第2話:敵は身内にあるとはよく言うが、そんなもの比でないこともある
自衛隊を辞めた後も、個人的に親交のあるほぼ唯一の自衛隊関係者のL(仮名)からこんな文章をいただいた。
これはL氏自身の体験談なのだが、このように希望を持って入隊しても、上司の気分次第では再起不能になるまでやられてしまうことがあるのを理解してほしい。
L氏の現在は、本人のプライバシーにかかわるため伏せさせていただく。
「私」が海上自衛隊に入隊したのは、史上最大の震度を記録し文字通り日本を震撼させた3.11こと東日本大震災があった2011年の秋のことだ。
あんな大惨事の直後で、災害派遣に文字通り必死に身を投じていた自衛隊の姿が国民の前に強く露出したこともあってか、入隊試験の際の面接でやたらと人命救助に燃えた申告をする他の入隊希望者達に圧倒され、自分がなんて申告したのかはもう思い出せない。ただ、なんか当たり障りのないことをアガった頭で宣っていたような気がする。
その後人命救助に燃えてた他の希望者達を差し置いて、私と私の同級生の2人だけが、私の地区からの合格者となったのは、後から思えば「人命救助に燃えている」人間こそが弾かれたのだろうか、と思うのだけれども。
通っていた学校が通信制だった都合、年が多少違う人ともほぼタメ口で話してきていたために入隊後に同期だけど年上、な人に最初タメ口を聞いてしまって後から「社会人では同期でも年齢で口調を変えるものだ」と学んで顔を伏せる羽目になったり、ゲームとネットサーフィンにうつつを抜かした学生時代のツケで体力練成に苦しんだり、という思い出を経て自衛隊に入隊して──────今年2020年。あれからもう9年が経過したんだな、と振り返った。
前置きしておくと、この寄せ書きで私が書き記したいことは、一言で言えば「自衛隊も所詮人間の組織」、ということである。ここから先はそうした関係の出来事の羅列だ。
艦艇勤務の思い出である。某艦、某年の某2等海曹"X"との諍いだ。海自では停泊中、特に定期修理で修理地に係留しているとき、「分隊作業」と呼ばれる各分隊ごと割り当てられた区画の整備作業が行われる。
大体はその日の朝に所要の道具の準備を済ませ、始業を以てその道具での作業に取り掛かるわけだが、これはそんな分隊作業を行おうとしたある日の朝のこと。
私は後輩の海士2人と共に準備作業をするはずだったのだが、共に準備をするはずだった、同分隊他職種の後輩の姿が見つからない。係留岸壁の道具庫もその後輩の普段の所在区画も、その日に予定していた作業区画のどこにも見当たらなかったのだ。おかしいな、と思い「あちらもこちらを探して移動しているのかもしれない」と後輩と共に所在区画に戻り、作業に人手が見当たらないときに寄こされるのが通例である電話連絡を待っていたら、くだんの後輩が現れて「何やってたんすか、もう準備終わったんですけど。仕事してくださいよ」と開口一番、なかなか躾のされた口調で張り上げてきたのだ。当然「こっちも準備のためにお前たちを探した」「道具庫の辺りにも見当たらなかった」と伝えたが、これまた素晴らしい教育を直属の上司から受けているらしいその後輩は最終的に「うっせバーカ」と言い捨てて去っていったのだ。
ここまででも頭の血管を2、3本ほどご臨終させるのに十分な出来事だったが、その直後に現れた2等海曹X氏は部下の教育を棚に上げてこちらの準備不参加を詰りに来たのである。ここで大変理不尽なことは、このX氏、直属の上司2人が先任伍長と分隊先任海曹という「強い」立場にいるので、何かあってもよほどおかしな(例えば、憂さ晴らしに誰かを殴ったとか、艦内で酒を飲んだだとかの)行為じゃなきゃほぼ握り潰される、という状況にあるのだ。当然反論できるところは反論したが、最終的には私の上司が頭を下げる形で場を収めることになってしまった。あちらの後輩側の連絡不備、躾不十分に暴言という要素があってもなお、こちらの上司が謝らされたのだ。塗装作業をする前から私の顔が錨のエンドシャックルの色に塗りたくられたのは言うまでもないだろう。
代表的かつ今でも思い出すと発作的に殺意が湧いてしまうこんな事例のほか、航海中の見張り報告で定常の用語と口調で報告していたところ「お前らんとこの専門用語で話すな」という目を点にせざるを得ないような発言で割り込んで来たり(その後、別の艦から任務応援で臨時勤務していた3等海曹に「お前の報告は何も間違ってない。2曹にもなってあの用語の意味を理解できない彼が不勉強なだけだ」というフォローをいただいたが)。この時は交話に使うヘッドセットの調子がおかしかったことにして聞こえない振りをした。
他には、休日とはいえ艦の保安当直として在艦している身分のはずなのに、昼間から堂々と自分のベッドで下着姿で眠りについている(これはもう職務に専念する義務の違反というレベルだ)、などの出来事もあった。
今ではX氏と違う職場にいるため顔を合わせることはないが、それでも忘れえぬ思い出の一つである。恨み骨髄に近いだろうか?
