「どういうことです? どうして紀野さんの証言が彼女を救うことになるのか、説明してもらえますかな?」


 鬼無刑事がそうちゃんに説明を求める。

 男木刑事も手帳を開いてメモの準備をした。

 そうちゃんは一度目をつぶって息を吸い、気持ちを落ち着かせると口を開く。


「想像してみてください。もし自分が犯人だとして、『あの時ハーバーで誰か見たか』と聞かれたら何と答えますか?」


「見たまんまのことを答えるんじゃないかなぁー」と呑気な口調で十川が答えた。鬼無刑事と男木刑事の二人もうなずき、彼の意見に同調する。


「つまり紀野先輩の証言と同じで『誰も見ていない』と?」

「何が言いたいんだ?」


 要領を得ない彼の問いに男木刑事がイライラし始めた。

 そうちゃんは「まあ聞いてください」と宥める。


「実は昨晩、僕なりに犯人像をプロファイリングしてみたんです」

「プロファイリング……高校生の君が?」


 男木刑事が挑発するように語尾を釣り上げる。


ね」


 あぁ、綾歌さんのことか。

 彼は人差し指を突き上げ、注意を引いた。


「一つ目、凶器に毒を用いたことから計画的な犯行であり、犯人に確固たる殺意が存在していた」

「あれ? 未必の故意は?」


 すぐに私は、昨日のうどん屋でのやりとりを思い出した。

 犯人には荒木さんを殺す積極的な殺意がなく、別に死んでも構わないというある種の消極的思考で犯行に及んだのだ。と私に説明をしたのは、誰であろう彼のはずだ。

 しかしそうちゃんはその反論も想定済みだったのだろう。

 ピースサインを作ると、私に説明するように言った。


「二つ目、事件発生から一日が経過した時点で名乗り出ていないことから、犯人に自首するつもりがないこと」

「なるほど……」


 時間の経過とともに彼の中での犯人像も変化した、ということか。


「でも、そうちゃん。警察に捕まるのが怖くて名乗り出ていないって可能性は?」

「確かに衝動的に人を殺してしまったのなら、捕まるのが怖くて自首できない人もいるだろう。けれど、この犯人は違う。計画して人を殺しているんだ。自首して法廷で情状酌量を勝ち取るよりも、容疑者候補の一人でいる方が犯人にとって都合の良い事があるんだろう」

「都合の良いことって?」

「最悪の場合、遺体がひとつ増えることになる」


 そうちゃんの放った一言が、目の前の二人の刑事から落ち着きを奪った。


「まさか! ただでさえ容疑者候補がヨット部関係者に絞られているのに。何か事を起こせば、今度こそ足がつく!」


 男木刑事が唾を飛ばしながら興奮気味に反論する。


「まぁまぁ、例えばの話ですよ。でも自首しないということは、警察の追及から逃げ切る自信があるということです。これは犯人の挑戦状ですよ。『俺を捕まえてみろ』って、無言のね」


 鬼無刑事の貧乏ゆすりが激しくなった。

 目の前に座るそうちゃんをじっと睨んでいる。

 けれど当の本人はそんなことお構いなしにお茶を啜っていた。

 空になった湯呑みを置くと、再び話し始める。


「そして三つ目、犯人は荒木氏の行動を熟知していたヨット部関係者、またはハーバーによく出入りしていた人物だということ」


 すでに前提条件のようになりつつある事柄を、敢えて最後にもってきたのは私が犯人ではないことを強調するためだろう。


「以上のことから考えて、犯人はかなり前から周到に殺人を計画していて、さらに自分に嫌疑が向かないようにしようと考えている。と言えるでしょう」

「ペラペラと御託ごたくを並べよって……。そのプロファイリングとやらが彼女の無実とどう関係するんだ? 君はまだ、なに一つ証明できていない」


 男木刑事が話を本筋に戻した。たしかに、いま争点となっているのは私の無実を証明できるのかどうかだ。

 そうちゃんは再び唇を歪曲させた。「待ってました!」と言わんばかりのその顔は、まるでこれから観客を驚かせようとする手品師のように見えた。


「まだ分かりませんか? この犯人が、自分の首を絞めるような言動をするはずがないんですよ」

「まどろっこしい! 彼女が無実である証拠は何だ!」


 男木刑事が青筋を立てて責めるが、そうちゃんは全く動じない。


「だから、証言ですよ」

「証言?」

「もしも本当に先輩が犯人なら、刑事さんから『桟橋とトイレを往復する間に誰か見なかったか』と聞かれて、『誰も見なかった』と答えるわけがないんですよ。なぜならそれは、あの時荒木さんと接触できた人物が自分だけだったことを示唆しているからだ。当然、警察に目をつけられる。この事件の犯人なら、これくらいすぐに思い至るでしょう。ならば犯人は何と答えるべきか、僕ならこう答える。、とね」


 校長室に二度目の沈黙が訪れた。

 風向きが変わったことは、誰の目から見ても明らかだった。

 

「…………ん? どういうこと?」


 しかしながらこの一撃がどれほど力強いものなのか、私の理解はまだ追いついていない。


「警察の主張はこうだ」


 そうちゃんはテーブルの上に置かれた荒木氏の行動表を裏返すと、そこに何か書き始めた。以下はその内容である。

  

 犯人は荒木氏と接触した ①

 紀野屋島は荒木氏と接触した (a)

