた翌朝、トーストを口に運びながらそれとなく吐いた言葉は、対面に座る両親によって真っ向から否定された。
「わかった。じゃあ、土曜日は友達の家に泊まりにいくから」
「今の話の流れで、了承は出来ないな」
お堅いスーツを身に付けて、同じくお堅い口調で言う父さんに、僕は心の中で舌打ちをした。
僕の両親は、そして恐らく紬の両親も、僕と紬が会うことを許そうとはしなかった。
最後に話したのは、中学一年の頃だ。
褪せた茜色の葉の絨毯。同じ色で、口元まで巻かれたマフラー。まだ馴染まないブレザー。
「私、引っ越すんだ」下校路の途中、紬は言った。
僕は、そのときようやく、赤く腫れていた目の理由を知った。
それからも、手紙でのやり取りは続けているけれども、一度も顔は合わせていない。
「何でダメなんだよ」
腹が立って、吐き捨てるような言葉になった。それを咎めるように、母さんが咳払いを一つ。
「……ダメな理由はね。あなたたちにとって、会うのは良くないことだからよ」
「だから。何がどうなって、僕達に良くないことが起こるんだよ」
「あなた達はね、まだ子供なの。かぐや病のことだって、詳しく知らないでしょう」
「知ってるよ。いつまでも子供扱いするな」
はぁ、と疲れたようなため息が聞こえた。父さんだった。
「あのなぁ、拓真。じゃあお前は、俺たちの支えなしで生きていけるのか? 無理だろう。お前はまだ子供なんだぞ」
あぁ、また始まった。
普段は校長の長話くらいに適当に流している僕だけど、今日は我慢できなかった。
頭に血が上っていた。
バンッと、机を叩いて立ち上がる。皿が擦れる音がした。
「確かに僕は子供だよ! でも、かぐや病のことだってちゃんとわかってるから。……紬のことは、絶対に僕が何とかするから!」
「どうするんだ?」
父さんは落ち着いた、僕にとっては冷たく聞こえる声で言った。
「何とかするって、何か考えがあって言ってるんだろうな。……どうせ特に何もないんだろう。顔を見ればわかる」
図星を突かれた僕は、意地になって父さんを見返した。父さんが余裕綽々と食事を続けているのが、腹立たしかった。
食パンに唐辛子でも仕込んでおけば良かったと思う。
「……かぐや病というのは、周囲の人間に伝染することもあるんだぞ。男性は全くかからないという訳じゃないんだ。だから……」
「別に、僕がどうなっても構わないよ」
それだけ言うと、僕は鞄を持って飛び出すようにリビングを出た。
「本当に、何も知らないな」
閉じた扉の向こうから、そんな言葉が聞こえた。
親と喧嘩した後というのは、どうしてこんなにもモヤモヤとした気分になるのだろう。
馬鹿みたいにキレるんじゃなかったとか、もう少し扉は優しく閉めれば良かったとか、ごちそうさまくらい言えば良かったとか。
そんなことで悩みながらのろのろと歩いていたせいで、教室に着いた頃にはもう授業が始まっていた。
教室の後ろ側の扉をそろりと開ける。なるべく静かに入ろうとしたつもりだったけど、何人かの生徒がこちらを振り返る。
その中で一人だけあからさまに手を振ってきた男子生徒に、僕はラインを送った。
授業中だって? そんなもの知らない。
『紬の住所を教えてくれ』
『やだ』
『頼むよ、あおちゃん』
『その呼び方はやめろ』
『教えてくれたらやめるかも知れない』
『しゃーねぇーな。とりあえず昼にでも話そう』
『あざす』
大きな声が聞こえて、何事かと思い顔を上げると、僕がたった今ラインをしていた男子生徒が先生に注意をされていた。
当たり前だ。最前列でスマホを使うなんて、馬鹿な奴だな。
説教が終わり、恨めしそうにこちらを向くそいつにウインクを送ってから、僕は机に突っ伏した。
「やあ、あおちゃん。一緒にお昼でもどうかな」
「足にブロック括り付けて東京湾に落とすぞ、マジで」
僕の爽やかな声掛けに物騒な返事をしたのは、二人目の幼馴染、三鷹
