3
そうちゃんの取り調べも私と同じくらいの時間を要した。その間に船の片付けを終えた部員たちが続々とロビーに戻ってくる。見張りの警官も戻ってきた。すでに全員が取り調べを終えたためか、私たちの会話もある程度なら目を瞑ってくれた。
昼食の時の一件が影響しているのかもしれない。
「あのー。ずっと気になっていたんですけど、紀野先輩と藤塚ってどういう関係なんですか?」
私の前に座る部員の一人がこちらに振り向いた。名前は
「えっ? ただの幼馴染みやで。家がたまたま隣で、幼稚園からの知り合いなんよ」
「そんなこと言って、本当は付き合っていたりして……」
高木の隣に座る少年も会話に入ってきた。
こちらは爽やかな高木とは対称的なずんぐりむっくりで、牛乳瓶の底のような分厚いレンズのメガネを掛けている。たしか名前は
「いや、ないない。もう十年以上ずっと一緒なんやで? お風呂も一緒に入ったことあるし、いまさらときめかんって……」
私は両手を振って否定の意思を示す。
二人は同時に「えーっ!」と声をあげた。
その声があまりに大きくて、一瞬ロビーの中から音がなくなった。
さすがにこれには見張りの警官が咳払いをして注意を促す。
高木と井手浦が申し訳なさそうに首をすくめた。
「お、お風呂っていつまで?」
「うーん、いつやろ……そうちゃんが中学上がるまで?」
「つい最近やないか!」
「そこ、静かに」
今度は名指しで注意された。なぜか私まで対象にされているのが解せない。
井手浦君が「JCと混浴、JCと混浴……」と呪文のように繰り返し呟いている。すると高木君が「でも鶏ガラだぜ?」と耳打ちしているのが聞こえた。
おい、ちょっと待て。誰が鶏ガラだ!
たしかに私は骨と皮しかないが……いや、違う。
貧乳はステータスだ、希少価値だ。
世の中にはちっちゃい方も需要があるんだよ! と私は心の中で絶叫した。
神楽さんはそんな二人を、汚物を見るような目で見ていた。
うん、分かる。キモいよね。ていうか犯罪っぽくなるから声に出さないでほしい。
誤解しないでいただきたいけれど、別にそうちゃんだからいいのだ。
今までさんざん見たり見られたりしてきたのだから。
さすがにこの歳で一緒に入るのはちょっと躊躇する。温泉ならまぁ可かな。
「あいつ、クラスの女子に全く興味ないそぶりを見せていたけれど、そういうことだったのか、その年でオネショタとは……」
「全く羨ましい限りだ……」
二人から何やら怪しげな言葉が飛び交っている。
神楽さんの目からはさらに光がなくなっていた。
全く、これだからガキは……。えっ、なんで私を見る目も冷たくなっているの? ちょっと、違うよ。私は正常な人間だよ〜、怖く無いよぉ。
さて、そうこうしている内にそうちゃんが二人の刑事を伴ってロビーに帰ってきた。
「何やら騒がしかったけれど、なに話していたの?」
そうちゃんが私の隣に座り、小声で聞いてくる。
「んー? 別に。昔話していただけやで」
首を傾げるそうちゃん。間違ったことは言っていない。
すると前に座る井手浦君と高木君が首だけ後ろに向けて、ニヤリと口元を緩めた。
「何や、 目玉潰して欲しいんか?」
一応、圧は掛けておく。
二人は肩をびくんと震わせて居直った。
鬼無刑事は、私たちの前に立つと注目を集めるためにパンと手を叩いた。
「さて、まずは皆さん事情聴取にご協力いただきありがとうございました」
二人の刑事が深々と頭を下げる。
「あの、いい加減そろそろ教えてくれませんか? 私たちは荒木さんの死の詳細を知る権利があると思うんですけれど」
勇敢にも東雲さんが、みんなの総意を投げ掛けた。
ていうかそれは新聞部である私の役目だった気がする……。
二人の刑事はアイコンタクトでコミュニケーションを図る。
それから鬼無刑事は観念したかのようにため息を吐くと、私たちを見渡した。
「午前十一時十五分、荒木氏は病院への搬送中に亡くなりました。外傷はなく診断の結果、ニコチン中毒だと結論づけられました」
ニコチンと聞いて私はすぐにタバコを想起した。タバコにはタールやニコチンなどが含まれており、身体に有害であることは中学校の保健体育で必ず学ぶからだ。きっと他のみんなも私と同じことを考えたのだろう。代表して顧問の十川が口を開いた。
