2話

進むにつれ、森は一層と深さを増していく。

うねる木々の間を進めば、葉の茂みで空も見えなくなった。


どうやら二人を信頼してもいいのかもしれないと川で思いかけた空木だが、人里が一向に見えてこない森の中で、彼らに同行したことを後悔し始めていた。

足場もさして良くない森の、道ならぬ道をさらに霧が漂い、いよいよ心身共に挫けそうになった頃。ぼんやりと濃くなる闇の中に人影が浮かんだ。


木の枝に座る子供の姿が霧の中で薄く見えている。


「子供がいます……こんなに深い森なのに」

「妖精だよ。子供の姿だけど、ティル=オールに住んでる誰よりも長生きしてる」

「よ、妖精……?」

「敬意をこめて『丘の人<シー>』と呼ぶんだ。他の呼び方を口にしてはいけない、彼らを怒らせてしまう」

「あいつら気分屋だから、怒らせたら今夜は野宿だよ」


丘の人、と呼びかけるカイの後ろをついて行くと、枝に腰かけていた妖精がふわりと飛んだ。


「ああ、ファナ・ベァナ。仲間が増えたんだが、彼女にも寝床を貸してもらえるか」

「あら、白蛇のところのカイ。その娘は誰なの、見ない顔だわ。お仲間なの?」

「彼女は空木だ。異界からやって来た、俺たちの新たな白金の蛇だ」


透けた薄緑色の翅を羽ばたかせ小首を傾げる。

小説の登場人物として、童話の挿絵として描かれた幻想の彼女たちが、たった数歩の距離を浮かんでいた。靴を履いておらず、素足は宙を揺れ、地面には着いていない。

妖精の姿にしいて違いを言うなら、本に描かれていた小さな体よりも数倍は背丈がある点だ。子供の背丈ほどの少女。


飛んでいなければ妖精だとは信じられなかっただろう空木が驚き息を呑んでいると、当の妖精ファナ・ベァナは眼前に近寄りしげしげと空木を眺めた。

碧色の瞳をいたずらっぽく瞬かせ、白いヴェールのような服と茶褐色の髪を揺らしている。


「ふうん、ふうん。次代の白金の蛇なのね! いいわね、いいわよ。蛇にはよくしてあげなくっちゃ、あんたも泊まってお行きなさい」


ようやく休めると空木は胸を撫で下ろした。

革靴を履いた足は痛み、限界を迎えている。


「でも、条件があるわ。蛇と獣をやっつけてほしいのよ」

「ええ、貢ぎ物の布ならあげただろ。まだ足りないのかよ?」

「島に獣や蛇がいるとは聞いたことがないが」

「そんなの森にいなかったのよ? でも最近、襲われて翅が傷ついた子もいるわ。放っておいたら、牛を食べられちゃうかもしれないの。牛乳が飲めなくなったら困るわ。だから、そいつらをどうにかしてちょうだい!」


シオルは明らかに面倒そうな顔をしているが、カイは頷いて快く引き受けた。


「明日の朝探してみよう。襲った相手の種かわかるか?」

「獣も蛇もね、とにかく黒くいの。あたしたちもやっつけようとしたんだけど、倒してもまた獣の形になって襲ってくるわ。こういうのって、あんたたちの出番でしょ?」


霧の漂う森を抜け開けた野につくと、空は暗く染まりかけていた。空木はこれ以上ないほどに歩き疲れていたが、案内された妖精の住処を見れば興奮で眠気がどこかへ飛んでしまった。


クランの丘と呼ばれるなだらかな斜面には、鈴のような小振りの青紫をしたブルーベルの花が一面に咲き、丘の頂には幹が捻じれ空に向かって枝葉が伸びた大木が聳えていた。大木の樹洞に造られたその家からは、鳥の巣穴のような窓からいくつもの灯りがもれている。


「ブルーベルの花畑……まるで童話だわ」

「それって花の名前?」


シオルが少し驚いたように空木を見た。


「ええ、ブルーベルの花が群生する場所には妖精が住んでいると言われているんですよ」

「へえ。そっちの異界にも妖精がいるんだな」


花の妖精に子どもが連れ去られてしまう伝承もあるというが、ファナ・ベァナに聞かれてしまわないように口をつぐんだ。


「本当に素敵な家ですね」

「いいでしょう。あたしたちの素敵な素敵な、自慢のお城なのよ!」


樹洞は三階層にくり抜かれ、一階はテーブルと小さな窯度に広いリビング、二階は貯蔵庫に、三階は干し草のベッドを敷いた寝床が造られている。

妖精に誘われて樹洞に入れば、壁や床に絨毯や花で余すところなく飾りつけられ、大きなドールハウスへ迷い込んだようだった。


背の高いカイがいてもさほど窮屈ではなく、ゆったりとした室内はランプの皿で揺れる火がいくつも灯され、温かく照らされている。木材を削って造られた装飾の可愛らしい椅子に座りながら、空木はうっとりと妖精の家を眺めていた。


