第2話

 ボールが宙を舞う。


 風花はヒュッと息を吸うと、力強くジャンプした。視界はコートの上。

 風花は狙いを定め、敵コートへとボールを打ち付けた。


 狙うは、コート左端。

 だがコースが甘く、やや中央よりにボールが落ちる。それに敵のリベロが瞬時に反応した。リベロはそつなくボールを拾い、綺麗な弧を描いてセッターへと届く。


 レフト!


 セッターの態勢から瞬時に反応し、ブロックしようとするが、敵セッターはセンターにBクイックを上げた。

 敵のミドルブロッカーがスパンと綺麗に風花達のコートへとボールを撃ち落とした。


 ピピーッ。


 主審の笛と共に、練習試合が終了した。

 三セット目。23対25。

 今日は、三試合をして、一勝二敗。

 

 風花のチームは負けた。


「ありがとうございましたー!」


 相手校と挨拶をして、ベンチへ戻ると、怒りに満ち溢れた監督の怒声が響く。

 延々と怒鳴られて、それから落ち込む風花達は黙々と片づけの準備に入る。


「今日の風花、イマイチだったじゃん」


 親友でありセッターの和希かずきが風花の肩を叩いた。風花は、汗に絡みつくポニーテールを掻きわけ、


「はぁ……ミスリードが多かったね……」


「二週間後までに調子を戻せそう?」


「うん、絶対戻す。でも、その前に体育祭だ。そっちにも気合い入れないと」

「うん、そうだね、たいいくさ……体育祭!?」


 風花の発言に、和希の動きがピタリと止まる。風花はもう一度強く頷き、


「うん、体育祭」

「は? 何言っているの? 風花??」


 和希は信じられないとばかりに、大きな猫目で風花を見上げる。


「きーちゃん、春高も体育祭も大事だよ」

「そりゃあ……大事だよ? 大事だけど、春高予選目前で体育祭!?……あのさー……」


 呆れた口調で和希が風花に説明した。


「――うそ……?」

「そうよ。予選前の土曜日だもん。練習試合あるに決まってるじゃない?」


 そうか。そうだ。そうだった。

 風花は落胆する。

 なんと、自分は体育祭に出られないのだ。

 更に良く良く考えれば……。


「私っ! 体育祭出たことないっ?」


 ちょうど毎年、春高予選と被る頃に体育祭はある。確か去年も体育祭の日は春高一週間前で、一昨年は体育祭当日だった。


 当時は、一日中バレーの事ばかりだった。

 だから、体育祭に出られなくても良かった。しかし、今年は違う。違うのに……。


***


 翌週の朝。

 風花は、自分が体育祭に出られないショックが抜けず、ため息をつきながら学校へと向かう。

 校門を潜り、グラウンド脇を横切ると、大太鼓の音がドォン!と響く。


「フレー! フレー! 白組!!」


 風花の足がピタリと止まった。

 樹だ。樹の声がする。

 すすすっと、風花の足はグラウンドへと進んだ。


 そこには赤組集団と対峙した白組集団の先頭で、手を振る樹が居た。


 色素が薄くて軽い茶髪に、つんとした鼻。鼻周りのそばかす。

 大きな目に大きな口。とても人懐こい風貌。一般女子からの反応としては、樹は『可愛い』だが、風花は『カッコイイ』だ。


(高田……カッコイイ……)


