黒水晶はマグノリアに似て

藤和

黒水晶はマグノリアに似て

「あの黒水晶の花、白いね」

 窓の外を揺れながら流れていく風景を見て、私の人形がそう言った。それを見て私は、薄紅色の人形の髪を撫でながら返す。

「あれは白木蓮の花だよ。あれは鉱物が生る樹じゃないの」

「そうなんだ」

 私の言葉に、人形は少しだけがっかりした表情を見せたけれども、また窓の外を見てはしゃぎ出す。普段、菜の花の祭りの日以外は、屋敷の中か屋敷の庭くらいしか歩かない人形にとって、馬車に乗りながら見る景色とは言え、外の世界というのはどれも珍しいものに見えるのだろう。

 私の向かいの席に座っているお父様が人形に声を掛ける。今ははしゃいでいても良いけれど、これから伺う屋敷では大人しくするのだよ。すると人形は、大人しく頷いて、澄ました顔で席に座り直した。

 馬車の揺れを感じながら、これから会う人の事について思いを馳せる。これから私が会いに行くのは、両親同士で取り決められた許嫁だ。良い人だとは両親から聞いてはいるけれども、実際どうなのかはまだわからない。私はまだ、許嫁について肖像画で見た顔くらいしか知っていることが無いのだ。

 彼は、私の許嫁は、どんな人形を持っているのだろう。年の頃は私より少し上と聞いているけれども、まだ人形が手元にいるのだろうか。それとも、もう彼の人形は寿命を迎えてしまったのだろうか。情操教育用にどの人も子供の頃に買い与えられる、十年ほどの寿命の、鉱物を食べる自律式の人形。それを大事にしない人などいない。その人形とどんな絆を築いているのか。そんな、親しくなるのであれば知っていて当たり前のことさえ私は知らない。

 そう、なにも、知らない。

 不安になって隣に座る人形の手を握る。すると、人形は私が膝の上に置いているバイオリンのケースに手を置いてこう言った。

「これが上手に弾けるから大丈夫。うまく行く」

「……うん、ありがとう」

 バイオリンの演奏は、この子の方が上手いけれども、私を元気づけようとそう言ってくれているのはよくわかる。それでも、どうしても、不安は拭えなかった。


 私だけが不安を抱えたまま、馬車は目的の屋敷へと着いた。門から屋敷の敷地に入ると、玄関までの間には芝生が植えられた中に道が通されていて、所々にある花壇には、色とりどりの花が咲いている。金魚草の花壇には花が摘まれたあとが時折見えるけれども、きっと季節の薬草粥に使うために収穫した跡だろう。

 玄関に付き、馬車から降りる。お母様が降りるときにはお父様が、私が降りるときには先に降りた人形が手を貸してくれた。

「ようこそいらっしゃいました」

 私たちを出迎えたこの屋敷の使用人が、私たちを中に案内する。外観を見ただけだと、白くてこぢんまりとした屋敷という印象だったけれども、中に入ると外に面した壁に大きな窓があり、外壁と同じように白漆喰で固められた内壁が光を照り返して明るく、開放感がある。天井も、思ったより高かった。

 窓に填められているのは硝子ではなく透明な石膏のようだ。わざわざ硝子ではなく石膏を窓に填めていると言うことは、樹に生るような小さな鉱物ではなく、鉱山からしか採掘されない大きなものを手に入れることができるほど裕福なのか、それとも余程古い家柄なのか、どちらかだ。そんな家の人が許嫁だなんて、ますます不安が大きくなる。私が彼に釣り合うかどうかもわからないし、なにより、もし気難しい人だったらこの先の人生を一緒に過ごすというのが難しいような気がするのだ。

 私の様子に誰も気づかず、そのまま応接間へと通される。そこで待っていたのは、険しい顔の男性と、穏やかな表情の女性、それと、きれいな紫色の瞳をした人形と、きっと彼が私の許嫁だろう、思いの外人懐っこい印象の少年が椅子に座っていた。

 あらかじめ言われていたとおり、私は両親と人形と一緒に頭を下げる。両家族揃って軽い挨拶をしてから、私は許嫁の父親に促されてバイオリンをケースから取りだした。軽く弦の調子を見て、そうしているうちに許嫁も倚子から立ち上がってフルートを用意していた。

 お互いの人形が歩み寄り、手を繋いでその手を上げる。それと同時に、私と許嫁は演奏をはじめた。

 天井の高い応接間にバイオリンとフルートの音がふくよかに響く。今弾いている曲は即興だけれども、許嫁もそれに付いて来るばかりか、向こうもメロディを投げかけてくる。弱味など見せないつもりで、私はそれに答える。向こうも同じ心づもりのようだった。

 少し経って、人形が手を下ろす。それを合図に、私と許嫁は演奏を終わらせる。不自然なく演奏を切れた。顔合わせの儀式としてははまあまあ上手くできた方だろう。

 両親同士が朗らかに笑いながら話をする。これだけ息が合うのだから、やはり相性は良いのだろうと、そんな事を言っていた。それから、しばらくふたりでお話でもして過ごしなさいと、両親たちは私と許嫁、それに人形たちを残して応接間から出て行ってしまった。

