黒のモノローグ
「仲間になりたい……だと?」
彼女の厳しい表情に、その若者は困った笑顔で頷いた。
「ええ、そうです。ぜひ仲間に加えていただきたいんですよ」
「お前を雇ったのは異界を案内をさせるためだ。仲間はいらん。そんな貧弱な体で、私の戦士に加わりたいというのか?」
「いやあ、見た目ほど貧弱じゃあないですよ? 肉体労働で結構鍛えられてますし、旅も慣れていますから。お邪魔にはならないと思いますが」
渋い顔をした黒服の老女はますます顔に皺を刻み、語調を強める。
通り雨が降ったばかりの暑い土地はひどく蒸した。
老女と仲間たちは若者の用意した服をまとっている。黒く裾の長いチュニックとズボンの軽装だが、体の線が出ない綿の衣装の上からでもがっしりと鍛えられた肩や胸板が見え、周囲を歩く市民とは明らかに違っていた。
仲間の中では細身の老女も背は曲がっておらず、立ち姿から厳格な性格が滲み出ている。
「そもそも門を通る私たちを目撃したお前が、見逃されたという事実を忘れているのではないか?」
「おっと、それは失念していました」
頭をかきながら笑う彼に、老女は肩を震わせた。
「まあまあ。彼にはよくしてもらったじゃないか。美味い飯屋も、宿も、こちらの文化も教えてくれた」
「うむ、戦士には貧弱だが、ここは一つ考えてやってもいいだろう」
「同意だな。儂らはもう三度も世話になっておる。まずはこちらへ来る時の案内人ということで様子を見んか」
なあ老女、と怒らせた肩をなだめるように叩く。
白髪交じりの髭を撫で、四人の老練な戦士たちは若者へ豪気に笑いかけた。
「ここは異界だ、異界の流儀があるだろう。少しは譲ってやらんといかん。若者が可哀想とは思わんかね?」
気のいい仲間たちは若者に心を許し、取りなすように老女を説得した。
「……ここはお前の異界だ。勝手にしろ」
異国の地でこの頑なな老女が心開くのを、若者はじっと待っていた。
結束は固く、使命と信頼感で一体になり、相談をし合ってもお互いがお互いを知っているために争うところなど一度もない。
五人は幼い時分からの馴染みだった。
戦士の多く育つ郷に生まれ、見習いという形で先代の主に付き添い、身の周りの世話をしていた。新米の戦士として、従者として。彼女たちが成人した頃、主は事故で亡くなった。次の主として若い老女が選ばれ、四人の戦士は正式に鍵守として認められた。
先代も、老女の代も旅は順調だった。痛ましい事故はあったが、敵に襲われたこともない。
時が進むにつれ戦士や従者たちは老いていき、暇を請うようになった。
新たな主は順調な旅に多くの仲間は必要がないという方針を掲げていた。今までの戦いで大きく仲間を欠いたことがなかったからだ。暇を許してやれば、一人また一人と仲間は減っていき、残ったのは幼馴染の四人だけだった。
故郷の郷に時折足を伸ばせば、仲間を増やすように諭されたが、彼らの家族のような結びつきに誰かを加えるのは難しく、気づけばいつも五人に戻っている。
それは若者にも同じだった。
街に滞在してもせいぜい数週間程度で、若者が割って入る隙はなかった。
老女に受け入れられるために、出会いから三年の月日を要した。
彼女は若者から遠ざかることもできただろうに、律儀に同じ場所へ現れ、彼を案内人として雇った。
街を離れなければならなくなっても、若者は自国に異界の門があると知るや、その場所へ留まれるように仕事も変えた。老女も、時間を開けては若者の住む場所へ行き、知人を訪ねるように物のついでだと言いつつも顔を見に行った。
彼女たち一行に加われる仲間などほとんどいなかったが、若者は諦めなかった。
必要とされただけの言語知識や伝手を貸し、粘り強く関わり続けた。
そうして、明確には誰も口にしなかったが、彼は気づけば仲間に加わっていた。
老女の母国に行きたいと熱心に伝えると、仲間に加えてくれと頼み込んだときのような頑なさはもうなく、不承不承ではあったが船に乗せ若者を旅へと連れて行ってくれた。
彼女たちの母国である島は、若者の世界とまるで違っていた。文化も服装も、言葉も。だがしかし、科学も医療も、彼の世界ほど発達していないのは歴然としていた。そのことに愕然としながらも、交流する内に覚えた拙い言葉を使い、若者は必死で情報を集めた。
