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『香川県民は、いつ何時もうどんを食べている』という都市伝説が真しやかに噂されているが、これはあながち間違いでは無い。
「エッジが立っている」と表現される四角く角張った麺はモチモチシコシコ。瀬戸内海で取れたいりこ(煮干しのこと)に昆布や鰹を加えた出汁は、五臓六腑に深く染みる。もはや私たち県民の遺伝子にまで刷り込まれているのではないだろうか。
そして何よりお財布に優しいことが最大の要因だろう。うどん一杯で二百円。天ぷらやおにぎりを追加で注文してもワンコインで事足りる。食べ盛りの学生の間食としても、酔い醒ましの一杯としても活躍するまさにユーティリティープレイヤーだ。
そんなわけで私たちの足は、自然と商店街の中にあるうどん屋に向いた。
私はかけうどん一玉にさつまいもの天ぷら。そうちゃんは、
時刻はまだ午後四時半。
昼食には遅く、夕食には早いこの時間。店内に客は私達しかいない。
私たちはボックスシートに向かい合うように座った。
「香川の警察って、やっぱり取り調べの時はうどんなんかな?」
「あれって出前らしいよ。東京だと蕎麦屋が多いからね。だからまぁ、香川の場合はうどんになるのかな」
「今はフードデリバリーの時代やからなぁ。もしかしたらステーキとかピザが食べられたりして」
「別に取り調べ室で食べる必要なくない? 自宅でデリバリーすればいいじゃん」
「たしかに……」
私は麺をずずずーっと啜る。
やっぱりシャバの飯が一番だぜ!
「それにしても、今日はとんでもない一日やったなぁ」
「結局、ほとんど写真撮れなかったしね」
「私も全然選手にインタビューできとらん。これじゃあ記事書けんよ」
「ヨット部、明日の放課後から練習再開するつもりらしいけれど、大丈夫かな?」
「三年生にとってはかなりきついよね、大会まであと一週間切っているわけやし」
「それもそうだけど。何より疑心暗鬼に陥っている部員たちを一つにまとめるのは、かなり大変じゃないかな」
彼の突然の発言に、私はさつま天を丼の中に落としてしまった。
「えっ! まさかそうちゃんは、ヨット部の中に犯人がいると思っとん?」
「そうだけど?」
何を当たり前のことを聞いているんだ、といった顔であっさりと返されてしまった。
「逆にしーちゃんは誰がやったと思っていたの?」
「そ、外からやってきた誰か……とか?」
「それは無いね。この事件はヨット部内の犯行だと断言できる」
「なんで?」
「毒を仕込めたタイミングが出艇前に限られるからだよ」
もはや私は何を言っているのか分からず、ぽかんと口を開いたまま彼を見つめていた。
「わかった、じゃあ一つずつ整理していこうか。まずは状況確認だ」
私は急いでリュックからルーズリーフとシャーペンを取り出した。
「僕たちがハーバーに来たのは、午前九時ごろ。その時すでにヨット部のメンバーと顧問の十川先生が船の整備を始めていた」
「荒木さんが来たのは、私たちがハーバーに着いた少し後やったね。そうちゃんもみんなが駐車場へ挨拶しに行くの、見とったよね?」
「うん。野球部みたいにハキハキ挨拶していたから、よく覚えているよ」
私はここまでのポイントを紙に書いていく。
・8:30 ヨット部集合
・9:00 私&そうちゃん、ハーバー着
・9:05 荒木さん、ハーバー着
とりあえずはこんなもんだろう。ヨット部の集合時刻が八時三十分だったことは、昨日美波から確認している。私たちと荒木さんの到着時刻はあくまで目安だ。
「これ以降に誰かがハーバーにやって来て、私たちに気づかれずに行動するのは不可能なんかな?」
「入り口はクラブハウスにある事務所から丸見えで、常にハーバーマスターに監視されているからね。不審者の出入りがあったなら、その時に警察に知らせているはずだよ」
「ほうほう……」
「つまり、荒木さんが入場してから救急車が来るまでハーバーは陸の孤島だったわけだ」
陸の孤島、閉鎖空間、クローズド・サークル……。形容される言葉は数あれど、要は外部との接触が全く絶たれていた状態ということだ。
「ヨットが出艇したのは九時半。僕たちは一年生たちと一緒に本部船に乗った」
「それからはずっと海の上やね」
「出艇したヨットは四隻で全て二人乗り。うち三隻は並走していて、五十嵐先輩の船は常に本部船の周りにいた。このことからも分かる通り、僕たちは海上でも互いに監視し合う状況にあった。だから少しでも怪しい行動を取れば誰かしらの目に付くことになる」
「そっか、だからそうちゃんは毒を仕込んだタイミングを出艇前に絞ったのか!」
そうちゃんは首肯すると、空になったプラスチックのコップに水を注いだ。
「これは姉貴が前に言っていたことなんだけど――」
その言葉を聞いて、私は顔を上げた。
彼自身から
「毒殺トリックの多くは、被害者自らの行動によって発動する。今回のように何かを口に含むとかでね。ここが刺殺や絞殺とは違うところで、つまり犯人がその場にいなくも殺人が成立するんだ。そのぶん発動までの不確定要素も多いんだけど、今回のように条件さえ整えればその確率は上がるらしい」
そうちゃんは語り終えると目線をルーズリーフに落としたまま、揉み手を繰り返している。
昔から照れ隠しの際にする癖だ。
私はそのことをよく知っている。
だから敢えて責める。
「そうちゃんって、なんやかんや言ってシスコンやね」
「はっ!? 違うし。あんな姉貴――」
「えーだって、さっきもわざわざ『姉貴に聞いた』って言う必要なかったやん」
おぉ。これは名推理!
