3
「まぁ、好きなところに座って」
「おじゃましまーす」
壁に取り付けられているリモコンを操作してエアコンを点ける。
空気孔のフラップが上下に動き始めた。
冷たい風が出てきたのを確認すると、私は美波が座った向かいに腰を下ろす。
「まぁ何もないところやけど、くつろいでいってよ」
部屋の中にはこの四人掛けのチェアセットと、窓際に置かれたホワイトボードしかない。
部室というよりは小さな会議室といった作りだ。
「そういえば、あの記者さっき記者会見に行くって言っとったよね。もしかしたらテレビとかで中継されるんかな?」
私はポケットからスマホを取り出すと、動画配信サイトのアプリを開いた。
画面には我が校の体育館と思しき場所が映されている。壇上には長机とパイプ椅子が置かれていた。真ん中に校長先生、左右には教頭先生と我らが担任の十川が座っている。
十時半になり、会見が始まった。
壇上の彼らが立ち上がり一礼をすると、画面が真っ白になるほど強烈なフラッシュが焚かれた。校長はマイクを握ると会見の趣旨と学校の対応について話し始める。
「ヨット部の活動休止を決定――」
スマホからその言葉が流れ、シャッターを切る音が一段と大きくなった。
アリーナに設けられた椅子に座る記者たちが一斉に質問を始める。
「十川先生、生徒たちにはなんと声を掛けるつもりですか?」
「インターハイの予選が週末に迫っている中での決定について、一言お願いします!」
「ヨット部員の中に犯人がいる可能性は……」
無慈悲な質問が顧問の十川に向けられていく。
画面はそこでスタジオに切り替わった。
どうやらワイドショーの途中だったようだ。評論家たちが次々とコメントをしていく。最後に進行役のアナウンサーが「続報が入り次第、お届けします」と話題を打ち切ると、「さて次は今夜、再接近を迎えるホームズ彗星について……」と朗らかな口調で次のニュースを読み始める。
その切り替えの速さが、この事件を消費物の一つとして扱われているように感じ、私は嫌悪感を覚えた。
画面を切ると、さっきまでの喧騒がなくなり静寂に包まれた。
美波は俯いていた。
さすがの私でも向かいに座る彼女とどう接すれば良いかわからない。ただじっと彼女の様子を眺めていた。エアコンのファンが回る音だけが聞こえる。
しばらくして顔を上げた彼女。
「……ごめん。なんか、きーちゃんにまで気ぃ使わせちゃったね」
そう言ってまつげに溜まった涙を指先でそっと拭う。
「ううん。その、なんて言ったらいんやろ……残念、だったね」
「うん、残念。私は元々今回の大会には出られんからダメージは少ないけど、三年生の先輩たちは辛いやろうなぁ。それに小春も。遥佳先輩とインハイに行くことを目標に春からずっと頑張っていたのに」
「これからどうなるんやろ?」
「十川先生に聞かな、なんとも……」
私の頭の中にはふと「廃部」の二文字が浮かんだ。
おそらく美波も同じだろう。
彼女は少し黙り込む。そして「ねえ、きーちゃん」と声を絞り出した。
「なに?」
「この事件の解決を、藤塚くんに頼んでもらえんかな?」
彼女は私を見てはっきりと言った。
「さっきの刑事さんとの一件を聞いた時から思っとったんや。私たちの中でこの事件の真実に迫れるんは彼しかおらんって……。それに、実はまだ刑事さんたちにも話していないことがあるんだ」
「まだ話してないことって?」
美波は深く息を吸うと、いつも通りの可愛らしい声でこう言った――
――あの毒入りコーヒーね、私が渡したの、と。
彼女のその言葉に、私は雷に打たれたような感覚を覚えた。
全身の毛が逆立ち、背筋が自然と伸びる。
私は震えた声で精一杯の言葉を紡ぎ出す。
「そ、それって、美波が――」
「違う! 私は殺してない!」
彼女の叫び声が室内に響き渡る。
そんな取り乱した彼女の姿を見たのは初めてだ。私は何も言えずにただじっと椅子に座っていた。
少しして落ち着きを取り戻した美波が「ごめん」と口にする。
「でも、やっぱりそう思うよね。だから刑事さんたちには言えんかった。でも、私は毒なんか盛ってない」
「信じて欲しいって言っても、信じてくれんよね……」と美波は寂しそうに呟いた。
なるほど。なぜ突然そうちゃんに事件の解決を依頼したか、私にも読めてきた。つまり、彼女はこの事件の犯人を暴いてもらうと同時に自身の無実も証明してもらいたいのだ。
そこで素人探偵の出番というわけだ。
「それにこのままやとヨット部はバラバラになってしまう。お願い、しーちゃん! 藤塚くんと一緒に真実を明らかにしてくれん?」
その最後の言葉は反則だろう。
だって真実を明らかにするのは記者の役目じゃないか。
「分かったよ。とりあえず私の方からそうちゃんに提案してみるけど……」
果たして彼は乗ってくるだろうか。
なにぶん綾歌さんの専門分野だから、きっと嫌がるだろうなぁ。
安堵の表情を浮かべる美波を見て、私は少し申し訳ない思いに駆られた。
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