病気を治す術を調べていると言えば、ドルイドに相談するといいと村人に勧められた。
老女のはからいで、ドルイドの中でも最高位の男に謁見を取りつけられた。
樫の木の杖を持ち、白いローブをまとった髭の長い彼は最も知恵に富み、魔術にも精通しているという。
だが老人は話を聞き、首を振った。
ドルイドも魔術を扱うが、それは神の所業であると。
若者が頭を下げると、男は哀れに思ったのか、もしその病人を連れてくることができれば、手段は尽くそうと約束してくれた。
その言葉は、ただ苦痛の中で死を待つよりはよほど希望があると言えた。
彼はすぐに故郷へ戻り、病人を連れてくると言った。
しかし若者は数日待っても現れなかった。
老女が若者の住処へ会いに行けば、彼は暗い顔で仲間たちを迎えた。
彼を酒場へ連れて行けば、たらふく酒を飲んでいる戦士たちを横に、若者は零れるように話し始めた。
「妹が先日、死にました」
「……そうか」
若者は頷いた。いつも笑みを浮かべているその顔は、表情がなく青白い。
この頃の彼が探していたのは、もはや治療のできる医者ではなく、祈祷師の類だった。
医者にはもう持たないと言われていた。しかし彼は諦めずに方々へ行き、そして拒んでいた時が通り過ぎた。
「弔いはしてやったか」
彼の世界でのやり方で、妹の亡骸を燃やしたという。
「私の世界では泉に沈めていた」
「水葬ですか」
川や海に沈める葬儀なら、彼の世界にもあった。
「泉に沈めれば、転生するのだ」
「転生……?」
「私の国には、転生の泉という場がある。海を渡った果ての島で、容易い道ではないが、皆、自分が死んだ時に同じように弔ってもらうために、船に亡骸を乗せて行くのだ。花びらを散らしながら、音楽を鳴らし、平原を渡って遺跡へ進む。地の底にある転生の泉に沈めれば、亡骸から魂が抜け、次の生へと向かうという」
「あの子も……妹もそこへ弔えば、転生するのでしょうか」
「もう灰になってしまったのだろう。わからないが……楽園の神々に願えば、あるいは願いを叶えてくれるかもしれない」
「神々、ですか」
宗教的な手段は飽くほど聞いた。
妹が、彼女のままに蘇らないかとすでに調べていた。
「転生の泉は地底の神殿にあるが、そこには楽園の門が眠っている。神々はその門の向こうにおわすのだ」
老女は言葉を区切り、哀れむような声色になった。
「お前が妹の灰を持って来れば、連れて行ってやろう」
「……必ずですよ。約束してください」
彼は茶の瞳に炎を宿し、焼くような視線で老女を頷かせた。
「それから……これをやる」
老女は少し悩み、懐から何かを取り出した。
古びてくすんだ色をした金属のペンダントだった。
「これは?」
「ドルイドの術がかかった魔道具だ。灰なり、砂なりを入れれば生きた獣のように操れる、らしい……貰ったが使い道がない。私には蛇がいるからな。試すついでだ、使えるならばそれで身を守れ。こちらの異界には危険が多い」
死なれたら寝覚めが悪いからな、と老女は手を振るが、経験の足りぬ仲間を案じてのことだった。
「では、次に来る時は遺灰を持ってきます」
「うむ」
若者は貰ったペンダントに遺灰を入れた。
獣の姿はどのようにでも変わったが、妹の姿を作ることだけは出来なかった。
彼は老女の言葉を信じ、遺灰を持って彼女に会いに行った。
魔道具の扱いに関して、老女は大して期待はしていなかった。
だが若者が目の前で獣を見せれば、想像以上に戦力への期待ができたらしく、珍しくしかめっ面をほころばせて喜んでいた。
その表情も、楽園の話を持ち出せばすぐに曇った。
「本当に、楽園の神々に願う気か?」
「もちろんです。妹とまた話がしたい、次は元気な人生を送らせてやりたいんです」
「門の前までは連れて行ってやろう。願うのも、自由だ。だがしかし、楽園へ行かせるわけにはいかん」
「約束を違えるんですか!」
「楽園の門を守るのも我ら蛇の役目なのだ。お前を必ず連れて行くつもりではある。しかし願うなら門の前で頼め」
「門の前で頼み込んで、叶いますか」
老女は黙り込み、それきり喋らなかった。
若者は、ただ、諦めなかった。
門が開かないのなら、開けさせればいいのだ。
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