5話
「気になったんだけどね、鍵を悪用した人は今までいなかったのかい? 考えようによっては、違う世界に戦争を仕掛けたりできるわけだろう?」
暗い森を湖の方角へ引き返しながら、何やら考え込んでいた森賀は名案を思い付いたような口調で話す。そんな彼をカイは抗議の目で睨みつけた。
「いやいや、僕はやらないよ……でもそういうことができてしまう、重要な物なんだろう? こんな人数でいいのかなと思ったんだよ。もしかすると少ない方が、それと分からないのかもしれないけどね。それとも、合流の予定があるのかい?」
「俺とシオルだけだ。仲間はいない」
「どうして二人だけでいるのです? 前は仲間がいたと聞きましたけれど、その方と別れた後に鍵守を増やさなかったのですか」
「ほら案外、二人って動きやすいんだよ。まさか俺達が鍵を持ってるなんて、知らないやつは想像もしないだろ? カイと二人で旅してるときは、騎士と小姓ってことにしてたし」
「二人はだから目立たないよう、地味な服装を選んでいるのですね」
騎士といえば体を覆う立派な甲冑を想像するものだが、彼らの姿はお世辞にも使命を負った鍵守とは言えない。
「いや、これは……その、路銀に変えたんだよ」
「防具をですか?」
恥ずかしそうに顔を歪めたシオルに空木は追及を止めた。
旅を続けていればそういうこともあるのだろう。
「鍵の持ち主や鍵守を選んだりするような組織とか、偉い人みたいなのはいないのかい?」
「主は誰かが選ぶわけではない、蛇が選ぶんだ」
「噛まれたことが選ばれたということなのですか?」
「そうだ」
肯定されたが、蛇に噛まれていい気持ちはしない。ましてや意思に関係なく選ばれるなど、空木にとっては気味が悪いままだ。
「誰にも無理強いはできない、難しいやつなんだよ。それに、赤金と黒金の鍵と違ってそいつは……白金の鍵は特別なんだ」
「特別、ですか?」
「そう、特別」
シオルは不満あり気に頷いた。
「オレたちも必死で新しい主を探したけど……でもそいつはセイラスが死んで、空木が現れるまで誰も選ばなかった。赤金と黒金は、前の主が死んだらその鍵守とか、一族から選ばれたりしたんだ。こんなに長い間、誰も選ばれずに蛇の主が空くなんて今までなかったんだよ。こっちの気持ちも少しは考えて欲しいよな」
空木が十五の歳になるまで誰も選ばなかったと、二人は蛇を探し求めてずっと旅を続けていたというのか。まだ半ば疑っていたが、空木がセイラスの転生だとするなら、その空白期間は納得がいく。
「白金の鍵は、セイラスの魂を求めていたんだろう」
「まあ本当のところは、選り好みの激しいそいつにしかわからないけどね」
シオルは白金の鍵を指した。呆れたような言い方に、これまで振り回されたのだろう苦労が滲んでいる。
「でもほら、その前の主って人がいた時に、禍根があった人とかもいるよね。追われたりしなかったのかい? 君たちしかいないんじゃ、いい標的だろう?」
森賀は鍵に興味があるのか、目を輝かせて質問攻めにしている。
「うん……まあ、そこは上手く逃げたよ。こうして無事でいるし、なんとかなったってこと」
空木はシオルに言葉を濁されたと気づいたが、カイが心神喪失の状態にあったという話を思い出し、口を閉ざした。セイラス亡き後、悲しみに暮れる彼らにそんな余裕はなかったのかもしれない。
「悪用した者の話だが……過去に奸計をめぐらせた蛇はいた」
カイは先頭を進みながら、ぽつりと語りだした。
「だが供をしていた鍵守が気づき、鍵守や他の蛇と森の一族によって蛇を奪われ、代わりを探して宛がわれた」
「ああ、そうだ。鍵を守る集まりはないけど、ドルイドがそれに近いかもよ? 蛇が頼れば知識を与えてくれるし、旅の助力もしてくれる。路銀はくれないけどな……まあ祭祀が忙しいみたいで、ほとんど会ったことないんだけどさ」
「彼らは民衆の争いごとを治める他に、文字を教えたりしている」
「へえ、慈善事業みたいな感じかな。ドルイドって聞いたことある気がするね……?」
「小説ではよく、魔法使いとして描かれたりしていますね。こちらのドルイドは立派な方のようですが」
ドルイドは空木の世界でも、かつていたとされている。
神官であり、民衆を調停する知恵者だ。だがその存在は古の時代であり、現在では社会的な役割を持っていない。ティル=オールの世界は、当時の文化を残しているのだろうか。
「立派も立派だよ。弟子が数百人はいるし、なりたいって奴はいくらでもいる」
「そんなにかい?」