派手な金髪に、鋭い目つき。そして、どこかの俳優のように整った顔。
ただのイケメンのように見えるが、実を言うと、こいつはヤンキーだ。
それも、ただのヤンキーじゃない。この街のヤンキーを束ねている実力者で、一緒に遊んだ時、強面のお兄さん達からボスと呼ばれていたのを聞いたことがある。
だから、東京湾に落とすという脅しも、あながち冗談ではなかったりするのかもしれない。ここから東京はかなり離れていることを除けばだけど。
「そんなこと言うなよ。僕たちの仲じゃないか」
おどけた口調で誤魔化しつつ、僕は葵の隣の机を動かして、葵の机と向かい合わせに座った。
「放課後に呼び出される被害に遭わせるような奴に、やる情報はないぞ」
「……それは困る」
「紬の住所が知りたいんだよな」
「そうだ」
「……三つ、条件がある。まず、何があったのか教えろ」
右手に持った焼きそばパンを頬張り、左手で指を三本立てながら、葵は言った。
僕は、手紙からして紬の様子があまり良くないと思われること、両親の助けは見込めそうにないことを出来るだけ手短に伝えた。
腐っても僕たちは幼いころからずっと一緒にいたのだ。僕の真剣さは、正確に葵へと伝わったようだった。
顎に手を置いて考えを働かせている様子の葵。妙に様になっているのが、少し腹が立った。
お互いパンを一つ食べ終えたところで、ようやく葵が口を開いた。
「拓真。お前が本気なのはわかった。だから俺も本気で話すぞ」
僕が頷くと、葵は続けた。
「正直言って、俺は拓真の両親の意見に賛成だ。つまり、俺は拓真と紬は会うべきではないと思ってる」
「……何でだよ」
「拓真と紬が合うのは危険だ」
「だからそれが何でなんだって!」
つい声を荒らげてしまい、周囲の視線が一斉にこちらを向く。
僕は少し身体を縮めつつも、まっすぐに葵の目を見据えた。その目も、まっすぐに僕を見ていた。
「拓真にはわからないのはわかってる。でも、本当なんだ。別に俺は、嫌がらせをしようなんて思っちゃいない」
その声色は、僕のことを思いやってくれているようにしか感じられなくて、僕は何も言えず、パックの牛乳を飲み干した。
葵がだめなら、他を当たるしかない。
例え本当に危険だったとしても、僕は紬に会わなくちゃならない。何かが手遅れになる前に。
その気持ちは、消えてくれそうになかった。
「ただし」
そんな声が鼓膜を揺らし、僕は下げていた顔を上向けた。そこには、不敵に口角を歪めた葵がいた。
「今までのは、常識的に考えたうえでの話だ。だけど、俺は常識なんてタバコの火で燃えればいいと思ってるヤンキーなんだ」
葵はポケットから取り出した紙を、ひらひらと振って見せた。そこに、紬の住所が書かれているのだろう。この流れでそうじゃなかったら、僕は一生葵を恨む。
「だから、あと二つの条件を満たせば、この紙をやる」
「残りの条件っていうのは?」
「今から、購買でカツサンドを買ってきてくれ」
葵が教室のドアに向けた指に、僕は袋に入れていたカツサンドを押し当てた。
分厚いカツと、パンにまでしみ込んだ秘伝のタレが売りのカツサンドだ。
「予想通りだったよ」
僕が言うと、葵は悔しさ半分、楽しさ半分といった感じで笑いながら、カツサンドを食べ始めた。
「あと一つも予想できるか?」
「なんだ、飲み物か?」
「ファイナルアンサー?」
一応葵を手で制してもう少し考えてみるが何も思い浮かばず、僕はファイナルアンサーと答えた。
「残念、不正解だな」
葵が、先程とは逆のドアに指を向ける。僕もそれに沿って視線を動かす。
ドアの前には、一人の女子生徒が立っていた。
上履きの色からして、一年生だろう。葵のような目を引く容姿をしたその人は、こちらに気付いたようでフリフリと手を振ってきた。上級生の教室だというのに、全く物怖じした様子がない。
