4話

干し草の上にやわらかな亜麻色が波打っている。

目が覚めて一番に視界に入るのは、変色してしまった髪だ。

透き通った金より淡い髪は品の良い色をしているが、染髪と無縁であった空木には派手すぎると感じていた。


体を起こせば体に疲れが残っていたが、干し草の上に自分しか寝ていないことに気づき、昨晩の襲撃を思い出した。


妖精たちは眠らなかったのだろうか。

様子が気になり、空木は階段を下りて大木の扉を開けた。


昨夜と変わらず、妖精たちはイヴァン・ベァナの亡骸を囲むように集まっていたが、皆泣きつかれて眠ってしまっているようだった。

どう声をかけたものかと悩んでいると、肩に優しく触れられた。


「空木、俺たちは黒金の蛇を追う」


そう簡潔に告げ言って、カイはファナ・ベァナを起こした。


「ファナ・ベァナ、また霧を生むんだ。君たちの身を守れ。俺たちは逃げた彼女を追う」

「私もついて行くわよ。全員は連れていけないけど、私たちの手で蛇をやっつけてやるの!」

「気持ちはわかるが、大勢で動けば見つかりやすい……敵に察知されれば逃げられるだろう。君たちは家を守れ、もしまた襲われるようなことがあれば、逃げるんだ。黒金の蛇は歴戦の戦士だ。戦士の相手は、俺のような騎士がすべきだ」

「不器用な人……カイ、白金の蛇の騎士。そして白金の蛇、空木。お願い、イヴァン・ベァナの仇をとってちょうだい!」


ファナ・ベァナは泣き濡れた瞳をぎゅっと閉じ、イヴァン・ベァナの傍へと戻っていった。

成り行きを見守っていたセル・ベァナは、手にしていた包みをシオルに渡した。


「お弁当だよ、持って行きなさいな。ねえ、あたし見たよ枝の上から。あの老女が、扉と反対側に逃げたのを」

「反対側って、湖の方角か? 逃げるなら、扉に行くよな……一人で行動してるし、しかも妖精を襲うなんて絶対におかしい」

「黒金の蛇が何かを企んでいるように思えてならない……空木、君も俺たちと来てくれるか?」


急に話を振られ空木は驚き、シオルも目を剥いていた。


フィニステールの探索に興味がないわけではないが、空木は悩んでいた。あちら側ではどのぐらいの時間が経っているだろうか。寮母が空木の不在に気づいてもおかしくない頃合いだった。


「いいんだけどさあ。夜中にあんなことがなければ、異界に渡るつもりだっただろ?」

「たしかに俺たちはティル=オールに長く居過ぎた。異界に移動すべきだと言いたいのか?」

「いや、追いかけるのはいいんだよ、オレも異論はないし。ただ黒金の蛇を追うなら、俺とあんたでこっちの蛇を守りながら戦わなきゃいけないってこと。一緒に連れて行ったら危ないんじゃないの? 二人で蛇を守るなんて、今までもなかっただろ」

「だが丘にいては、また襲撃されないとも限らない。黒金の蛇の狙いはこちらの鍵ということもある。丘の人<シー>は翅で逃れられるだろうが、空木は飛べない」

「じゃあ……カイがこのまま追跡して、オレが元の異界に送っていこうか? あんたの世界ってこっちより安全そうだし」

「ええ、危ないことはないと思いますが……」

「いや、だが……」


カイは言い淀み、あまり変化のない表情に悲しみの色がついている。


「彼らにも事情がありそうだ。そろそろ僕らはお暇すべきだね」


打った傷がまだ痛むのか、頭をさすりながら森賀が寝床から現れた。


「古梁川さん、安易な気持ちで危険な場所に連れてきてしまって、本当にごめんね。責任は僕がとるから、君は心配しなくていいよ」


安心させるように森賀は微笑む。

空木の背を優しく押し、門の方へ歩ませようとする。


「さあ、僕と帰ろう。君は偶然、ここへ来てしまっただけなんだから」


偶然。もしかしたら望んで来たのかもしれないと思った。本の中にあるような知らない世界で、冒険がしてみたかったと、口にはしないがそういう気持ちがあった。

森賀はリュックを背負い、もう帰り支度を済ませていた。身一つで来た空木は、帰るつもりならすぐにでも出発ができる。


「私は……よくしてくれた妖精たちがどうして襲われたのか、どうしてイヴァン・ベァナが死ななければいけなかったのかを知りたいです。カイとシオルにも、迷っているところを助けていただいた恩がありますし……力不足でしょうけどその手伝いをしたいのです。せめてこの成り行きを、最後まで見届けたいと思います」


