天井近くに嵌め込まれた窓から夏の強烈な西日が差し込んできた。部屋がオレンジ色に染まる。ついさきほど事件に幕をおろした探偵は、向かいで腕を枕に微睡まどろんでいた。

 私はラップトップを開いて、この事件の全容を打鍵している。十川記者から今日中に記事を送ってくれと迫られたのだ。


 ドアがノックされる音が聞こえた。

 「どうぞー」と私が返す。

 訪問者は鬼無刑事だった。


「良かった、まだ残っていらして」


 鬼無刑事は額に吹き出た汗をハンカチで拭った。


 「どうしたんですか?」と私。

「お礼を言い忘れていたなと思いまして……。あぁ、名探偵は昼寝中ですか」

「すいません、疲れが一気に出たみたいです」


 ちょっと、と彼の肩を揺すっても全く起きる気配がない。

 「あぁ、紀野さん。結構ですから」と鬼無刑事が止めに入る。


「鬼無が感謝していたと後でお伝えください。それと紀野さんには色々とご迷惑をおかけしましたね。改めてお詫び申し上げます」


 彼は深々と頭を下げた。


「いえ、正直ちょっと怖かったですけど。まぁ終わったんでいいです」

「そう言っていただけると、こちらもありがたいです」

「それで、要件はそれだけですか?」

「もう一つ。一応、神楽瑠衣の取り調べのことをお伝えしておこうと思いまして」


 私はパイプ椅子に座ることを勧めたが、鬼無刑事は断りその場に立ったまま話を始めた。


「彼女は素直に容疑を認めています。『自分が毒入りの缶と菊池遥佳のものをすり替えた』と」


 「そうですか……」と私はなんとも言えない返答をした。

 だったらなぜ、そんなことを私に話しているんだろう。


「ただ一点だけ不可解な部分がありましてね。いえ、藤塚くんの推理を否定するわけではないんですよ。神楽瑠衣の供述はほとんど彼の推理通りでしたから。ただ1つ――」


 彼は人差し指をぴんと立ててこう言った。


「未成年の女子高生がどうやってタバコを手に入れたのか、そこが引っかかるんです」

「大人っぽい見た目に変装したのでは?」

「確かに男子ならそれで騙し通せるでしょう。しかし。コンビニで買うとなると年齢確認をされるでしょう。そして何より彼女の両親は二人とも禁煙者だ」

「つまり、どういうことですか?」

「私は、と思っています」

「神楽さんはなんて?」

「何にも。詳しいことは教えてくれませんでした」


 室内の音が全て無くなった。空調のファンが辛うじてこの世界が進んでいることを担保している。

 チャイムが鳴り、部室棟全体が賑やかになり始めた。練習を切り上げた運動部が着替えに戻ってきたのだろう。


「では私はこれで……。娘に見つかると嫌な顔をされるので」


 鬼無刑事は少し笑いながら部室の扉を開けた。


「あの鬼無さん。なんでそんなことを私たちに教えたんですか」

「お二人なら、また何か我々の想定外のところから真実を引っ張り出してくれるかもと思いまして」

「それはただの過信ですよ。私とそうちゃ、藤塚くんは……ただの高校生です」


 鬼無刑事は一度瞬きをすると、「そういうことにしておきましょう」とだけ言い残して部屋を後にした。


 机の方に視線を移す。机に突っ伏したままのそうちゃんは微動だにしなかった。呼吸をするたびに肩から背中にかけての輪郭が僅かに膨張と収縮を繰り返している。私は今書いている記事の切りの良いところまで仕上げると、自前のUSBメモリーを抜いてラップトップの電源を落とした。

 続きは家で書けばいい。

 荷物をカバンの中にまとめると、彼の肩を強く揺すって眠りから覚ます。


「そうちゃん、そろそろ帰るよ」

「…………ん? あぁ、うん……」


 ゆっくりと首を起こした彼は、一度大きく伸びをするとカバンを持って席を立った。

 エアコンのスイッチを切り、消灯していることを確認すると鍵を閉める。それからいつもの通り、すぐそばに置いてある植木鉢の裏に鍵を貼り付けた。

 学校を出る前に担任の十川と出会でくわした。顔にはかなり疲れが浮かんでいるように見える。


「先生、大丈夫?」

「もう先生じゃないよ」

「えっ?」

「さっき辞表を出した」

「そんな、先生のせいじゃないんに……」

「俺のせいだよ。いや、たとえ俺のせいじゃなくても責任を取るのが大人の役目だ」


 そう言って彼は笑いながらネクタイを解く。

 「これからどうするんですか?」とそうちゃん。

 十川は「どうしようかねぇー」と抑揚のついた声つぶやく。

 それから彼はおもむろに西の空を見上げた。遠くの稜線の向こう側に太陽が沈みかけている。

 それを見ながら彼は「二人とも、本当にありがとうな」と優しい声で言った。

 午後六時のチャイムが鳴る。

 完全下校の時刻だ。


「じゃあな二人とも元気で」

「先生もね」


 彼は私たちが門を出るまでずっと校舎の入り口で見守っていた。その顔に寂しさはなく、むしろどこか重荷が解かれたような清々しさすら感じた。

 どこかで蝉が泣いている。

 空はまだ明るいのに、街灯がポツポツと点き始めていた。

 私たちはいつものように並んで帰る。

 信号待ちの時、私はさっきのことを聞いてみた。


「そうちゃん、実は起きとったやろ?」

「いや……」

「じゃあ荒木さんの殺害の黒幕は誰やと思う?」

「さぁ」


 信号が青に変わった。


「でも、それが誰だろうともう、どうでもいいけどね」


 彼はそう言うと、私を置いて先に横断歩道を渡り始めた。

 ほんと私の名探偵は嘘をつくのも、誤魔化すのも下手くそだ。

 私は少しだけ口角を持ち上げながら彼の後ろを追いかける。

 やがて同じ長さの影が二つ並んだ。

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