何となく、葵の彼女なのかな、と思った。
「あいつ、拓真目当てで俺に付きまとって来て鬱陶しいんだ。どうにかしてくれ。それが、三つ目の頼み」
「は?」
全く信じられない。
開いた口を塞げずにドアの方を見つめる僕を見て、幼馴染はケラケラと笑っていた。
「葵目当てなら、僕を使うのは止めた方がいいぞ。あいつはそういうの嫌いだから」
北校舎の階段の踊り場。人通りの少ない場所で例の少女と対面しながら、僕はそう切り出した。
わざわざここまで来た理由は一つ。この女子生徒と廊下にいると、いちいち視線が飛んでくるからだった。
後ろに腕を組み、上目遣いにこちらを見つめる姿を見て、そこまで注目が集まるのも納得できるなと思った。
否定的に見ようとしても、可愛らしい容姿をしているからだ。
犬か猫かで言えば、子犬みたい。
「そんなつもりじゃないですよ。私は池田先輩目当てですから」
比較的薄い胸に手を当て、恥ずかしげもなく少女は言った。
ちなみに、池田というのは僕の名字だ。
純粋すぎるとまで言えそうな光を灯すその瞳は、僕が注視しているのに気付いたようで、おかしそうに細められた。
「どうして僕なんだ?」
「一目惚れです」
「一目も何も、僕は君に会った覚えがないんだけど」
「恋は気が付いたらもう始まっているものですよ」
「いや、僕の中ではまだ始まってないから」
「じゃあ、このレースでは私が一歩リードですね」
「何それ、意味わかんないよ」
はははと漏れた笑い声が、静かな空間に想像以上に大きく響いた。
何となくいけないことをした気がして、そしてこの少女も同じことを感じたようで、二人で黙った。
どうしたものか、僕は悩んでいた。
僕に一目惚れをしたなんて事実を、残念ながら僕は信じられない。それに、これは僕がひねくれているだけかもしれないけれど、少女の気さくで話しやすい態度が、どうも胡散臭く感じられてしまうのだ。
沈黙を切るように、チャイムが鳴った。昼休みの終了を知らせるものだ。
「あ、もう戻らなきゃですね」
言いつつ、少女はリズムよく階段を降りてから、「そうだ」と振り返った。
「自己紹介がまだでしたね。私は
返事をしてから僕も階段を降り、「それじゃあ」と言って来た道とは反対側に歩を進めた。
「あれ、教室はそっちじゃないのでは」
「今から特別授業なんだ」
僕は、背中越しにそう答えた。
授業中の誰もいない廊下をこつこつと鳴らして、僕はある場所に来た。ホームルーム教室を除けば、一番よく通っているであろう部屋だ。
中に入れば、まず気付くのは特有の香りと、並んだベッド。他にも応急処置用とみられる道具や小難しい本が並んだここは、僕の休憩場所兼保健室だ。
作業用の机に向かっていた白衣姿の女性が、椅子を回して振り向いた。
「……なんだ。また、池田か」
「その言い方はあんまりじゃないですか」
「今日は何しに来たんだ。理由によっては締め出すぞ」
この微妙に口の悪い女性は、ただの保健室の先生じゃない。
この人は名の知れた大学である病気について研究し、現場で実態を調査するためにうちの高校にいるエリート保健室の先生だ。
もうわかると思うが、この豪快に足を組んでこちらを睨んでくる女性は、かぐや病の専門家だ。
僕は、先生の隣にある椅子に腰を下ろした。定位置だ。
「今度の土曜日、紬に会いに行くことにしました」
「……そうか。ご両親は何と言っているんだ?」
先生にはずっと前から紬とのことを話していた。だから、双方の両親が僕と紬を会わせたがらないことを知っている。
「両親にはバレないように行くつもりです」
別に反対されるとは思わなかったけど表情を伺ってみると、先生はふっと笑った。
「どうした。自信がないのか」
そんな風に見えたのだろうか。
「別に、そんなつもりはないです」
「ほほう、そうかそうか」
すっと、先生の顔から笑みが消え去った。
