5
時を同じくして、鬼無と男木の二人も北署近くのうどん屋で夕食を流し込んでいた。
「ったく厄介なヤマだな」
鬼無はぶつぶつと文句を言いながら、丼の中に天かすを目一杯放り込む。
「入れすぎですって。また健康診断引っ掛かりますよ?」
おろし金で生姜をすり下ろしていた男木が忠告するも「これくらい入れないと腹、膨れねえだろ」と一蹴された。
「それじゃあ一玉にした意味ないじゃないですか」と男木はため息を吐く。
「本当なら今頃、娘と月に一度の外食だったんだ……」
鬼無は口惜しそうに呟きながら、割り箸を勢いよく割った。
「あぁ、そう言えば鬼無さんの娘さんも
「今どきの若者の感覚なんか分からねぇよ。だいたいなんだ、凶器がニコチンって。遊び半分の犯行じゃねぇか」
「それがさっきデータベースで調べてみたんですが、タバコを用いた事件って案外あるみたいですよ」
男木は胸ポケットから手帳を開いてページをめくった。
「2015年に静岡県で交際中の女性を殺そうと、タバコ二十本を煮た汁を飲ませたというケースがあります。もっともこれは未遂で終わりましたが」
「もはや青酸ソーダの時代は終わった、か」
シアン化カリウム(青酸カリ)は推理小説でよく用いられる毒物であるため、誰でも簡単に手に入りそうだと思うかもしれないが、実はシアン化ナトリウム(青酸ソーダ)の方が国内に広く流通している。
その用途は幅広く、フィルムの現像からメッキ加工。さらには昆虫の標本作成にまで及ぶ。
しかし、かつてミステリーを席巻したもう一つの主人公も時代の潮流には逆らえなかったのか、今ではその影を潜め始めている。
理由は単純、我々の身の回りから消えていったからだ。
「町工場や写真館なんて、さすがの高松でも見かけなくなりましたからね」
「令和の
鬼無は丼を両手で持ち上げると残った汁を一気に飲み干した。ほとんど噛まずに飲み込んでいるのではないか、と男木はいつも彼と食事をする時に思っている。
「すいません、僕もすぐ食べます」
男木は手帳を仕舞うと、急ぎ麺を啜る。
しかし早く食べることに慣れていない彼はすぐに咽せてしまった。
「ゆっくりでいい。お前が食っている間に俺も色々と事件の整理がしたい」
鬼無はウォーターサーバーへ向い、水を入れたコップを2つ持ってきた。
「ありがとうございます……」
本来ならば部下である男木の仕事だ。
彼は申し訳なさそうに受け取ると、口をつけた。
男木と向かい合わせに座る鬼無は、彼の行動を見届けると、確認するように何度も首を縦に振る。
「うん、やっぱりそれが普通なんだよ」
「なにがです?」
「ちょっとした実験だ。いや、メモしなくていい。まだ上手くまとめられる自信がないから、食いながらでも聞いてくれ」
箸を置き、手帳を取り出そうとした部下を、鬼無は制止する。
彼は咳払いを一つすると、話を始めた。
「俺がずっと気になっていたのは、なんで被害者は毒入りコーヒーに口をつけたのかってことだ」
「そりゃあ、自分の飲み物に毒が入っているだなんて思っていなかったからじゃないんですか?」
すでに伸びてしまった麺を箸で持ち上げながら男木が答える。
「自分が買った物ならそうだな。問題は他人から貰った場合だ。お前ならどうだ?」
「うーん。相手との距離感によりますね。全然知らない人からってなら当然怪しみますけれど。ある程度関係のある人からの頂き物ならまず疑いませんね」
「同感だ。人は無意識のうちに相手に対する警戒レベルをコントロールしている。それが人付き合いの基本だからな」
「それが、今回の事件とどういう関係が?」
鬼無は男木のトレーに置かれたコップを指差した。
「お前、さっきなんの
男木の両目は、これでもかというほど開かれた。
「そういうことか! つまり荒木氏があの缶に口をつけたのは、ある程度信頼していた相手から貰った物だったから」
鬼無は深く頷いた。
「例えば、差し入れとかな」
「これで被疑者をヨット部関係者に絞れますね。明日学校に行ってもう一度、部員たちの話を詳しく聞きに――」
「――いや、その必要はない」
興奮気味にまくし立てる部下に対して、鬼無は冷静に話を進める。
「一人だけいただろう、誰にも気付かれずに被害者に接近できた人物が……」
まさか、ここまでの捜査で鬼無は容疑者をすでに絞り込んだというのか。
男木は慌てた様子で手帳を取り出すと、必死でページをめくる。
いったどこにヒントが隠されているんだ。
彼は目を皿にして、一言も逃さぬ姿勢で隅々までメモを精査した。
そして鬼無と同じ結論に至る。
男木が顔を上げると、鬼無は力強く頷いた。
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