私にも探偵の素質があるんじゃないのか。
「受け売りだって思われたくなかったんだよ。どうせすぐ気付いただろうから」
彼は少し口を尖らせた。
「お姉ちゃんがいなくなって寂しくなっちゃったのかな〜?」
「いいから、もう!」
彼は恥ずかしそうにそっぽを向きながらコップに口をつけた。
頬が真っ赤になっているぞ、とはさすがに言わなかった。
「それで、なんでそんな話をしたん?」
「犯人の動機を考える上で重要になってくると思ったんだ。しーちゃんは『ミヒツノコイ』って言葉、知っている?」
「密室の恋?」
それはまぁ、なんともロマンチックなミステリーだ。むしろ犯人と恋に落ちたことが最大の謎だったりして。
トリックはストックホルム症候群? いや、知らんけど。
「違うよ。『必ずしも〜せずんばあらず』の《未必》に『わざと』の《故意》」
彼はペンを取ると、口で言いながら漢字を当てる。
「どういう意味?」
「自分の行為によって犯罪が起きるかもしれないって思ったけれど、別に起きてもいいやって思うことを言うんだ」
なにやら難しい用語が飛び出してきたぞ。
そうせこれも綾歌さんの受け売りだろうと、私はそうちゃんを睨む。
彼は目をパチパチと高速で瞬きさせた。
本当、ごまかしやハッタリが苦手だなぁ。
そんなのでこれから、社会でやっていけるのかお姉さん心配になっちゃうよ。
「さっきも言ったけれど、毒殺トリックには不確定要素が多い。それでもこの手法を採ったのは、犯人に積極的な動機――つまり荒木さんを殺してやるという明確な殺意を持ってなかったからだと思うんだ」
なるほど動機か……。
たしかに警察がここまで調べても未だに容疑者が一人も上がっていないということは、現場から採取できた証拠が少ないのかもしれない。となると、今度は動機の有無で容疑者を絞り込んでいくのが合理的だ。
そうちゃんの話を聞いて、やはり血は争えないなと私は思った。
「まぁ今日はそんなところかな。まだ僕たちに開示されている情報も少ないし」
「せやな。私も明日、美波からいろいろ聞いてみようかな」
私と彼女は偶然にも同じクラスだ。
普段は温厚で、大抵のことは笑い過ごす性格の持ち主なのだが……。
「いや、さすがに今回はピリついとるよなぁ」
「それに、まだ五十嵐先輩がシロって決まったわけでもないよ」
「ちょっと、やめてよ!」
私は頭の中で描いた悪いイメージを即座に否定した。
美波がそんなことをするとは思いたくない。
なんの証拠もないけれど、私は自分の友達が殺人鬼でないことを信じている。
「そうちゃんも井手浦くんと同じ組やろ? 変に意識したら気まずくなるで」
「あいつとはグループが違う」
彼は切り捨てるような口調で呟くと、うどんを啜った。
「とりあえず、明日は普段通りに接するのが一番かぁ」
私も自分の丼に視線を落とす。
出汁を吸い切ったさつま天は、すっかり衣がブヨブヨにふやけてしまっていた。
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