「どういうことです? そもそもあいつは、新庄は今どこにいるんですか?」


 部長の石崎先輩が代表して質問する。十川は俯きながら話を始めた。


「新庄は十一月の中頃から学校に来ていない。年が明けてすぐ、退部届が郵送で送られてきた。その時はまだ正式に受理しなかったんだが、結局あいつはそのまま一日も学校に来ることなく三学期を終え、そして留年が決まった。三月、新庄の担任からウチの通信制課程に編入することを伝えられた。それでヨット部は自動的に退部扱いとなった」

「そんな通信制に編入していたなんて……」


 藤岡俊樹が、俯きがちにつぶやいた。


「なんで俺たちに教えてくれなかったんですか!」と部長の石崎慎吾が。

「黙っていたのは悪いとは思っている」


 十川が頭をさげる。


「十一月の中旬って……」と匂坂勇気。

「新人戦があった頃だ」


 石崎先輩が顔を歪めながら言葉を繋いだ。


 新人戦とは秋に行われる公式戦のことである。三年生が夏の大会で引退した後に戦う最初の大会でありながら、半年後に迫った夏の総体の前哨戦という意味合いも強い。ライバル校と自分たちの差を目測できる年内最後の機会だからだ。


 その時に菊池先輩と新庄先輩の間に何かがあったのは明らかだろう。菊池先輩の言葉遣いからも二人がどのような関係だったのかが垣間見えてくる。菊池先輩が新庄先輩に強く当たり、それで彼女の心は折れてしまった――おそらくはそんなところだ。


「なに? まさかあんたたち、真冬が私と船に乗るのが嫌になったから不登校になった、なんて言い出すんじゃないでしょうね。何それ、勝手に逃げておいて」


 菊池遥佳先輩の言葉には有無を言わさぬ圧がこもっている。


「菊池、不登校は決して逃げなんかではない!」


 突然教室に響いた大きな声は、十川のものだった。

 普段温和な彼の突然の激昂に、その場にいた全員が目を丸くする。


「人間関係が原因で学校に来られなくなる生徒は少なくない。はたから見れば些細に思える言葉が胸に深く刺さる人もいる。心の強さは人それぞれだ。それを『逃げ』だなんて一方的な言葉で片付けてはいけない」


 そしてお前たちも、と十川は生徒全員の目を一人ひとり見ながらこう言った。


「自分のものさしで、相手を測るような人間には絶対になるな」

 

 私は十川の指導者としての矜持に触れた気がした。

 誰も言葉を発しない。突然、説教をされた菊池先輩はほぞを噛んでいる。


「話を戻しましょう」と教壇に立つそうちゃんが口を開いた。


「つまり新庄先輩が退部したことで菊池先輩は一人になった。その穴を埋めるために五十嵐先輩と東雲先輩のペアが解体されて、東雲先輩と菊池先輩が新たにコンビを組んだということですね」

「五十嵐にとっては相棒を奪われたようなものだもの、私のことを恨むのも当然よね」


 菊池先輩が美波の方を向いて、睨みつけた。


「そんな。私、五十嵐先輩のことを恨んでなんかしていません!」


 美波が必死に否定をする。

 一体この擦り合いはいつまで続くのだろう。

 聞いていて良いものではないし、参加している部員たちもお互いの黒いところに触れて辟易しているだろう。

 これじゃあ本当に空中分解してしまう。


「藤塚くんの推理によれば、五十嵐が荒木さんに渡した後に毒入りのものとすり替えられたんでしょ? あんたが二つとも用意していたのなら、交換するなんて造作もないことでしょうね」

「いえ、その説は考えにくい」


 そうちゃんが止めに入った。


「何度も言いますが、ボートから発見された缶から荒木さん以外の指紋が検出されていないんですよ。つまりことになります」

「セーリンググローブならみんな持っているわよ。ヨットの部品は全て可動式のロープに繋がれていて、私たちはそれを引いたり緩めたりして操作しているもの。摩擦から手を守るのに必要なのよ」


