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教室全体がしんと静まり返った。
一同の注目を集める神楽瑠衣は微動だにしない。
「そんな、まさか神楽さんが犯人だなんて……」
誰かがそんな言葉を呟いた。
「しかし、神楽さんは菊池さんを狙っていたのだろう? それがどうして荒木さんの死に繋がるんだ?」
鬼無刑事が疑問を投げかける。
「もうお分かりでしょう? コーヒー缶のすり替えが行われたのは一度だけじゃなかったんですよ」
私たち全員がその言葉に驚愕した。
「つまり神楽瑠衣が、自分の缶と菊池遥佳のものをすり替えて、その後に菊池遥佳が荒木勝の缶をすり替えたというわけか」
鬼無刑事が事件の経緯を詳しく説明をするが、すぐに「違います」とそうちゃんに撥ね付けられてしまった。
「お忘れですか? ゴムボートに残っていた缶には、被害者の指紋しか検出されなかったんですよ」
そうだ、あの缶に荒木さんの指紋しか残っていなかった。だから彼にコーヒーを渡した美波は犯人ではないと結論づけられたのだ。
「じゃあ荒木さんが缶を取り間違えたってこと?」
確かにそれなら、菊池先輩を狙って荒木さんが殺された事態に説明がつく。
「ちょっと待って!」と言って菊池遥佳先輩が手を挙げた。
「荒木さんが自分の缶を取り違えが起こることなんて絶対にありえないわ」
「詳しく説明してください」と男木刑事。
菊池先輩は身振り手振りを踏まえて説明を始めた。
「荒木さんはいつもゴムボートにクーラーボックスを積んでいました。私たちは自分の飲み物をその中に入れていたんです。温くならないし、何より船の重量を少しでも軽くしたかったから。けれど飲み物が重複したら誰のものかわからなくなる。そこで私たちは自分の物だと分かるように目印を書いていたんです。例えば私は蓋に『菊』って書いていました。昨日も休憩の時、ちゃんと『菊』って書かれた缶を受け取りました。だから荒木さんが私の缶を取り間違えるはずがないんです」
「なるほど、確かにマーキングをしていれば他人に取り違えられることはない」
男木刑事は相槌を打ちながら手帳に書き込んでいく。
今度は皆、一斉にそうちゃんの方を向いた。犯人がすでに公表されたため、彼らにとってこの謎解きはもはやレクリエーションの一環でしかないのだろう。
そうちゃんは「では、やってみましょう」とだけ言うと、缶コーヒーを二つ取り出した。いま話の焦点となっている、あのボトル式のものだ。力を込めて蓋を捻る。カチッと音が鳴ってそれは外れた。同じようにもう一本も蓋を外す。
左右の手でそれぞれを摘むようにして持ち、蓋の表面をこちらに向けた。片方の蓋には星印が描かれている。
「菊池先輩は蓋に印が付いているから取り違えることはないと言いました。しかしこうしたら……」
菊池先輩が「あっ!」と声を出す。
そうちゃんが左右の手を交差させたのだ。無論それぞれの手に握られた蓋も交差する。
「当たり前ですが、ボトル式の缶は蓋と本体に分離されます。ですからこのように蓋だけをすり替えれば、どちらが自分のものかを誤認させることなど容易なのです」
もっとも今回の事件ですり替わったのは蓋ではなく本体の方ですが、と彼は付け加えた。
「つまり最初に、神楽瑠衣が毒入りの缶の蓋を外して、本体だけを菊池遥佳のものとすり替えた。その後、被害者の荒木勝も同様の手段で意図的に缶をすり替えたということか」
男木刑事が事件の経緯をまとめる。
「ええ。ついでになぜ神楽さんの指紋がつかなかったのかについてですが、おそらく五十嵐先輩が失くしたと言っていた軍手を使ったのでしょう。犯行後は後で海に捨てれば証拠隠滅です。彼女がしたことはそれだけです。だから海上で荒木さんが倒れた時はさぞ驚いたでしょう。まさか別の人が同じ手段で中身を入れ替えたなどとは思ってもいなかったのでしょうから」
「しかし、被害者はなぜそんな七面倒臭いことをしたんだ? そんなことをして何のメリットが――」
「男木刑事、メリットデメリットで考えてはいけません。全ての人間が損得勘定で動いているわけではないんですから。趣味嗜好となればなおさらです。凡人の理解に及ばないこともあるでしょう」
「なら、君はその理由も分かるというのか?」
「もちろんです」
そうちゃんは教卓に置かれた片方の缶に口をつけて喉を潤す。
手の甲で唇を拭うと、話を再開した。
「たしか先刻の話では、菊池先輩は荒木さんから度重なるセクハラを受けていたようですね。死者への尊厳を保つために皆まで言うのはやめておきますが、つまりはそういうことです」
全員の顔から血の気が引いた。
菊池先輩は自分の肩を抱き抱えるようにして震えている。
まさかそんなことのために缶をすり替えて、その結果自ら命を落とす頃になるとは。
変態ここに極まれりだ……。
「君の考えは確かに一理ある。が、まだわからないことがある」
鬼無刑事が髭を摩りながら唸るような声を出した。
「動機だよ。被害者が自ら缶をすり替えた理由は分かったが、神楽瑠衣さんはどうして菊池遥佳さんを殺そうとしたんだ?」
「だから殺そうとはしていないんです。ただ菊池先輩が体調不良を訴えて一週間後の大会に欠場してくれればそれでよかった」
「神楽は同じヨット部員だぞ! 仲間を傷つけてなんの得があるんだ?」
部長の石崎先輩が反論する。
「それはあなたの算盤での勘定だ。神楽さんにとっては菊池先輩が大会に欠場してくれた方が、たとえ自分の手を汚したとしても十分にお釣りが来るだけの得があったんですよ。そうですよね、神楽さん」
そうちゃんが神楽瑠衣の方に顔を向けた。彼女の目は潤んでいる。
「荒木さんを殺すつもりはなかったんです……。ただ菊池先輩には試合に出てほしくなかった。ただそれだけだったんです」と彼女はゆっくりと話し始めた。
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