樹洞に招き入れられた時には、すぐさま妖精たちが集まり質問攻めにあったが、立っているのも辛くなっていた空木は座らせて欲しいとどうにか願い出て、やっと得られた休息を満喫していた。


カイは階下の部屋を借りているらしく、着替えると言って下りて行った。シオルは妖精の料理を手際よく手伝っている。体力があるらしい二人はまったく堪えた様子もなく、少なくとも旅をしていたという話は本当のようだ。


「案外、調理道具が揃ってるじゃん。あんたらが造ったのか?」

「島に来た人の貢ぎ物なのよ。旅の安全を祈って、あたしたちに捧げていくから使ってあげるのよ」

「人ってこういう細工が得意よねえ」


乾いた香辛料がいくつも吊られた小さな台所には、妖精のサイズにあつらえられたすり鉢や鍋や食器が並んでいる。炉辺に置いた甕で調理する様は物珍しく、異文化に満たされた空間を見物していたが、妖精が押し寄せて空木は再び質問攻めにされた。


「あなたどこの娘?」

「異界から来たんだって!」


樹洞に住む十二人の妖精が全員で空木を取り囲む。

こうして妖精が並ぶ姿をじっくり観察すると、大きさこそ違うがその姿は本で読んだ妖精そのものの愛らしさだった。震えるように細かく羽ばたく翅も、髪も肌も、それぞれ違った色をしている。金髪に茶髪、小麦の肌に白い肌。翅だけはどの妖精も花のように可愛らしい淡い色をしていた。


「わたしはイヴァン・ベァナよ。ねえあなた、セイラスにそっくりじゃない。どうして?」


落ち着いた雰囲気をまとうイヴァン・ベァナが亜麻色の髪に優しく触れた。


「これは……湖の側にある建物で、水鏡というのですか。それを見たらこうなっていました」

「浄化の力があるのよ、あの水鏡は。魂が清められて本当の姿になったんだわ。いいじゃない、素敵な髪の色よ。瞳もね」


楽し気に黄緑の翅を羽ばたかせるイヴァンは、淡い茶色の髪は結いあげ、貴婦人のような清楚なドレスをまとっている。容姿に気を使うのが彼女の趣味なのだろう。深緑の瞳は細められ、心から褒めているようだ。


「イヴァンはセイラスさんを知っているのですか?」

「もちろんよ。セイラスはね、一番長く蛇だった人よ。最初の白金の蛇だったの。あなたが二番目ね」


妖精たちは口々に肯定した。全員がセイラスと会ったことがあるような口振りで。


「セイラスは強くて負け知らずなの。赤金と黒金の蛇は何度も代替わりしてたのに。そういえば、何百歳だったのかしら?」

「何百……セイラスさんは人間、ですよね?」

「きっと違うわ。わたしたちも、よく知らないのよ」

「ねえ、空木はどこからきたの?」


ファナ・ベァナは机に頬杖をつきながら空木に尋ねた。


「それは俺も聞きたいところだ」


着替えたカイが地下の階段から歩いてくる。


「そうですね、話しておくべきでしょう」


マントを脱ぎ、胸当てを外した姿はいくらか威圧感が減りはしたが、その鍛えられた体の線はチュニックの上からでも明らかだった。


簡素な服に着替えても、やはりその凛々しい風貌は目を惹くものがあった。しかしカイ本人は外見に興味はないのか、飾り立てるような服装も仕草もなく、朴訥な雰囲気をまとっている。


