「それじゃあ、まずは警察側の主張を聞きましょうか」


 校長室の応接セット。横長ソファーには私とそうちゃんが座り、テーブルを挟んで向いの一人用の椅子には鬼無刑事と男木刑事が着座する。十川はどこからかパイプ椅子を持ってきて、その間に座った。


 鬼無刑事が、わざとらしく咳払いをしてから話を始めた。


「まず、どうやって毒を盛ったのか――その手法についてですが、おそらく最も手早く効率が良いのは缶のすり替えでしょうな」

「同感です」


 そうちゃんは相槌を打つ。


 すり替え――あらかじめ毒物を仕込んだボトル缶を用意しておき、適度なタイミングで缶そのものを入れ替えるという、ミステリーでもよく使われる手法だ。


 私が犯人の立場でもそうするだろう。すり替えた後は中身を飲み干し、缶は海に流してしまえば証拠はどこにも残らない。実に合理的だ。


「この際に注意すべきは、入れ替わりに気付かれないことです。つまり被害者と同じ銘柄の缶を用意する必要がある」

「荒木さんの乗っていたゴムボートから発見された缶はどこの物だったんですか?」


 そうちゃんが鬼無刑事の話に懸命に食らいついてゆく。

 側から見ると、なんだか三人で捜査会議をしているようだ。

 頼むぞ、ちゃんと私の無実を証明してくれ。


「クラブハウスにある自販機のものだと思います。メーカーが一致しました」


 男木刑事が手帳をめくり、確認した。


「つまり、この時点で捜査の網をヨット部関係者に絞ったわけですね。しかしそれならしーちゃ……紀野先輩は枠の外ではありませんか?」


 そうちゃんがやっと反撃の狼煙のろしを上げた。けれど、「まぁまぁ、話はまだ終わっていませんから」と鬼無刑事に一蹴されてしまう。

 チクショウ、さすが百戦錬磨の刑事だ。


「次に、我々は被害者のコーヒーに毒を仕込むことができたタイミングを考えました。これをご覧ください」


 鬼無刑事の指示を受け、男木刑事が一枚の紙を卓上に広げた。


「これは昨日行った聴取をもとに荒木氏の行動を時系列でまとめたものです」


 そこには時刻と場所、行動の内容と、さらにはそれを目撃した人の名前が書かれていた。

 例えば『◯ 09時05分:ハーバー着 部員たち挨拶(全員)』といった具合だ。

 以降の行動表は次のようになっていた。


× 09時10分:クラブハウス 着替え (なし)

◯ 09時15分:スロープ 荷物詰め込み(五十嵐、東雲、神楽)

◯ 09時20分:スロープ ミーテイング(石崎、藤岡、菊池、東雲、匂坂、中川)

◯ 09時25分:スロープ ゴムボート進水(全員)

◯ 09時33分:海上 帆走開始(石崎、藤岡、菊池、東雲、匂坂、中川)

◯ 10時15分:海上 一回目の帆走終了 (全員)

◯ 11時00分:海上 二回目の帆走終了 (全員)

× 11時10分:海上〜ハーバー 紀野を送り届ける (紀野)

◯ 11時15分:海上 本部船へ帰ってくる (十川、高木、井手浦、藤塚)

◯ 11時18分:海上 容態悪化 十川がボートに乗り送る (全員)


「この、頭にある○とか×というのは?」

「目撃者が複数いて、確度の高い証言には○を。目撃者が一人しかいないものや、目撃者がおらず前後の事実から想定した出来事に×をつけています」


 鬼無刑事は、リストの二段目を指差す。


「例えば09時10分につけられている×は、荒木さんがクラブハウスで着替えをしたことは確実だけど、それを目撃したものはおらず前後の出来事で荒木さんの服が変わっていたことから推察した、という意味です」


 私たちは、リストの中にもう一つ『×』がついていることに気がついた。

 そう。それは私がトイレに行くために、桟橋まで送ってもらったあの時だ。


「なるほど、それで紀野先輩に嫌疑がかけられたというわけか……」


 そうちゃんが独りごちる。

 「理解が早くて助かりますな」と鬼無刑事は挑発した。


「すいません、どういうことでしょう……」


 十川は申し訳なさそうに控えめに手を挙げた。

 これには男木刑事が請け負った。


「つまりですね、出艇前のタイミングで毒を仕込むチャンスはなく、海上でも衆人環視の状態が続いていた。その均衡が一度だけ破られたのが、紀野さんがゴムボートに乗った五分間だったというわけなんです」

「この状況証拠だけで先輩の犯行と決めつけるのは、時期尚早ではありませんか?」


 そうちゃんは間髪入れずに反撃した。

 どうやら男木刑事に対してはかなり敵対意識を持っているようだ。


「状況証拠の中には非常に強力なものがある。あたかも牛乳の中で泳ぐ鱒を見つけたかの如く――」

「……えっ? 鱒?」


 男木刑事の突然の発言に私たちの頭上には『?』が浮かんだ。


「ソローの有名な格言です。ということです。状況証拠だけの殺人事件で有罪になった判例はいくつもある」


 ダメだ。この勝負、そうちゃんが圧倒的に劣勢だ。

 断片的な情報しか持っていないため、守勢に回らざるを得ない。せめて向こう主張に僅かでもほころびがあれば、こちらも攻めに転じることができるのだが……。

 そうちゃんの額から汗がにじみ出ている。膝の上においた拳がわずかに震えていた。


「……けれど。けれど、先輩には動機がない」


 必死に叫ぶ彼の反駁は、無力に等しいものだった。


「推理小説じゃないんですから。動機なんてものはいくらでも推測できます」


 男木刑事は勝ちを確信したのか、眼鏡を外しハンカチでレンズを拭き始める。


「第一、紀野さん自らが桟橋からトイレを往復する間、誰も見かけなかったと証言しているんですよ。その8分後に荒木氏の容体が急変した。これ以上の決定打がありますか?」


 次の瞬間、そうちゃんが――ニヤリと笑った。


「いいや、それは何よりの証拠ですよ」


「ど、どういうことです?」


 突然息を吹き返した彼に動揺を隠しきれない男木刑事。その隣の椅子に深々と腰掛け、背もたれに寄り掛かっていた鬼無刑事も居住まいを正した。

 私は彼の膝の上に置かれた拳を両手で包み、応援のつもりで精一杯念を送る。

 そうちゃんは自分を鼓舞するかのようにぽつりと呟いた。


「さぁ、反撃開始だ」



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