<第3章> 彗星の絆

 学校の敷地から出ると、すぐにアスファルトの放射熱にやられた美波が立ちくらみを起こした。


「ちょっと、大丈夫? 保健室行く?」

「ううん、平気」

「本当? 無理せんと言ってね」


 私たちは、なるべく建物の影になりそうな場所を選びながら歩みを進めた。

 

 高松は一年を通して雨の日が少ない。瀬戸内海を跨いで中国山地と四国山地に挟まれているため、季節風の影響を受けないからだと地理の授業で習った。


 晴れの日が多いのは良いことだが、その分弊害は多い。

 まず雪が積もらない。年に一度くらいは雪の降る日があるのだが、当然積もらない。その副作用なのか多くの市民が冬場になると県外のスキー場に大移動を始める。雪無し県のくせにクラスのほとんどがウィンタースポーツ経験者なのだ。


 そして何より深刻なのは、水不足だ。高松は昔から深刻な水不足に悩まされてきた。現在は上水道が整備され、高知の山奥にあるダムから安定的に供給されてはいるが、つい二十年くらい前までは夏場の断水は当たり前で、自衛隊の給水車が水を届けに来たこともあったらしい。そのためダムの貯水率は今でも市民の関心事となっているのだ。


 まぁ、今年はいくつか台風が来たから断水の心配はないだろう。


「けど、流石にこの暑さは異常やなぁ。灼熱地獄やわ」


 汗に濡れた下着がピッタリと身体に張り付いて気持ちが悪い。


「あそこにコンビニあるけど、入る?」

「入る!」


 私は即答した。

 目の前にある青信号は点滅しかけている。


「ダ――――ッシュ!」


 私は叫びながら最後の力を振り絞って横断歩道を駆け抜けた。


「ちょっと、きーちゃん」


 虚を突かれた美波は少しの間立ち往生をしていたが、意を決して私の後ろをついてきた。けれど彼女が半分を過ぎたところで信号が赤に変わる。車道に停まっていた車がクラクションを鳴らした。


「美波、早く!」

「はあ……はあ……」


 彼女は必死に腕を振ってなんとか横断歩道を渡り切った。そのすぐ後ろを猛スピードで車が通り過ぎていく。美波は膝に手をつくと肩を上下にさせて息を整えた。


「いきなり……走るから……びっくり、したやろ……」

「ごめん、ごめん」


 と謝りつつも頭の中では、小さな女の子が必死で走る姿っていいなぁ……と私はどうでも良いことを思っていた。


「オアシスはすぐそこだ。さぁ行くぞ! 五十嵐隊員」


 私は砂漠を進むトレジャーハンターのような気分でコンビニエへ向かったのだった。

 きっと昨夜テレビでやっていた洋画劇場の影響だろう。

 ドアを開くと、真冬のように冷たい空気が身体を包んだ。


「あー、生き返るぅ」


 私は制服のリボンを少し緩めると、襟元をパタパタとさせた。

 胸元に溜まった熱気が外に放出され、代わりに冷たい空気が入ってくる。身体に纏わりついた汗が一瞬で冷却されるのがなんとも心地良い。


「はしたないよ、きーちゃん。学校じゃないんやから」

「いいよ。どうせこの時間、誰も知り合いおらんのやから。それよりアイス買お」


 私たちはアイスコーナーへ移動した。霜が張ったケースの中には色とりどりのアイスが並んでいる。バニラやチョコも好きなのだが、今度は飲み物が欲しくなってしまう。今日は果物系のものにしようかと思案していると、隣も美波が「あっお財布……」と声を漏らした。


「私もカバンの中やわ……」


 お互いの目を見て全てを理解すると、私たちは同じタイミングで項垂れた。

 一体、なんのために滝のように汗をかいてここまできたのだろう。


「しゃあない。もうちょっと涼んだら帰ろっか」


 私がアイスが陳列されているケースを閉めようとしたその時、右の方から「ちょっといいかな?」と声がした。


 声の主は夏なのにワイシャツの第一ボタンを止めて、ネクタイまで締めていた。左肩には黒いバッグをぶら下げている。そのベルトに刺繍されていたロゴから中に入っているものが一眼レフだとすぐに察した。

 確かそうちゃんも同じようなものを持っていた気がする。


「その制服。松鷹生徒だよね。授業サボって買い食い? 不真面目だなぁ〜」

 

 その男は汚い笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる。


「そういうおじさんはマスコミやろ」

「おじさんって、まだ20代なんだけど」


 彼は胸ポケットから名刺を取り出した。

 私はそこに書かれた肩書きに目を凝らす。


「へぇ、おじさん四国通信の記者なんや」


 四国通信社は、高松に本社を置く四国地方のブロック紙だ。地域密着を掲げるこの新聞社は、四国全県で購読率五十パーセントを超えている。在京の大手紙が地方に触手を伸ばすこのご時世、それでもまだまだ元気な地方紙なのだ。


「名前は、十川浩平そがわこうへい……えっ! 十川?」

「おっ、その反応。もしかして心当たりが?」


 私たちの反応を見て十川記者はワントーン声の調子を上げた。


「ウチにも同じ名前の先生がいて、私たちの担任なんですけど」

「あぁ。それ、うちの兄です」

「「えぇ!」」


 私と美波は同時に驚愕の声を上げた。すぐに今コンビニの中にいることを思い出して少し申し訳なさそうに肩をすくめる。


「なんだ兄貴の担任ならちょうどいい。ちょっと話を聞かせてくれないかな?」


 私は美波と顔を見合わせた。

 そう簡単にペラペラとマスコミに喋ってもいいのだろうか……。


「まぁいいや。最近はメディアの取材姿勢もすぐ問題になるからね。無理強いはしないよ」


 そう言いながら彼は、アイスが並ぶケースを開けた。


「それにしても今日は暑いね。三十度超えるかもだって」


 彼は指を左右に振って目当てのアイスを探しながら、甘い誘いをかけてくる。


「アイス、食べる? 奢ってあげるよ」

「でも……」

「別にアイス一本で情報をよこせなんて言わないよ」と彼は笑う。


 そう言いながら彼はカップアイスを二つ、私たちの前に掲げた。

 しかもハーゲン……。さすが大人だ。

 私たちは目の前にぶら下がるニンジンに、ごくりと喉を鳴らした。


「けれど、ここで会ったのも何か縁だ。もし続報が入ったら、その時はウチをご贔屓にしてくれたら……ね」

「ま、まぁ……そういうことなら……」

「仕方ないなぁ、今回だけやでぇ?」


 私たちは渋々と彼の懐柔に応じたのだった。

 渋々と……あくまで渋々と、だから!

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