だがどう考えても足手まといになるだろう、空木は剣すら振るったことがない。

空木は沈黙する周囲に悩み視線を揺らがせ、カイの瞳をそっと見つめた。


「俺は君に、来てほしい」

「蛇の役目だってのは置いといても、相手の目的がわからないから一緒に行動するべきかもね。でも、あんたが思っているより危ない場所へ飛び込もうとしてるって知っておいた方がいいよ」



「まず浜辺に舟があるかを確かめる。舟がなければ、シャルトールに渡っているかもしれない」

「舟ですか? 扉から逃げたわけではなく?」

「ああ。彼女たちの話では、少なくとも森を通って扉から逃げた様子はないらしい。であれば、海だろう」

「オレとカイが弔いの船団の船でこっちに来てからしばらく経つけど、他の船団は見かけてないから……たぶん小さい舟だな」

「獣が現れたのは、船団と関係のない時期だそうだ。だが彼女たちは黒金の蛇を今まで見かけていなかった……長居ができるような人宿が他にないフィニステールで、寝泊まりしていたとは考えにくい……だから移動したとすれば目立たない手段を使ったはずだ。まだ島にいるとすれば、蛇が渡って来た舟が一隻は残っているだろう」


カイの提案に四人はクランの丘を包む鬱蒼とした森を抜け、林檎が実る穏やかな平原を歩いていた。紅く色づいた林檎は大きく育ち、果樹園のごとく枝にいくつも実っている。

林檎の森を抜ければ、麦の草原に出て、空木が進んだ一本道を湖とは逆方向に辿れば海へ行けるのだという。


「先生はついていらっしゃらなくても……生徒も教師陣の方々も心配しているでしょうし、私と一緒では、体面が悪いと思いますから」


空木が行くなら放っておけないと、森賀も一行に加わっていた。


「古梁川さんみたいな箱入りの女の子を知らない男性と一緒にはしておけないよ。僕のことは大丈夫、何とかするから平気さ……まあいざとなったら、また旅にでも行くよ」


気さくに笑い肩をすくめる。森賀は学院に戻ったときの方便として、自分は急病の空木を麓の病院まで運んで付き添っていた、というつもりらしい。唐突に急病と言われ驚いたが、髪も目も変色してしまった以上、染めたのでなければそれなりの理由が必要だからと言われた。空木としても不良と扱われるのは好ましくないので、その方便を採用することにした。


「ところで、僕らは誰を探すのかな」

「あんたは蛇にやられて気絶してたんだっけ?」


森賀はあわや扉に立てかけていたテーブルの下敷きになるところだったらしい。


「門を開けたというのも、妖精を襲ったあの女性がやったことなのでしょうか」

「ああ。黒金の蛇……ベルティネ・ドゥーンフォルトで間違いないだろう」

「どういった人物なのですか、ベルティネという女性は」

「彼女はセイラスに次いで、二番目に長く蛇を務めている強者だ。代々、鍵守となる者を輩出してきた家系の生まれだと聞く。彼女の生涯は蛇に捧げられていると言ってもいいだろう」

「まだ蛇について理解できていないのですが、蛇は妖精を襲うことがあるのですか? それもあんな、不意打ちのような形で」

「まず有り得ない。妖精は気紛れだが、殺されるほどの悪戯はしないだろう。礼を尽くせば、寝床を貸してくれるほどには気のいい種族だ」

「非のない妖精をベルティネさんが襲った……と?」

「ええと……蛇ってなんだい?」


途中から合流した森賀にすれば、まるでわからない話ばかりだ。シオルが気を聞かせ、森賀と並んで説明してくれている。


「蛇が襲ったとしても、一人でいるはずがない。俺のような鍵守がいるはずだ……なのに彼女は、獣に紛れてやってきた。これは俺の考えだが、ベルィネ・ドゥーンフォルトは、鍵を悪用するつもりではないだろうか」


鍵を悪用するとはどういうことか。昨夜のような戦いに使うのでは大した力にはならないだろう。異界に渡る力であれば、こうして空木のように別の異界へ乗り込み、悪事を働くこともできるか。