「君の国の話を聞かせてくれないか」

「国、ですか。どう説明したらいいのか……」

「なんてところに住んでたの?」

「日本という国に。と言っても、私がずっと住んでいるのは学院ですが……歳の近い女の子と一緒に寮に住み、学問を学んでいたのです」

「へえ、あたしたちと同じね。空木も樹洞に住んでいたの?」

「いいえ。木造ではあるでしょうけれど、私も他の子も、部屋は別にありました」

「まあ……豪華な家じゃないの」


そしてあらためてここにいる経緯と、森賀とはぐれてしまったことを話した。

幾重にも年輪を重ねた、丸太の広々としたテーブルを囲みながら、カイと妖精たちは空木の話に耳を傾けた。


「フィニステールに異界の人が二人も迷い込むなんて!」


見慣れぬ存在にファナ・ベァナは足を揺らしてはしゃいでいる。


「もし森賀先生を見かけたら、ここに連れてきて欲しいのです」

「でもねえ、わたしたちも常に森を見張ってるわけじゃないのよ? 人が来たら隠れているし、そもそもめったに丘からは出ないから。それに最近は獣がいて物騒だもの」

「でもかわいそうね、会いたいならなら探してきてあげるわ。きっとあたしたちの霧で迷ったんだわ」


薄黄の翅の妖精がテーブルから飛び上がった。


「あなた方の霧? 森の霧は自然に発生したわけではないのですか?」

「悪いやつが入ってこないように、霧で森を守っているのよ。獣に襲われないように門まで霧を漂わせたのが裏目にでたのね」


イヴァン・ベァナが物憂げに言った。

霧の中をさまよっているなら、森賀はまだあそこに留まっているかもしれない。


「森へ行くなら、ついでに門を閉じてきてくれないか。君たちの翅ならすぐに着けるだろう」

「門ね、いいわよ。また人間が入ってきちゃったら大変だもの。閉めてきてあげるわ」


森賀の特徴を告げると、名乗り出た二人の妖精は樹洞を飛びだしていった。


「飯が出来たのにどこ行ったんだ、あいつら?」

「彼女たちのご飯はとっておきましょう」


シオルが両手に大きな木皿を抱えて、手際よく並べていく。

空木も飲料の入った細い甕を受け取り茶器に注いでいく。


「少しだけ麦の香りがしますね。お茶ですか?」


カップを受け取ったカイはそれを美味そうに飲み干した。


「エールだ。君も飲むといい」

「い、いえ。私はまだ成人していないので、ジュースにしておきます」

「そうか? 黄金の国<ティル=オール>は麦が豊富だ。楽しみ方を覚えるといい」

「黄金の国……ところで、ここはティル=オールのどの辺りの場所なのですか?」

「ティル=オールは島の集まりだ。このフィニステール島は南端に位置している」

「オレらがいる丘はフィニステールの西南側。そんなに門から離れてないよ。湖畔の神殿はちょうど島の中央だから、一番南にある門の方角に、あんたは戻ってきたってわけ」


料理が得意なセル・ベァナが用意してくれた夕食をテーブルに並べ、なんとも不思議な晩餐が始まった。

サラダに、じゃがいものポタージュ。薄く焼かれた平たいパン。林檎。エールに木の実のジュース。白いパンの焦げ目は狐色で、焼き加減にこだわりのある妖精もいるらしい。


学院の昼食から何も食べていなかった空木は、出された皿の何もかもが美味しく感じられた。

部屋に集まる妖精を観察していると、外見は姉妹のようでいて翅には違いがあった。


薄桃色や朱色や、目玉の模様がついた翅もある。この薄く透けた翅を持つ妖精たちは、見た目には戦えるようには思えない。空木もなんとか協力ができないかと、子を見守る気持ちが芽生えた。


「カイさんとシオルは人助けを生業にしているんですよね。私にも手伝えることはありますか」


丘に至るまでの道中で助けてもらい、疲労と空腹も重なって疑うことを諦めた空木は二人に対していくらか打ち解けていた。このまま帰るのだとしても、妖精に引き合わせてくれた二人に報いたい気持ちがあった。


「ああ、獣退治か。頼まれれば必ずしも剣を抜くとは限らないが、旅の途中で世話になった人々や精霊、荒ぶる怪物を諫めるのも、我々の仕事だ。蛇と鍵守が担う役割の一つでもある。手伝ってくれると言うのなら、手が必要になった時には借りるとしよう」

「二人はティル=オールに住んでいらっしゃるのです?」

「生まれって意味ならそうだよ。でもオレらは、鍵が使えないからどこにも行けないだけ。そういや、あんたが蛇になったんだし、もうティル=オールにいる必要もないのか」


食事を終えた妖精たちはこぞって樹洞の外へ出て、小さな手を取り合い、星灯りの下で輪を作り踊っている。


空木が窓から空をのぞくと、暗い夜空に星が輝いていた。他に建物のないこの丘では、その輝きを邪魔されない星が数えきれないほど浮かび瞬き、落ちていく。ファナ・ベァナだけは踊りよりも物珍しい旅人に興味があるのか、一緒にテーブルを囲んでいた。