 先頭で、音頭を取る樹に見惚れて、ぼーっとするが、ハッとして、風花は踵を返す。スタスタと早足で教室へと進む。


 一番乗りで教室へと辿り着くと、窓際に行ってグラウンドを見たい気持ちを抑えて、廊下側の自分の席に座る。


 誰も居ない教室に響く太鼓の音と、掛け声。樹の声。

 風花は目を閉じる。

 三回深呼吸する。


 世界は変わらない。


「……大丈夫。私は平常通り」


 口ではそう言ったが、世界が変わらない事に風花は戸惑い、震える自分の手を強く握った。


***


「ねえ、吉沢ってさ。俺の事避けてない?」


 一週間前に聞いた様な台詞。


 風花の机に両手をついて、超至近距離で風花の顔を覗く樹。風花は、持っていた数学の教科書で樹の顔を遮り、


「避けてない」


 と横を向く。樹は教科書を押し倒し、


「じゃあ、この教科書は何だよ」

「数学だけど?」


 ガックリと頭を垂れて、それからアハハと笑う樹。風花は、横目でその笑顔を見ては胸が痛む。


「確かにそうだけどー!」


 まだ笑っている樹。風花はその笑顔に再びボーっとしてしまい、それからハッとして立ち上がった。


「私、避けてないからねっ!」

「って何で、全速力で逃げるの!?」


***


「本当にどーしちゃったの!? 風花!!」


 和希は元に戻らない風花のコンディションに、苦悩の叫びを上げる。

 今日の部活の練習も散々だった。

 サーブは全然入らないし、攻撃もアウトばかり。相手チームのブロックにもことごとく捕まってしまった。

 監督にしょっぴどく叱られて、コートの端で、お前が居ると邪魔だ!筋トレをしていろ!と言われてしまう始末。


「どうしたの? 風花。あと二週間だよ!?」


「きーちゃん、駄目だった」

「え?」


「切り替えの儀式が、使えない」

「……ちょっと、話そうか」


 和希は風花を中庭の階段へと連れて行った。


「最近、何かあったの?」

「……二つほど」


「二つもあったのか。一つめ」

「体育祭に出られない」


「風花、いつから体育祭大好きっ子になったのよ? 全然眼中無かったのに」

「……二つめは、一週間前。高田に告白したんだけど……」


「ふーん。……えっ!? 高田に告白?……って、どこの高田!?」

「バスケ部の高田」


 和希は、ひえええ!と叫びを上げて頬に両手を当てる。


「風花って高田樹が好きだったの!?」

「う、うん……」


「そうかぁ。それで……振られちゃったの?」

「振られてない……」


「じゃあ、両想いだったの!?」


 風花は一週間前の放課後を思い出す。

 そう、風花が告白して、樹はそれに笑って応えた。その後は一緒に松方精肉店でコロッケを食べて普通に帰った。


 両想いだと思う。

 でも……付き合っているのか?と言われれば、疑問が残る。

 あれから一週間、恋人らしい事は全くしていない。風花は樹を見たり、近くに居るだけで緊張し、なんとなく避けてしまうし、教室では樹が至近距離で話して来るが、どう対応していいか戸惑ってしまう。

 それを聞いた和希は「なるほど~」と頷き、


「風花は高田との関係が上手くいっていないから不調って訳なのね!」

「違う。違うよ、きーちゃん」

「じゃあ、なんでよ?」

「私の調子が悪いのはね……、高田が……カッコイイから」


「――はあ?」


「高田見ていると、平常心で居られないの。ドキドキフワフワして、切り替えの儀式をしても、世界は戻らなくて……駄目だ、考えただけで、冷静になれない……」


 顔を覆う風花に、和希は大きくため息をつき、


「あほらし! ただの色ボケじゃん。どうせ体育祭も高田が絡んでいるんだろ?」


 呆れた口調で風花を責める。そして、大きく息を吸うと、


「しっかりしろよ、エース!! 恋は一生出来るが、バレーは今だけだぞ!」

「!」


「今度の土曜日は最後の練習試合。そして、翌週は予選大会。全国大会は一月。恋は年中発動OK。優先順位分かるな?」

「分かる。春高が一番」

「即答でよろしい。それでこそ風花だ!」


 和希が親指を立てた時、「お疲れ様でしたー!!」と、グラウンドから応援団の練習が終了した声がする。


「き、きーちゃん! 先に帰る!!」


 風花は、慌てて立ち上がり、樹と会わない様に駆け足で荷物を取り行った。

 残された和希は、


「おーい。言葉と行動が矛盾しているぞー」


と、走り去る風花に声を掛けたが、風花の耳に入る事は無かった。


***


しかし遅かった。

樹はジャージ姿のまま、校門で待ち伏せしていたのだ。

風花を見るなり、ズンズンとこちらへ歩いてくる。


「吉沢、一緒に帰ろうぜ」

「……えっ」


 風花の戸惑う表情を見た樹の顔が曇った。

 怒っている。樹は眉を吊り上げ、風花を睨み付けている。

 樹は、いきなり風花の手首を掴むと、引っ張り、校門の横にある花壇のベンチへと座らせた。そして、風花が逃げない様にベンチの背もたれを両手で掴むのだ。


「……なんで、俺の事避けるの?」


「……」


「理由を言ってよ」


「……た、体育祭に出られないの」

「え?」


「女子バレー部は土曜日練習試合で体育祭出られないの」

「そ、そうか……残念だな」


「……」


「……理由、それだけ?」


 少し呆れた口調で、肩の力を抜く樹。

 すると、ポトン、と風花のスカートに温かい物が落ちた。

 風花も信じられなかった。自分の目から涙が零れた。泣いている。自分の胸がすごく痛い。苦しい。樹も、泣き出した風花に驚いて、ベンチから手を離した。


「……だって、本当は見たいの。高田の事、たくさん見たい。一緒に居たい。なのに私はバレーを優先する。バレーが一番で、高田は二番。でも、高田がカッコよすぎて、私の心が一番にしようとする。その葛藤が辛い」