「つまり、ティル=オールで何かをしようとしている……そういうことですか?」

「俺はそう思っている……だが正しいという確証はない。浜辺に舟があるかどうかで、彼女が何を企てているのかも変わってくる」


黒金の蛇が良からぬ謀をしているのは間違いないが、彼も掴みかねているのだ。


「蛇は鍵を守るために一所に住まず、悪しき者に知られないよう常に移動しているが、行く先々で功績を果たせば自然と名が知れてしまう。だから一つの異界に留まれない。蛇を守り、道に外れた使い方をしないよう鍵守の戦士が護衛しているずだった。だがベルティネ・ドゥーンフォルトは自ら鍵を、本来の務めから外れた使い方をした。考えたくはないが……黒金の蛇の鍵守は死んでいるかもしれない」

「ベルティネさんが殺した、と言いたいのですね」


恐ろしい考えに空木は口元を抑えながら口にした。

カイは灰色の瞳に厳しい色を宿し、確信のある口調で言葉にする。


「老練な鍵守は年若い頃からその役目を任され、長く共にあった。彼女の行動を止めないはずがない」


旅を共にしていた仲間を殺す理由に、どれほどのものがあるのだろうか。


「見ろ、舟が止まっている」


指で示された方向を見れば、浜辺に舟が乗りつけられていた。

赤みがかった砂浜には、青い波が打ち寄せる浅瀬があった。

革靴を埋めながら波打ち際に行けば、数人が乗って余りある木造の船が停まっている。


「足跡は残ってないね。渡って来てから、それなりに経ってるんじゃない?」


砂浜に残る足跡は空木たち四人の残した跡しかなく、風にさらされたのか、他の人間が歩いたような形跡は消えてしまっていた。


「フィニステールで一体、何をするつもりだ……?」

「妖精と精霊には会いましたけれど、あなたたちの他に住人の方は見かけませんね。街は何処にあるのです?」

「街はない。フィニステールは妖精のための島だ」


空木が探しても誰も見つからなかったはずだ。そもそもフィニステールに人は住んでいなかったのだ。


「人にとってフィニステール島は、死出の旅路をするためにある。海の向こうに連なる崖が見えるだろう、人はあのシャルトール島に住んでいるんだ。誰かが死ななければ、滅多なことでは海を渡らない。この島は妖精たちの領土だ、一人で来ようなどと無謀なことはしないだろう」

「亡くなった時に渡るのなら、お墓があるのですか、フィニステール島には?」

「墓はないが、死者を弔う泉はある。フィニステールを通る一本道を進んだ先に神殿があり、その宮に湧く泉へ死者を沈めれば、体から魂が抜け、転生して新たな生を受けられると信じられている」

「島自体が、信仰的に重要視されているのですね」

「僕が連れて行ってもらったのは海の向こうのシャルトール島だね。こちらの島はあまり探索しなかったけど、向こうには人が住んでいたし街もあったよ」

「そうなのですか。私もあちらへ、行ってみたいものですが……」


透明度の高い浅瀬の先には、青の水平線とシャルトールの高い崖が続くのが見える。フィニステールよりも数倍は大きな島であることは明白だった。


「解決したら、君を連れて行こう」


黒灰の髪を海風に揺らし、真剣な表情から紡がれた言葉に冗談は滲んでいなかった。彼とここへ来るまでに、一つの冗談も聞いていない。カイは素直で、ひどく真面目な男なのだ。