 ハーバーに他の人はいなかった (b)

 a, bより荒木氏と接触したのは紀野屋島だけだった ②

 ①, ②より犯人は紀野屋島である

 

「分かりやすい三段論法の活用形だね。けれどこれは間違っているんだよ」

「どこが間違っとるん?」

「そもそもの前提が、だよ。だってこの論理式が成り立つということは、自身の罪を認めることになってしまうんだ。ならば犯人はだろう? そしてこの式の中で唯一作為的に変えることができるのは(b)だけだ」

「あっ……そういうことか! だからんやね。式が成り立てば無実、成り立たなければ犯人。この式は善悪の判別式でもあるわけか」

「ザッツ・ライト!」


 そうちゃんがパチンと指を鳴らした。


「正直者が得をする……まるで木こりの泉ですな」


 鬼無刑事は親指と人差し指で顎先をさすりながら、感心している。

 しかし男木刑事は納得がいかないのか、すぐさま反論した。


「さすがにそれは我田引水が過ぎるのでは?」

「どこがでしょう?」

「紀野さんが敢えて自らに我々の目を向けさて、君がそれを晴らすことで容疑者リストから外れることを企んでいる可能性も考えられる」

「いえ、それはないです」

「なぜ言い切れるんです?」

「僕が彼女のあの証言を知ったのは、さっきあなたの口から出た時だからです」

「昨日のうちに打ち合わせしていた可能性もある」

「だったら、僕の方から彼女の証言を話題に出しますよ」

「なんとでも言い逃れできるさ……」


 男木刑事は負けを認めないつもりのようだ。

 するとそうちゃんは「お言葉を返すようですが」と目の前に座る二人の刑事を見て言う。


「我田引水が過ぎるのはそちらの方でしょう? あなたたちは直接的な証拠を何一つ提示せず、状況証拠だけで紀野先輩を疑った。僕は彼女の証言をもとに、それに矛盾があることを証明した。男木刑事、たとえ牛乳の中を泳いでいてもよ?」


 最後の一言は、男木刑事に挑発を込めて言ったのだろう。


「そんな証言一つで無実が証明されるわけがないだろ!」


 案の定、彼はまんまとその喧嘩を買った。


「証言だって立派な証拠だ!」


 そうちゃんもそれに応じる。


「だったら誰が犯人なんだ?」

「それは議論のすり替えだ! 今、話し合うべきはが犯人なのかどうか。それだけだ!」


 室内の全ての音が消えた。

 二人は立ち上がり、身を乗り出して睨み合っている。

 

「男木、高校生相手になに熱くなってんだ」


 鬼無刑事の一言に、彼は静かに腰を下ろした。

 もしかしたら案外キレやすい性格なのかも知れない。


「警察が『犯人は誰なんだ』なんて言ったらいかんだろ!」

「すいません……」


 男木刑事は膝に手を置き、俯いた。


「さて、どうやら勝負はついたようですな」


 鬼無刑事はテーブルの上にあるすっかり冷めたお茶を啜ると、立ち上がった。


「ではまた、出直します。おい帰るぞ」


 二人の刑事は立ち上がり、校長室を後にしようとする。


「ちょっと待ってください」


 それをそうちゃんが静止した。

 鬼無刑事がドアノブに手をかけて止まる。

 二人はほぼ同時にこちらへ振り返った。


「まだ、何かありますか?」

「彼女に何か言う事があるでしょう」


 私が両手で包んだ拳に、彼がギュッと力を込めたのが分かった。


「捜査が振り出しに戻っただけです。彼女の疑いが完全に晴れたわけではない」

「なんですか、謝ったら死ぬ病気にでもかかっているんですか?」


 今度は何も答えず、部屋を出て行った。

 扉が完全に閉まると、そうちゃんは「ふぅ……」と息を吐く。

 勝った……。そうちゃんが勝った!

 気がつくと、私は思いっきり彼に抱きついていた。


「そ、ぞゔぢゃぁぁぁぁん! ありがどおおおお――――!」

「はいはい、どういたしまして」


 そうちゃんは私の頭を支えると、背中を優しく叩く。

 張り詰めていた気持ちが一気に緩み、私の涙腺は崩壊した。


「本当に捕まっちゃうかもって……。うぇぇぇ――――」

「大金星だな、藤塚」


 全てを見守っていた十川もパイプ椅子から立ち上がり、拍手で彼の敢闘を祝福する。

 お前、私を売ろうとしていただろ! と私は目を腫らしながら睨み返した。


「い、いや……。俺もまさか紀野が容疑者候補だったなんて知らなかったんだ」

「ふんだっ、記事に書いてやるけん!」

「お、おい。それだけは……」


 拝むように顔の前で手を合わす十川。

 いい気味だ、卒業するまでずっとコキ使ってやるからな。


「およよょょょょ……」


 私はまたそうちゃんのシャツに顔を擦り付け、嘘泣きをした。


 鼻から息を吸うと、ほんのりとそうちゃんの匂いがする。最近はパパの臭いがキツくなるお年頃なのだが、彼の匂いは別に不快に感じない。不思議だ。良い芳香剤でも使っているのだろうか。


 まぁともかく、そうちゃんのおかげで私の首の皮は一枚繋がった。

 ご褒美に今度の週末、デートでもしてあげようかなと考えながら、私はまた彼の匂いを鼻いっぱいに吸い込んだのだった。

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