「――吉沢」


 見上げると、また至近距離に樹が居る。

 樹は、風花の涙を手で拭う。


「なんで順位つけるの?」

「?」

「なんで俺が一番になると切り捨てようとするの? 別に体育祭見られなくても、普通に恋が出来なくても、俺は此処に居るよ。ただそれだけ」

「それだけ?」


「うん、そんなに不安にならなくていいんだよ。吉沢が付き合うとか、そういうのが今は負担なら、両想いの二人でいいじゃん?」

「……想っているだけで、いいの?」


「うん。今はね。今は」


「……それなら、出来る」

「なら、そうしよう。だから避けないでよ」

「でも避けないと、バレーが出来ない」

「じゃあ、避けてもいいよ。その代わりサインを頂戴?」

「えっ? 私は有名選手じゃないから、サインとか考えていないけれど……?」


 樹は、ガクリと頭を垂らす。


「違う……。合図って意味! 毎日一度だけ、俺と目を合わせて笑ってよ」

「あっ、そっちの意味」


 風花は自意識過剰な思い込みに顔を赤くさせる。


「出来るよね?」


「出来ると思うけれど……」


「じゃあ、はい。今、やって?」


 戸惑い、目を泳がす風花の手を優しく掴む樹。いきなり笑えと言われても、不器用な風花は、笑い方が分からなくなる。

 細目になり、口を半開きにして頬をひきつらせる。

 これでは、ただ歯をむき出しにしているアルパカだ。


 すると、樹が風花の変顔に堪えきれなくて笑い出した。


「あははははっ! ご、ごめんっ。本当に吉沢は面白い!――好きっ!」


 その瞬間、樹はハッとして「ああああっ」と呻きながら、頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「――高田? どうしたの??」


 頭を上げてくれない樹。

 風花はベンチから立ち上がり、樹の周りをウロウロして様子を窺う。

 どうしよう。急に体調が悪くなったのだろうか?


「頭、痛いの?」

「違う、言葉にやられた」


 すると、樹は真っ赤な顔を腕で隠しながら、風花に言った。


「あー……好きって、言葉にするのってこんなに恥ずかしいんだな」


 照れている。

 いつもは風花にグイグイ来る癖に、風花に一言「好き」と言っただけで、とても照れている樹。

 風花は、そんな樹を見て、思わず口元が緩んだ。


 樹は、自然に優しく微笑む風花を見つめ、まだ耳が赤いまま「いいね」と笑ったのだ。



***



 緊張した風花は、切り替えの儀式をする。

 深呼吸を三回すると、世界が鮮明になる。


 練習試合三セット目。

 25対24。

 次の一球で、勝負が決まる。


 敵のサーブが、鋭く風花のコートへと入るが、後衛のウイングスパイカーが何とかボールを上げる。

それを、和希が滑り込む様にボールの下に走り、綺麗なトスを上げながら叫んだ。


「風花!!」


 ボールが、宙を舞う。


 風花はヒュッと息を吸うと、力強くジャンプした。

 視界はコートの上。

 風花は狙いを定め、敵コートへとボールを打ち付けた。


 狙うは、コート左端。

 敵のリベロが瞬時に反応したが、遅かった。ボールはコート左端の床を打ち付けて変形し、ポーンと弧を描いて壁に当たり跳ね返る。

 ピピーッと主審が笛を吹き、風花のチームを示す。


「ナイスキー! 風花!!」


 風花は肩に絡んだポニーテールを振り払い、小さくガッツボーズをする。

 そのガッツポーズの先には、同じくガッツポーズをする樹の姿があった。


 雨降る土曜日。

 体育祭は月曜日に延期になった。


 風花は、初めて体育祭に参加が出来そうだ。勝利したチームを思って、応援する樹を見て、そして……明後日の体育祭の事を考えて、風花は自然と微笑むのだ。




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世界で一番どうでも良い15センチ さくらみお @Yukimidaihuku

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