「先生はシャルトールで、ドルイドには会わなかったのです? 数百人もいるのなら、歩いていればすれ違っていそうですけれど」
「いやあ、記憶にないなあ……そんなに偉い人たちなら、そうそう会えないだろうし」
シオルは言い出しにくそうに顔をしかめ、ぼそりと呟いた。
「あとドルイドの他にも、一応いるには……いる」
言葉は続かなかった。それを拾うようにカイが口を開く。
「森の一族だな」
「どういう方々なのです?」
「赤金の蛇の種族だ。修行者の集団であるドルイドに対して、彼女たちは同族で仲間を固めている。森の一族たちを鍵守として連れ、数十人で行動しながら異界を渡っている。同族から裏切者が出ることを蛇の彼女も、同胞たちも許さないはずだ……森の一族は長命であるために歴代の蛇を知り、その功績を語り継いでいるから、とりわけ蛇に対する使命感が強い。道に外れた考えを企てても、彼らが阻むだろう」
組織はなくとも、そうやって周囲から監視しあうことで自浄作用を保ってきたのだろう。
空木は長命という言葉に、ふとシオルがそうだと言っていたことを思い出した。だが実に言いにくそうに、話を聞いている間も居心地が悪そうにしている彼の姿から追及はしなかった。
「……つまりは、黒金の蛇が一人でいる状況は異常なのですね」
「ああ」
「鍵守がいなくなったら、その場しのぎでも金を使って護衛を雇ったらいいんだ。蛇と違って、替えがいるんだし」
「替え、ですか……」
まるで部品のような言い方に驚くが、鍵守である本人たちはさも当然といった口調だった。
「だから俺達は黒金の蛇に会い、訳を聞かなければならない」
「ところで、森の一族に会えば歴史を記録していたりするかもしれないんだよね」
「記録はしてるのかなあ……たぶん口伝だぜ。言っておくけど、会いに行かないからな」
断固としたシオルの反対に森賀は肩を落としている。
セイラスに拾われたという彼は、森の一族で何かがあったのだろう。
出自か、環境か。どちらにせよ深く聞くのは躊躇われる内容なのは違いなかった。
浜辺の方角からなだらかになった草地の森を抜ければ、あの輝く麦の草原が現れた。
黄金の地平線には汗に心地のいい風が流れ、麦穂が揺れている。
思えばここは秋のような季節なのに、妖精たちの丘はブルーベルが咲いている。たしか春に咲く花のはずだ。しかし森の緑は青く、島全体の季節が狂っていると言える。この謎めいた自然も妖精の力なのだろうか。
草原に踏み入ろうした空木を、カイの腕が制した。
「どうしました……?」
だが彼は口を閉ざしたまま金の波を見つめている。
「待て、草が動いた」
「風じゃないのかい?」
「獣の足音が聞こえる――カイ!」
耳を澄ましていたシオルが声をあげる。
「敵だ!」
短く鋭い言葉を放ち、カイは腰の剣を抜いた。
「あんたらは下がって!」
矢をつがえたシオルが森賀と空木の前に立つ。
草の中を駆ける音が空木にもようやく聞こえたが、その姿は見えない。
「どこです?」
空木が目を凝らした瞬間、獣が飛びだした。
黒々とした毛並の中に光のない眼球が、伽藍洞のような黒色を向け口を開く。
狼のようなその顔の口内は肉の色をしていない。
獣の生臭さもなく、粘膜も液体すらも溢さずに牙を空木の喉元へ突き立てようと飛びついた。
「あっ――」
驚き後退りする空木の眼前で、銀の刃が叩きつけるように振り下ろされる。
「獣だ。下がれ!」
首のあたりを両断された獣は霧散し、風に乗ってまた草むらへと消えていく。
鼓動が大きく鳴り響き、死をまぬがれたのだと気づいた。
シオルに腕を引かれ、森の中へ数歩下がる。
「カイ、横です!」
彼の左右に獣が飛びだす。
剣は獣の腕を切り、カイは右へと逃れる。
カイの背に左の獣が迫り、その胴を矢が射抜いた。
「カイ下がれ! 広い場所で戦おう!」
シオルは大きな弓をつがえながら後退するカイを支援する。
四人は森を戻り、木々の開けた場所で態勢を立て直した。
「蛇は使えそうか?」
短い問いに左腕の銀を思い出す。
樹洞でこれは壁になったのだから、この状況に何某か使えるかもしれない。
あの時は命令せずとも動き壁になった蛇が、いざ使おうとすると微動だにしなかった。
「動かない……どうして」
空木と森賀を庇いながら、カイは次々と襲いくる獣に剣を振るう。
だが黒い霧の獣は何度でも形を成し、飛びかかってきた。
「後ろにも来てるよ!」
森賀の叫びに振り返ったシオルが短剣を抜いて切りつける。
「動いて、何か……戦える武器に……!」