もう一つには、そうした出来事を経て「パワハラとはどういう行為か」を認識できるようになった私の身に起きたことだ。
某年事情により陸上部隊で臨時勤務をしていたのだが、その時属した分隊(陸上には同じ分隊内で職種別に分かれることはない)にて先任者となる上級海曹の内、最先任が事なかれ主義に近い置物タイプ、そのすぐ下にいる1等海曹が事実上分隊の業務を取り仕切るようなパワータイプ"I"、その1等海曹に可愛がられてるのかどうなのか、好き放題威張り散らす1等海曹"Z"と2等海曹"T"、とパワハラを直接実施する3名とそれを事実上黙認する最先任、という地獄のような様相だった。本来ならばそんな事態も最先任海曹の更に上、分隊長及び分隊長補佐の地位にある幹部が察知して綱紀粛正を図るべきなのが組織の規律なのだが、こちらからも不思議なほどに何のアクションもない。春の陽気が注ぐ草原のように緩やかな振る舞いで、事実最後の最後まで彼らがパワハラ粛清のために動くことはなかった。
パワハラと認識した、という前置きで察しがついた方もいるかもしれないが、最終的にこの"I""Z""T"の3名は全員パワハラ告発で別々の職場にトバされることとなった。その告発材料とは、以下に記す
「共に立直する部下に便所流し(用を済ませた後流すアレのことだ)の不備の嫌疑をかけ、立直時間中は隊敷地外にある公園で用を足してこいと強要したり、部下の業務要領が悪いと腕をしたたかに蹴りつけたり、腹立ちまぎれに施設内の木製ドアを蹴り破孔を生じさせたり、規則上の根拠なく部下の携帯電話を回収して鍵付きロッカーに保管して翌朝まで没収する」
とか、
「業務時間中も平気で居眠りに耽り、後輩の1等海曹の1人を部下たちを整列させたその前でボロクソにこき下ろして晒し者にしたり、自分の私有車両の洗浄整備に官有の洗剤などの用具を使ったり、業務時間中部下に肩揉みをさせる」
とか、
「パワハラ告発ついでに夜間立直時立直せず就寝している体制なのをリークされて、リーク者と疑わしい部下全員に藪の中から土を掘り集めさせる重労働を休憩なく命じる」
とか。
こういったものを全て然るべきところにぶち上げた結果、最終的に彼らはその報いを受けることになった。もちろん少しは気が晴れたし、因果応報ざまあみろ、という思いが胸にあったのも間違いない。
────寂しいなと思うのは、先述の「腕をしたたかに蹴りつけ」られた私の後輩が、その後自衛隊を退官してしまったことだろう。
自衛隊は時間を追うごとに、少しずつ少しずつパワハラやいじめ問題が表面化し、(主に世間体的な理由で)それらへの対処や対策・体制の確立が進みつつあるのは事実だ。実際私が告発したときも、あと10年ほど昔だったら握り潰された上で被告発者にリークされ、報復を受けていたことだろうから、今はそうではなくなったという言い方をすればその通りになる。
しかし、倫理的にこうした告発は「誰が行ったのか」が被告発者に漏れてはならないものである。しかし現実には、彼らは処罰を受けるまでの間に些細なことだが報復行動を私に対して起こそうとしていた。漏らした元が告発を受け取った担当者なのか、更に然るべきところにその報告を上げる途上にいた継ぎ手の誰かなのかはわからない。判っていることは私の告発は結局のところ漏らされて、そのために隊司令が臨時勤務の中断と別部隊での臨時勤務再開という「疎開」措置をとった、ということだ。
認識を改め、あるいは最初から時代に即した認識を獲得し、「理不尽な理不尽」を許さないような風潮にはなりつつある。
けれど、その風潮に内心で逆らい、傲慢さを露わに己のやり方を通そうとする悪意は、深い闇の底にまだまだ根付いているのだ。善なる人間がいるのだとしても、悪なる人間も間違いなくいるのだ......。
こうした過去のため、私はネット上で知り合う高校生たちが職業に悩んでいるとき、自衛隊はどうかと尋ねられた時に断固として反対している。どこかのソーシャルゲームにいるフリーダム・オブ・フリーダムという風情の空中戦アイドルのような心臓をしている強者でなければ、明治時代に端を発する深淵に根を張る悪しき習慣の継承者たちに心を潰されないことを保証できないからだ。何が悲しくて、敵に撃たれるのではなく、味方であるはずの人間の振る舞いと仕打ちで死にたくなるような思いをしなければいけないのだろうか。「たちかぜ」や「さわかぜ」の事案は、未だ過去のものになどなっていないのである。
錨を揚げて、その先に @raiden_yuki
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