「ニコチン中毒ですか。たしかに荒木さんはよくタバコを吸っていましたが」
「いや、ちょっと待った」
鬼無刑事がすぐに十川に掌を向け、制止を促す。
「喫煙が直接的な死因ではないのです。失礼ながら十川先生、タバコは?」
十川は首を振った。彼は酒もタバコもやらない。浮ついた噂一つ出てこない、イマドキめずらしい堅物な教師なのだ。
「そうですか、もちろん高校生の諸君も知らないとは思うが――」
鬼無刑事は艇庫に座る私たちの目を一人ひとり見ながら釘をさす。
「タバコの箱にはタールやニコチンなどの有害物質がどれくらい含まれているのかの表記が義務付けられています」
彼はおもむろにジャケットの胸ポケットからタバコの箱を取り出した。
「例えばこのマルボロだとタール6mg, ニコチン0.5mgといった具合に。諸説ありますが、これは一本あたりの煙に含まれる成分量だと考えられています。つまりたばこを一本吸っても、体に入るニコチンはわずか0.5mgとごく僅かなのです」
鬼無刑事はタバコを仕舞いながら「もちろん、それが喫煙を是とする理由にはなりませんが」と付け加えた。
「では、ニコチン中毒というのは?」
「先ほど説明した通り、喫煙でのニコチン摂取量はごく少量です。しかしそれはフィルターを通しているからで、実際には一本あたり約10〜20mgほどのニコチンが含まれていると言われています。さらにニコチンは水に溶けやすい性質を持っている。成人男性の致死量は大体30〜60mgのためタバコを二、三本水に浸せば致死量に達するわけです。そして荒木氏の乗っていたゴムボートからコーヒーのボトル缶が発見され、中から高濃度のニコチンが検出されました。缶の縁からは荒木氏の
その言葉が何を意味しているのか、ここにいる全員がすぐに理解した。
荒木さんは、誰かに毒を盛られたのだ。
「いったい誰がそんなことを……」
部長の石崎先輩が喉を絞り出すように呟いた。
「現時点では分かりません。皆さんには荷物検査や警官立会のもとでの着替え等ご不便をおかけしましたが、快く協力してくださり大変感謝しております」
再び鬼無刑事が軽く頭を下げ、男木刑事がそれに続いた。
「今日のところはお帰りいただいて結構です。今後、捜査の進展次第でまたお話を伺うかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします」
二人はそう言い残してクラブハウスのロビーを後にした。見張り役だった警官も任を解かれ去っていく。嵐が過ぎた後のようにロビーの中は沈黙に包まれた。
「これって、殺人事件ってことよね……」
「おい、やめろ!」
菊池先輩がポツリと呟いた言葉を、上塗りするように大声で石崎先輩が叫ぶ。
「ねぇ、誰なの? 誰がこんなひどいことをしたのよ!」
最前列に座る彼女は立ち上がり、部員全員を見渡した。
その瞳は赤く腫れ上がっている。
「落ち着け、菊池。まだ俺たちの中に犯人がいると決まったわけじゃないだろ」
顧問の十川も必死に菊池先輩を宥めた。
彼女の肩をそっと叩いて自分の椅子に座らせる。
「突然こんなことになってしまって……正直、まだ俺もまだ気持ちの整理ができていない」
十川は少し顔を落とし、下唇を噛み締めている。
「練習しましょう。まだ日没まで三時間ある。先生、練習させてください」
石崎先輩が訴えた。
しかし十川は首を横に振る。
「みんな今日は疲れただろ。一日しっかり休んで、明日からまた頑張ろう」
「先生!」
菊池先輩が食らいつくも、十川の態度は変わらなかった。
「こんな気持ちでやってもむしろ逆効果だ。今は荒木さんのご冥福をお祈りしよう。俺は学校に戻って校長にこのことを報告するから、みんなは速やかに帰りなさい」
「それじゃあ、今日はこれで解散」と締め括ると部員たちはそれぞれロビーから散開した。
練習自体は止められたものの、大会が近い三年生は駐機場に行って船の整備を始めた。美波も菊池先輩と東雲さんの手伝いに向い、残された一年生たちは早々に自転車に跨がり帰ってしまった。
「僕たちも帰ろうか」
「うん……」
私たちもハーバーを後にした。
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