 五十嵐先輩が反論する。


「そのようですね。警察の所持品検査によると、みなさん必ず手袋を一着持っている」


 そうちゃんは先ほど、男木刑事から渡された資料を見ながら答えた。


「だから、五十嵐が犯人だった可能性だって――」

「いえ。使


 菊池先輩の動きが止まった。

 そうちゃんは話を続ける。


「どうやらグローブと一言で括っても、みんなが使っているものはバラバラなようですね。市販のゴム引き手袋をそのまま使う人がいれば、革製のものを使用している人もいる。形状も指先まで覆われているものと、五十嵐先輩のように指抜きタイプの二種類があるようだ。ちなみに指抜きのグローブを他に使っていたのは石崎先輩、東雲先輩、匂坂先輩、高木の五人です」


 「か」と石崎先輩が漏らす。


「クルーというのは?」


 そうちゃんが尋ねる。


「役職の名前だよ。例えばうちのペアは、藤岡がスキッパーで俺がクルー。スキッパーは舵取りと後方の帆の調整をしていて、クルーは前方の帆の調整と周囲の確認。それと船のバランス調整を担当しているんだ」

「担当によって身につけるものが変わったりするんですか?」


 そうちゃんが顎に手を当てて、考察をする。


「基本的には同じだ。手袋のように少しずつ違う部分もあるが……唯一違うのはハーネスくらいかな」

「ハーネスって、バンジージャンプの時につけるあの?」

「あぁ、クルーは必ずライフジャケットの下にハーネスを着て海に出る。強風の時にはハーネスの腰元にあるフックをマストから伸びるワイヤーに引っ掛けて、船のへりに立つんだ。そうやって船が横転するのを防ぐ」

「ちなみにお聞きしますが、それぞれの役職を兼業できる人はいますか?」

「うーん。舵取りができるようになるにはかなり時間がかかるからな。クルーがスキッパーをすることはないと思うぞ」


 石崎先輩は顎を摩りながら答えた。


「じゃあ、逆はできる?」

「船を走らせるだけなら。スキッパーは船の後ろに座るからクルーが何をしているのか見ているからな」


 「お前クルーできるか?」と横に座る藤岡先輩に尋ねた。

 藤岡先輩は「まぁ、動作だけなら……」と答える。

 「なるほど、勉強になります」とそうちゃんが礼を言った。


「と言うことは、この時点でってわけか? すげぇ、もう半分まで絞り込めちゃったよ」


 容疑者リストから外れた安心感からか、匂坂勇気は口笛を鳴らす。


「他の人のグローブを拝借してすり替えることは可能だろ!」


 今度は絞り込まれた網に取り残された藤岡先輩が唾を飛ばしながら反論する。


「いや、それは無理だ。俺たちは自分のグローブやライフジャケットを船のワイヤーに吊るして乾かしている。思い出してみろ、出艇前はみんなそれぞれ自分の船の準備をしていたんだぞ。気づかれずにパクるのは難しい」


 石崎先輩がすぐに否定した。


「お前、相方を犯人にしたいのか!?」


 寡黙な藤岡先輩もこの時は石崎先輩の胸ぐらに掴みかかった。

 石崎先輩は「論理的に話を進めているだけだ」と言って、彼の手を払い除けた。


「ちょっと待って!」


 菊池先輩が声を上げた。


「何かおかしい。でも待って、何がおかしいの……」


 そう言ったきり俯いて真剣に考えている。

 やがて何かが閃いたような顔をして、こちらに向いた。

 いや、正確には私の前に座る五十嵐美波を見ている。

 

「あんた元々スキッパーだったよね。なのにどうして指抜きのグローブを使っているの?」


 菊池先輩の指摘に美波は表情を硬くした。

 確かによく考えてみればおかしな話ではある。

 東雲さんは元々美波と組んでいて、この春相方が菊池先輩に変わった。つまり――スキッパーだったということだ。

 ならば彼女も指先までしっかり包まれたグローブを持っているはずである。

 しかし彼女の手荷物から出てきたのはクルー用の――指抜きものだったのだ。


「これは一体どう言うことなのかしら?」


 一同の視線は再び美波の方に集まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る