夢見心地で座っていた空木だが、もう異界に訪れてから一昼夜が経ったことに気づいた。

森賀と空木が消えてしまい、学院で噂になっているだろうか。それとも警察沙汰になり、父に連絡がいっているか。


ほんの少し寮から忍び出たつもりで、予想外の旅路になってしまった。

父は空木が失踪したと聞いたら、どんな反応を見せるのだろうか。これまで通りに興味を抱かないかもしれない。


窓辺で記憶の薄れた父の顔を浮かべていると、樹洞の玄関から妖精が入ってきた。


「ほらほら、入りなさいったら!」

「ああちょっと、お願いだから蹴らないで……乱暴な子だなあ」


妖精に背中を蹴られながら入ってきたのは、森賀だった。


「森賀先生……どうしてここに? てっきり学院に戻られたものと思っていました」

「こいつ、森の中を迷ってたのよ! 怪しい奴だわ。獣と蛇に関係があるんじゃない?」

「この人間は仲間なの? それとも敵なの?」


ファナ・ベァナの鋭い視線に、慌てて空木は間に割って入った。


「仲間よ。先生、とにかく無事でよかったです」


森賀は別人のような空木に戸惑うが、話しかけると気づく。


「え、ええと……もしかして、古梁川さん?」

「そうです先生。わかりますか……?」

「髪も瞳も変わってるけど、染めたのかい? こんなところで制服を着てるのは古梁川さんくらいだろうって思ったから……それとも、やっぱり君は妖精だったのかな?」

「先生の冗談で、ようやく現実だと信じられました」


森賀の変わらない穏やかさは、学院であれば苦笑していただろうが、この状況下では安心させられた。


「でもよかった、はぐれてしまってから心配で探していたんだ。そうしたらこの子に見つかってしまってね。ねえ、彼女は子供だよね……まさか妖精なのかい。その翅は本物?」

「失礼しちゃうわね、本物よ!」

「私が謝るわ、ごめんなさい。こちらの世界にはあなたたちみたいな子がいないから、物珍しいのです」


ようやく森賀に再会でき、空木はいくらかの現実感を取り戻し、すがる思いで尋ねた。


「先生、この世界は現実なんですか? それとも私は夢を見ているのですか」

「混乱するだろうけど、これは現実だよ。信じられないだろうけど、紛れもなく異界で、僕が連れて来たかった場所なんだ」


混乱して額に手を当てる空木の肩を、森賀はなだめるように手を置いた。

その手をカイが掴み、空木を背で庇うように立った。


「君はどういう人物だ。彼女とは何の関りがある?」

「森賀先生は英語の教師で、とにかく怪しい人ではないのです」

「簡単に心を許してはいけない。君はもうつけ狙われる立場なんだ」

「僕は彼女の教師だよ。そういう君は誰だい? 狙われるってどういうことかな」

「俺は彼女の騎士だ」

「騎士……? ああ、現地の人に助けてもらったんだね」


カイの簡潔で迷いのない返答に森賀は困惑していた。


「……彼はカイです。その、ここまで連れてきてもらったんです」

「あんたかなり喋れるんだね、ちょっと発音が独特だけどさ。言ってること、ちゃんとわかるぜ」


シオルは感心したように森賀を観察している。


「僕はこちらに何度も来てるからね。言葉も教えてもらって、少しなら話せるんだよ」

「いいえ、まさか」

「君一人でシャルトールへ渡ったのか……?」


怪訝そうな目を向けられ、森賀は頷いた。


「僕が来た時は人がたくさんいて、それで船に乗せてもらったんだよ。シャルトール島に渡ってしばらく生活していたんだ」

「弔いの船団か。死者を運び泉に弔う儀式だ」


カイはひとまず安心したのか、椅子に腰かけてじっと森賀を見ている。


「ところで古梁川さんは、どうしてこちらの言葉話せるんだい? もしかして来たことがあったのかな」

「私は日本語を話しているつもりなのですが……」

「あんたがこっちの言葉を話してるんじゃないの?」

「いいえ、まさか……」


「俺たちが君の言葉で話しているわけではない。蛇の力で、君がこちらの言葉を話しているんだ」

「どういう意味ですか?」

「白金の蛇に噛まれただろう? セイラスもその蛇の力で異界の人々と交流していた。そういった力があるんだろう」


予想していなかった返答に驚き、腕の蛇を見下ろした。

これにそんな力があるのだろうか。それとも森賀も含め、空木は彼らに騙されているのではないか。


「俺は最初に君と出会った時、何と言っているのかまるでわからなかったが、蛇に噛まれてからは言葉が通じるようになった。君もそうではないか?」