空木は彼の約束に喜びを感じたが、こう言ってくれるのも、姿が愛した女性に似ているせいだろうか。彼が見ているのは、空木の背で揺れる亜麻色の髪だけかもしれない。


「黒蛇って人がこの船で渡って来たんだよね。どこに行ったか見当はついているのかい?」


荷物もない空の船を覗き込みながら、森賀は疑問を口にした。


「フィニステールにいるのは確実だが、居所はわからない」

「目撃した人がいれば尋ねられるのですけれど、人間は住んでいないのですよね」

「ああ、そうか。それなら妖精に聞いたらいいんだよ。自分の住処のことなら把握してるだろ」

「そういうものなのですか……?」

「うん、そういうものなんだよ」


どうやら妖精は自分の領土に敏感なようで、誰かが侵入すればすぐにわかるのだとか。

自分の思い付きがよほど嬉しかったのか、シオルは初めて見せる笑顔で森へと浜辺を戻って行く。近くを歩いて海を知る妖精が誰か尋ねる算段らしい。


「ところでずっと気になってたんだけど、シオル君はエルフってやつなのかな」

「まさか、物語の中だけでしょう……?」

「だってすごく美少年だよ。あれ、でも耳が長くない……いや尖ってはいるね。やっぱりエルフなの?」

「なぁ、こいつなんとかしてくれよ」


森賀はシオルに興味を持ったようで、しきりに観察しては話しかけていた。

空木もシオルはエルフなのかと気になっていたが、否定する様子からすると生態が似ているだけのようだった。


「エルフに似ていますが、そうは呼ばないようですね」

「いやあ、すごく美形だからエルフなのかと思ったよ。じゃあ僕と同じ人間なのかな?」

「ええと……そうだ、二人はどうしてフィニステール島にいるのです? 滅多に人が来ないと言っていましたけれど。門があるからでしょうか?」

「まあ門はこの島にしかないってのもあるけど、噂を確かめに来たんだよ」

「噂?」

「シャルトールから弔いに渡った人間から、獣が出るという噂を聞いたんだ。この島には獣など住んでいないのにも関わらず」

「稀に海を泳いで渡る根性のあるヤツもいるけどね。獣だけなら妖精か、精霊が化けた姿だろって思ってたんだけど、話を聞いたら群でいるって言うんだよ。それはおかしいから丘で寝床を借りながらあちこち歩いてたんだ。そしたらあんたと出くわしたんだよ」


あの湖畔に二人がいたのも調査の最中だったのだ。


「ファナ・ベァナから依頼がなくとも、俺たちは獣を調べるつもりだった。まさか妖精が命の危機をを感じるほどの大事になるとは予想もしていなかったが」


それとなく空木が会話を逸らしたつもりだったが、森賀の興味はシオルに向いたままだった。シオルは森賀の視線が鬱陶しくなったのか、先に走り出した。空木は少年らしい活発さに笑んでいたが、細い背がちょうど木に隠れるとシオルの叫び声があがった。


「カイ! こっち来てくれ!」


すぐに腰の剣に手をやり駆けるカイを、空木と森賀も顔を見合わせながら追う。


「シオル、どうしたのですか」


立ち尽くすシオルが振り向き、開けた森を見るよう目で促す。

そこには黒く豊かなたてがみを風に揺らす黒馬がいた。脚や胴は筋肉がしなやかに膨らみ、凛然とした風格を持つ雄々しい姿に空木は目を奪われた。


「私を探していただろう」


この場にいる男性の誰でもない、低く落ち着いた声が辺りに響く。


「誰です……?」

「彼だ。彼が話している」


カイは黒馬から視線を外さずにそう答えた。黒馬が呼びかけたのだ。


「この森はあなたの領土か?」

「そうだとも。知りたいのだろう、海から訪れた人の話を」

「ああ、教えて欲しい。黒金の蛇がどこへ行ったのか、知っているだろうか」


黒馬は黄金の瞳を瞬かせ、肯定して見せた。


「だが先に知るべきことがある。着いてきなさい」


蹄は草を踏み、ゆっくりと北の方角へ歩きだした。


「どこへ行くのでしょう……?」

「ここは従っておこう。東側の森はまだ調べていないからな」

「ええ、わかりました。行きましょう先生……森賀先生?」

「馬が……馬が喋ってる……」

「妖精もいますし、きっと馬も話しますよ。しっかりなさってください」


呆然としている森賀の背を押し、一行は黒馬を追った。

黒馬の彼は浜辺から離れ、湖に近い森に移動しているようだった。木々の向こうには麦の揺れる草原が微かに見えている。


しかし草原へは向かわず、巨石の並ぶ島中を背に、傾斜のついた海に近い崖の森を奥へと進む。誰も口を開かず、どこか彼に対して畏敬の念を抱いた雰囲気があった。これが彼らの世界での、人と妖精の関わり方なのかもしれない。


森が次第に深さを増していき、真昼だというのに空を枝葉に遮られた森はひどく暗くなっていく。


木の根密集していない、広けた森の底のような場所へ辿り着き、ようやく彼は蹄を止めた。


「ここだ」


そこは開けた土の上だった。荷物が散乱し、黒い汚れが染み込んでいる。


「血だ。乾いた血が……数人分はある。全員殺されたかな」

「荷物も、鞄からすると五人分だね。間違いない、黒金の鍵守と同じ数だよ」

「それはつまり、ここで死んだというのですか……?」

「殺された、と言うべきだろうな。血が辺りに飛び散っている」

「争ったような跡もないし、火も道具も踏み荒らされた様子もないね。たぶん、寝込みを襲われたんだよ」

「ひどいな……大丈夫かい、古梁川さん。無理して見なくてもいいんだよ」

「いえ、何があったのか知っておかなければ……」


血痕と聞けばたしかに細かな黒い染みは飛び散った血に見える。

等間隔に並んだ荷物と、土の上を微かに引きずったような跡。その上を塗りつぶすように広がる黒く乾いた血痕。おびただしいその量は、医療施設のない島では助からないだろうと推測できた。