さっと、背筋から熱が逃げていく感覚があった。
「もし、池田の中に少しでも迷いや恐れがあるなら、やめた方がいい」
「っ、そんなものありません」
普段より何段階も低くなった声で、先生は言った。
「かぐや病患者は一日に数十人と命を落としている。でもな、死亡診断書に死因がかぐや病と記載されることはまずないんだ。その理由は、かぐや病を正確に診断するのが困難であることに加えて、もう一つある。何かわかるか? 池田」
唐突な質問で狼狽えたが、その答えはすでに僕の中にあった。
「かぐや病患者は死の直前にその病から解放されるから、ですか」
そのくらい知っている。どれほど調べたと思っているのだ。
「正解だ。かぐや病患者は死が確定したと感じた瞬間に、病を克服するんだ。言い換えれば、かぐや病という奴は死に誘導するだけしておいて、死には立ち会わずに逃げるわけだ。全く、心底気持ち悪いよ」
先生の舌打ちが保健室の空気を刻むように響いた。
「じゃあな、池田。どうして私たちは、死んだ患者が死ぬ直前にかぐや病を克服したという事実がわかると思う?」
今度は思い当たる知識がなく、僕は首を振った。
「答えは、患者の遺体にある」
……患者の遺体?
先生が説明を続ける気がないことを察した僕は、頭を捻った。
かぐや病でないことが、死体からわかる……。
かぐや病は患者に自殺願望を抱かせ、死へと誘導し、死の直前に消え去る。
……じゃあ、残された患者はどうなる?
「あ……」
一つの可能性を思い至って、思わず声が漏れた。同時に、身体中の血の気が引くのを感じた。
先生が、顎でこちらを促した。
「……患者の表情ですか」
「その通り。私は仕事柄かぐや病患者の遺体を見たことが何度かある。表情なんて判別できないほどひどい死に方をした遺体が多いんだが、顔への傷が少ない遺体も一定数存在する。……そういった遺体の表情は全部、悲痛に歪んでいるんだ。おそらくは、理不尽に降りかかってきた死を自覚し、絶望して」
言ったきり、僕に考える時間を与えるように、先生は黙った。
重い沈黙の中、僕の脳はまだ混乱していて、てっぺんの見えない階段、あるいは底の見えない井戸を前にしたような気分だった。
わかった気になっていた死というものを身近に感じる。少なくとももう、僕が紬に対して責任を負いきれるとは、断言出来ないと思った。
「別に、池田が紬さんに会いに行くことを無理に引き留めようとは思わない。ただ、よく考えて動け。後悔のない夢みたいな選択なんて望むな。なるべく後悔の少ない選択を考えるんだ」
先生は、僕の肩に手を置いた。大切な話をするときに、先生はよくこうするのだ。
「それが、私から問題児の池田への、最後のアドバイスだ」
「最後……?」
「実は、ある研究所に招待されてな。私はそこで、かぐや病の研究に励むことにするよ。だから、お前とこうやって話すのは今回が最後だ」
先生は椅子から立ち上がり伸びをする。そして、ポケットの中から紙切れを出しこちらに投げて寄越した。
キャッチして開くと、そこには十一桁の数字が並んでいた。
「寂しくなったらいつでも電話してねハート。的なあれですか」
空っぽになった心から吐き出すように言うと、突然頭をガシガシと撫でられた。
「……何ですか」
「あまり無理するな。……かぐや病のことでわからないことがあれば電話するといい……ハート。だ」
照れながら言い切ってすぐ、くるりと振り返った先生は、そのまま保健室を出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、これからはどこでサボろうかな、なんてことを考えていた。
同じ週の金曜日。紬からの返事がうちのポストに投函された。
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