声で命ずるも白金の蛇は動かない。
「命令するんだ、空木!」
「命令?」
何を命令しろというのか。命ずればこの腕輪になったままの蛇が動くとでも。
空木の疑念が、焦りが思考の邪魔をしていた。
考えているこの瞬間にも空木たちを殺すべく獣は何度でも牙を剥き、爪を突き立てようと襲う。
「どうすれば……命令……一体、何を?」
セイラスはどう戦っていたか。
彼女が死んだ夢で、あの水晶の城のような場所で、巨人を圧倒したあの蛇は何度も姿を変えていた。蛇は白い腕を這いなぞり、槍に。
「貫いて――!」
カイへと飛びかかる獣の脚が地面を蹴り、高く跳躍し、そして止まった。
地面から伸びる銀の槍に貫かれ、空中に留め置かれている。
「上出来だ!」
三本の槍に高く貫かれ、暴れる獣を呆然と見る空木の腕を引き、カイが走る。
「シオル、橋を渡るぞ!」
「了解!」
「ええ、橋って?」
戸惑う森賀の背を押しながら、シオルが殿を務め獣を牽制している。
「どうやら獣は切らなければ消えないようだ。空木、あの槍でまた止められるか」
たしかに槍で釘づけになった獣は霧散していない。
「は、はい――やってみます、やります!」
走る足を止め、再び地面から数本の槍を繰りだす。
二匹の獣がかかり、まだ追いくるのは一匹。
「中に入るぞ!」
カイは再び空木の腕を引き、水鏡の建物へと飛び込んだ。森賀とシオルもそれに続く。
「壁を造ります!」
入口を塞ぐべく、空木は樹洞での壁を思い出す。
獣は追って建物へ入ろうと闇色の目を向けて脚を速めた。
しかし槍のように幾本も伸びた壁がすぐに入口を封じ、獣の衝突音が聞こえた。
「上出来だ」
息を荒げて肩を上下させる空木に、カイは顔をほころばせまるで新米の戦士を褒めるような言葉をかけた。褒められて嬉しいやら、恐怖やらで空木は複雑な気分になったが、造った壁から金属に牙を立てるような甲高い音がして我に返った。
この建物は、ティル=オールに来た最初の日に訪れた。空木の姿を変えてしまった水鏡があるはずだ。もう一度あの水面に姿を映せば、今度は何が起こるのだろう。空木は石段に近づかないよう壁際に立っていた。
「あの狼みたいなのがいなくなるまで閉じこもる寸法かい?」
「いいや、道はある」
そう言いきり、カイは臆することなく水鏡に近づいていく。
「カイ、その水鏡は……!」
「水面を見なければ平気だ」
石段へは近づかず、床を伸びる三本の水路への石の仕切りを引き抜き、溜まった水を排出させていく。
「これは……何か仕掛けでもあるのです?」
「水鏡の下に扉があるんだよ。水を抜かないと使えないけどね……はあ、矢を回収し損ねた……」
シオルは矢筒に差した矢の残数を数えて落ち込んでいる。
「これはある種の魔道具だ。水溜だけでは力を発揮しないが、水が流れ込み扉が隠れるほど深く溜まれば、知らず覗く者の姿を暴く力を発揮する」
「こういう条件が揃うと使える遺構があちこちに残ってるんだよ。面倒でしかないけどね」
「へえ……知らないと通れない道なわけだね」
感心したように森賀は水路を観察していた。
「空木、もう平気だ」
カイに呼ばれ恐る恐る石段に近づくと、水はほぼ排出され、底に眠っていた石の引戸が露出していた。
「通路を開く。森賀刑理、手を貸してくれ」
両扉の引戸をそれぞれ溝に手をかけて引いて行く。
かなり厚い石なのか、重たげな音を立てながら左右に開かれた。
奥には湿った通路があり、建物の下を通っている。その先に漏れる光が、地上に通じているのだと示していた。
「この先はどこへ通じているのですか?」
「湖を渡る橋だ。君の造った槍は離れれば消えてしまう。今のうちに距離を稼ごう」
階段を降りるカイに続き、空木たちも暗い石の通路を駆ける。
さほどの距離はなく、再び階段を上がれば湖を繋ぐ橋へとでた。
後ろを振り向けば岸までそれほど距離はないが、獣たちの姿は見えない。まだ建物の前にいるのだろう。
「ほら、急ぐぞ!」
シオルに背を押され、長い橋を走る。
北側の山に近づき、ようやくそれが森に覆われたわけではなく、ほとんど崖のような尾根に草が茂っているのだと知った。
橋の向こうには険しい山にぽっかりと開いた洞窟が見える。
「メロウはこの先に?」
「そうだ」
碧い湖の上を直線状にかかる橋を全力で駆け、四人は山の内側に造られたイシュカ遺跡へと吸い込まれた。
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