「私は見た」


黒馬は静かに語りだした。惨劇の場所に何があったのかを。


「星のない夜のことだ。巨大な獣に戦士たちが襲われた。この島の何よりも大きな獣だ。そんな妖精も精霊も、私は見たことがない。そして黒金の蛇だけを食い残し、去って行った」

「黒い獣か。剣で切り裂いても死なない、幻の獣だったか?」

「幻のようではあった。戦士たちは寝首を掻かれたから死なぬかは知らぬ」

「私たちを襲った、あの狼のような獣と同じということですか」

「そのようだ。他に何か見ていないだろうか?」


彼は首を振り否定した。雄馬の逞しと得体の知れなさがあの愉快な妖精たちとは似ても似つかず、とても近づく気にはならなかった。


「教えてくれてありがとうな。鞄の中の物、どれでも持って行っていいよ」


シオルは膨らんだ肩掛けの鞄を開けて見せた。黒馬は中から包みを咥えると、黄金の瞳を瞬かせ、蹄で土を蹴ると森の中へ消えた。


「何をあげたのです?」

「妖精がくれた弁当だ。異界で仕入れた道具とか入ってるんだけど……あれでよかったのかな」


走り去った方角を見ると、包みを咥えていた馬はいつの間にか黒山羊に変わっていた。


「はあ……えらく気迫があるというか、不思議な馬だったね」

「ええ。なんと言うか……絶妙な場所で遭遇しましたね」

「偶然にしてはね。妖精に監視でもされてるのかな?」


彼らにとって、少なくとも空木と森賀は余所者だ。警戒してどこからか見張られているのも無理ないのかもしれない。


「いや、彼が自ら俺たちの前に現れてくれた、と言うべきだろう」

「それって同じ意味じゃないかな?」

「俺たちが聞かなくとも、彼は伝えようとしていた。だから姿を現したのだろう、見返りを要求しなかった理由も納得がいく……恐らくそれだけ、島にも、彼らにとっても悪い状況ということだ」


妖精は時に知らせを告げると、本で読んだことがあった。馬や鷲の姿で人間に伝える、プーカ。あの黒馬もプーカが変身した姿だったのかもしれない。


「そうかい? 監視されてないなら安心したよ。急に逆鱗に触れたりしたら、何をされるかわからないからね」


「安心するにはまだ早いですよ、先生。獣はどこかに潜んでいるのですから」

「ああそうだったね。害獣を捕まえるとなると……罠でも仕掛けるのかな?」

「いや、罠では捕まらないだろう。剣で切ったときのように、霧散して逃げるだろうな」

「黒金の蛇を捕まえるのが手っ取り早いんだろうけどさ……だいたい、この島で何やってるんだろうな? 生きてる人間は用事なんかないだろ」


死者と妖精のための島ならば、たしかに生者には来る理由がないだろう。


「島の北側はどうなっているのです? 神殿の他に建物はないのでしょうか」

「北側は神殿のある遺跡と、その上には険しい山があるだけだ」

「もう別の異界に逃げた可能性もあるんじゃないかい?」


森賀の言う通りだ。舟で渡る必要もない、彼女には鍵がある。異界へ逃げてしまえば探すのは至難の業だ。


「でもおかしくないか。鍵守を殺して、あとは好きにどこかへ消えればいいのに、わざわざ妖精を襲うか?」


「何か、彼女には留まる理由があるのか……」


フィニステール島に一体、何があるのか。

留まるだけの理由があるのだろうが、それはカイにも思いつかないようだった。


「また、妖精を襲うつもりでしょうか」

「妖精か」


カイは少し考え込み、口を開いた。


「フィニステール島には妖精の集落がいくつもあるが、中でも領土が大きな種族は二つある。一つは君も会った『丘の人<シー>』、そして最も数の多い、イシュカ遺跡の地底湖に住む『メロウ』だ」


メロウは美しい女の姿をした人魚だと言われている。彼女の歌声は船に乗る者を惑わす、水妖でもある。


「ではメロウの一族に会いに行きませんか。何事もなければそれでいいでしょうし、もし襲われていたら助けてあげないと……今は他に手がかりもありませんから」

「たしかに今から帰るなら、クランの丘より湖を通ってイシュカ遺跡に向かった方が早いかもね。どっちも遠いのに変わりはないけど」

「メロウって妖精だよね。友好的な種族なのかい?」

「攻撃的ではあるが、できる限り認められるよう、礼を尽くすさ」


「では行きましょう。メロウの住む遺跡へ」


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