建物でカイが空木に語りかけた言葉を思い返す。

日本語や英語とも違う聞きなれない言葉であるのに、どこか耳にしたことがあるような発音。そういった類の言語だった。


「言われてみれば……違う言葉で話していたような」


もうまるで物語の世界だ。

空木の体は、現実には学院の寮にいて眠っているのかもしれない。


「信じられません……」

「いやあ、お伽話だねえ」

「現実なのですか、これは?」


すがるような気持ちで森賀を見れば、彼は笑って頷いた。


「蛇の力とか言うのには僕も驚いたけど、現実だよ。こちらの言語はフランス語とかドイツ語の発音に少し似ているね。間違いなく現地の人たちと話したから、彼らも嘘を言っているわけじゃないと思うよ。妖精がいるんだから、魔法みたいな力もあるのかもしれないね?」

「ちょっと、妖精だなんてまぜこぜに言わないで。あたしたちのことは丘の人って呼びなさいな!」

「丘の人? へえ、住んでる場所で違う名前があるんだねえ」


妖精たちはじっと空木と森賀を見て楽し気に囁き合っている。

たしかに、翅の生えた妖精の前では、言葉など些細な問題かもしれない。


「言葉の話題は置いておきましょう……それよりも、先生がこちらに何度も来ていたなんて驚きました」


「いや、旅をしていた頃の好奇心が顔を出しちゃってね。自分の足で歩いた場所だし、そう危険はないと思っていたんだ。でもあんなに深い霧なんて、自然はやっぱり恐ろしいね。怖い思いをさせてごめんね、古梁川さん」

「いいえ、彼らのおかげでこうして無事でしたから……運が良かったんですね、きっと」

「僕が君を連れてきて、危険な目に合わせてしまった。さあ帰ろう、この異界にいてはいけないよ」

「待て、何故門を通ってこられた? 鍵は閉まっていたはずだが」

「いいや、僕が初めて見た時には開いていたよ。何度か僕だけで入ったことがあって、

空木さんにこの世界を見せてあげたかったんだ……でもだめだ、あんな深い森は危ないよ、僕と帰ろう」

「蛇のあんたがそうしたいって言うなら止めないけどさ、帰るにしても夜が明けてからにしたら? また迷うかもよ」


シオルになだめられ、森賀は腰を下ろした。


「僕の生徒を守ってくださったみたいで、お礼を言います」


森賀に残っている林檎を渡すと、よほど空腹だったのだろう、助かったとばかりに口に放り始めた。空木はこれまでの経緯と精霊に川へ引き込まれかけた話をすると、森賀は驚いていた。


「古梁川さんはこの世界から転生をしたっていうことかい?」

「私もまだ信じられないんです。だから話半分に聞いてください」

「ううん、僕も島の人から聞いたんだけどね、死んだら転生して違う命に生まれ変わるんだって」

「信じてらっしゃるんですか?」

「そういう死生観もあるからね、否定はしないよ。それに、夢で冒険をした話を聞かせてくれたよね。もしかしたら本当に生まれ変わっていて、前世の記憶を夢に見たのかもしれないね。その方がロマンがあるだろう?」

「そうですけれど……自分がそうだと言われるのでは、信じられません」

「無理に信じなくてもいいんじゃないかな。結局は君の人生なんだ、古梁川さんが何をするかが大事なんだよ」


森賀の言葉には妙に説得力があった。たしかに、信じなくてもいいのかもしれない。どちらだろうと空木は自分の人生を生きるのだから。


「そうです、それより問題はこの蛇なんです。どうしても取れなくって……」


森賀も試しに腕の蛇を引っ張るが、固く動かなかった。

抜こうしても、張りついたように外れない。


「おかしいなあ、本当に外れないね……」

「蛇を返したとしても、白金の蛇はやめられないよ」

「君は俺たちが無理を言っているように思うかもしれないが、蛇には俺たちの意思など関係ない。蛇が選んだ主を守る、それが鍵守なんだ」

「私の意思も……関係ないようですね」


なんと傲慢な蛇なのだろうか。宿主の自由がないのなら、これはただの寄生虫だ。


「君がどうしても嫌がるのなら、俺たちは離れて影から守るという手もある」

「まさか、一緒に学院へ着いて行くつもりですか?」


女学院へ彼らを連れて行くなど、それこそ無謀だ。


「今夜はこのへんにしてさ、明日また話し合えば? 簡単に決められることじゃないだろ。あんたにとっても、俺たちにとってもさ」


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