 どうしたら良いかわからないでいる私の気持ちを察したのか、私の人形がバイオリンを貸してくれとねだってきた。

「私も、結構得意なんだよ?」

 にこりと笑って人形がバイオリンを弾き始めると、許嫁の人形もフルートを受け取って吹き始めた。人形たちが奏でる音楽は、格式張った雰囲気など全くなく、どこか懐かしさを感じさせる物だった。

 人形たちが笑い合って何度も演奏している間に、気づけば許嫁が使用人に両手の上に乗るほどの箱を持ってこさせていた。あれはなんだろう。そう思ったけれども、すぐに中身がなんであるかわかった。

 人形たちが演奏を終え、私と許嫁に楽器を返すと、許嫁は箱を開けて人形たちに中身を見せた。

「すてきな演奏をありがとう。

よかったら、これを食べてくれないかな」

 中に入っていたのは、色鮮やかに輝く鉱物だった。それも、わざわざ見目良くするためにカットが施されたものだ。

 人形たちは嬉しそうに箱から鉱物を取りだして口に含む。余程美味しいのだろう、とても上機嫌な様子だ。

 許嫁の人形が、不思議そうな顔をして私と許嫁を交互に見る。それを見た私の人形は、にこりと笑って耳元でなにか囁いている。なにを話しているのか、私には聞こえない。

 ふと、私の人形が窓の外を見て私に言った。

「黒水晶の花が咲いてる!

ねぇ、あれは黒水晶だよね?」

 許嫁の前で緊張してしまっていて、私はすぐには返事を返せなかった。すると、許嫁が話し掛けてきた。

「あなたの人形は、黒水晶が好きなのですか?」

 喉になにかが突っかかる思いをしながら、なんとか言葉を返す。

「そうなんです。昔から、石英系が好きな子で」

 それを聞いた許嫁は、にこりと私に笑いかける。

「奇遇ですね。僕の子も、石英が好きなんです」

 きっと共通の話題を提示して、私の緊張を解いてくれようとしているのだろうけれども、どうしてまだ、この屋敷に来る前から感じていた不安が消えない。そんな私をよそに、人形たちは笑い合って打ち解けているようだった。人形同士はすぐにこんなに仲良くなれるのに、何故私はできないのだろう。複雑な気持ちになる。

 いつまでも私が浮かない顔をしているので困ってしまったのか、許嫁が心配そうな顔でまた話し掛けてくる。

「なにか、心配事でもあるのですか?」

 私はなにも答えない。

「もしかして、僕以外に好きな方がいらっしゃるのですか?」

 私が自分と許嫁であるというのを不満がっていると思ったのだろう。実際不満があるかと言われると、そういうものだからと自分を納得させられるし、もちろん他に好きな人がいるわけではない。

「そういうわけでは、ないのですけれど」

 私がなんとかそう答えると、許嫁はほっとしたような顔をする。

「よかった。それなら、僕との関係になにも問題はないのですね」

 そう、問題は何もないのだ。ただ……

「ただ、家を離れるのが心細くて……」

 そう、いつの日か、今まで住み慣れた家を離れて生活しなければならないというのが不安なのではないかと、私は思い、そう返した。

 許嫁が笑いかけてくる。

「大丈夫ですよ。婚礼はすぐの話ではありません。それまでに少しずつ、この家になれていただければ良いんです」

 その通りだ。その通りなのに、どうしても納得出来ない。

 不安の消えない私を見てどうしたら良いのかわからなくなったのだろう。許嫁が困惑した様子で私の人形に訊ねる。こんな時はいつも、どうしているのかと。私の人形はこう答える。

「綺麗な花を沢山見ると良いよ」

「そうか、それは良いことだね。

それじゃあ、お茶の用意をさせて庭でいただくのはどうかな?」

「そうですね、それが良いです……」

 まだ気分は晴れなかったけれども、許嫁と人形たちと一緒に、陽に明るく照らされた庭に出る事にした。


 庭には、人間だけでなく人形たちがいつでも花を手に取って愛でられるようにと花畑が作られていた。これは私や許嫁のように、貴族や富裕層と呼ばれる人々の庭にはよく用意されているものだ。

「今が、花の季節でほんとうによかった」

 そう言って許嫁は、花を摘んで冠を作る人形たちを見ている。私の人形は花冠を作るのが得意なので、あっという間に編み上げてしまった。それから少し遅れて、許嫁の人形も花冠を編み上げた。

 許嫁の人形が、笑って私に花冠を被せる。それで私は、この許嫁が決して悪い人ではないというのがわかった。

 私の人形が、黒水晶の木から花を取ってきていいかと許嫁に訊ねる。彼は快く、採ってきて良いという。けれども、できれば庭師に見つからないようにして欲しいとは笑いながら付け足してはいたけれど。

 私の人形が少し離れた場所にある黒水晶の木に駆け寄り、手を伸ばして一輪花を摘み、走って戻ってくる。その様子を穏やかに見ていた許嫁が、ふと、私の方に向き直って真面目な顔をした。

「あらためて、これからよろしくお願いします」

「あの、こちらこそ」

 短いけれども、今度はすぐに言葉を返せた。

 いろいろと気遣ってくれる許嫁を見て、彼に対する不安はかなり減った。けれどもそれでも別の不安がある。

 それはなにかと自分で考えて、ようやくなにが不安なのかがわかった。

 いつか、結婚出来るような大人になるのがこわいのだ。

 だってそう、きっと、その頃には目の前で花に囲まれて笑う人形たちは寿命を迎えているのだろうから。

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