同じ夢を見てる

同じ夢を見てる

　……またあの夢だ。

　目を覚ました瞬間、全身にびっしょりと嫌な汗を感じた。汗をかいているのは、真夏の熱帯夜だからというだけではなかった。決して良い目覚めでもない。時計を見た。午前二時過ぎだった。

　ここのところ毎晩続いている。

　また、同じ悪夢を見て飛び起きたのだ。まだ心臓の音が胸の中で大きく鳴っている。寝っ転がったまま、深呼吸を繰り返した。

　あの悪夢。

　夜の住宅街。人気のない路地で、自分が見知らぬ青年に刺されて殺される、夢―……。

「…ったく」

　軽く舌打ちをして寝返りを打った。

　夢の中。

　見知らぬ青年が私を刺した瞬間に、いつも私は目が覚める。

　夢だというのに、刺された部分には妙に熱い感触が残っていた。

　嫌な気分を振り払うため、私はよろよろと起き上がり、それから洗面所に向かった。

　ふと、備え付けの鏡を覗き込む。

　暗がりの洗面所の鏡に映る私の顔は、目の下に隈ができ、頬はこけ酷くやつれて見えた。毎晩理不尽な夢を見せられるのだから、無理もないのかもしれない。私はため息を漏らし、急ぎ足でベッドに戻った。

「自分が殺される夢は、吉夢らしいわよ」

　次の日、前の席のミユキが、明るく声を張り上げた。

　私は机に突っ伏したまま、右手だけでヒラヒラと返事をする。眠い。流石に寝不足だった。彼女は彼女なりに、私を気遣って励ましてくれているのだろう。占いだとかオカルトだとかが大好物なミユキは、私が毎晩理不尽に殺される夢の意味を、嬉々として解説してくれた。

「一般的に殺される夢は、『古い自分が死に、新しい自分に生まれ変わる』って意味があるのよ。事態が好転したり、血が吹き出るほどイイ事が起こったり……決して落ち込むような夢じゃないわ」

「ありがと……。それ聞いてホンット安心したよ……」

　私はホンの少し顔を上げ、友人に無理やりぎこちない笑顔を見せた。毎日殺される夢を見るということは、私は毎日、生まれ変わる必要があるということなのだろうか。それはそれで少し哀しい気持ちになった。

　放課後。

　ミユキと一緒に、今日は遠回りして、彼女の家の前を通っていくことにした。自宅にはまだ親は帰っていないし、何より一人になるのが不安だったのだ。頭はぼうっとしてとても眠かったが、寝たらまたあの夢を見そうで何となく怖かった。それに最近なんだか、どんどんあの夢の輪郭がはっきりしてきている気がする。最初はぼんやりとしていた背景も、徐々に景色が鮮明になっているような……。

「……あっ！？」

　いつもと違う通学路の途中、私は驚いて立ち止まった。

「どうしたの？」

　隣を歩いていたミユキも、突然大声を上げた私を何事かと覗き込んだ。私は息を詰まらせた。ミユキの家の近くまできた瞬間、ものすごい既視感（デジャヴ）に襲われたのだ。

　この家の並び。

　植木の位置。

　ガードレールについた傷跡。

　私はこの景色を知っている。

　私には見覚えがある……そう、毎晩同じ光景を見ている。

　あの夢の中で……！

「大丈夫？」

　不思議そうに顔を覗き込むミユキの問いに、答えている余裕は無かった。呼吸が荒い。夢と同じ景色が目の前に広がっていることに、私は驚きを隠せなかった。

　夢だと、いつも同じ青年が後ろからついて来る。深く帽子を被り、サングラスとマスクをかけた、いかにも怪しげな青年。私は恐る恐る振り返った。だがいくら待てども、そんな青年は現れなかった。考えてみればそりゃそうだ。いくら現実に酷似しているからって、夢は夢だ。私はホッと息をついた。

「……なんでもない」

　心配そうに見守るミユキに、苦笑いを浮かべ別れを告げる。

　夢で見ているのと全く同じこの景色が、何だかとても不気味だった。一刻も早くこの場を離れたくて、私は足早に自宅へと向かった。遠くの方でカラスの鳴き声が聞こえる。夕暮れに染まった街が、ゆっくり、ゆっくりと夜に飲み込まれようとしていた。

　その晩、私はまた同じ夢を見た。

　夢の中で、私はミユキの家の近くをまっすぐ歩いている。夕方見かけたあの通りだ。やはり、昨日より景色がはっきりとしている。この家の並び。植木の位置。ガードレールについた傷跡。このまま歩き続ければ、右手に彼女の家がある。

　そして今日も私は。

　ダメだと分かっているのに。

　恐る恐る、後ろを振り返った。

　……いた。

　あの青年だ！

「……！」

　悲鳴を上げようと思ったのに、出なかった。私は夢の中で、逃げ出そうと必死に足掻いた。

　だけど、無駄だった。夢の中の私の体は、思うように動いちゃくれない。

　そのまま昨日の夢と同じように、すぐに青年に追いつかれた。そして同じように、彼はポケットから包丁を取り出し……果物ナイフだ。昨日までは視界がぼんやりとしていて、はっきりと見えなかった……私の胸を勢いよく一突きした。私は声にならない叫び声を上げた。

「……！？」

　普段なら、そこで目を覚ますはずだった。

　だけど私は、熱くなった胸を抑えながら、地面に膝をついて倒れ込んだ。刺された箇所から噴水のように血が吹き出てくる。

　目が、覚めない……！？

　私が混乱していると、彼がゆっくり私の耳元に顔を近づけて、こう囁いた。

「逃げられると思うなよ……！」

　……そこでようやく目が覚めた。目の前には、薄暗い天井が広がっていた。午前二時過ぎ。またしても同じような時間帯だった。

「うっ……！？」

　起きた瞬間、思わず胸に手をやった。動悸が激しい。目の奥がヒリヒリと痛み、涙が頬を伝うのが分かった。

　今にも叫びだしてしまいたい。張り裂けそうになる心を、かろうじて残っていた理性が必死に抑えた。息を深く吸う。落ち着け。これは夢だ。またあの夢。いつもと変わらない、いつもと同じ悪夢。そう。違うのは、ただ一つ……。

　私は寝転がったままそっと右手を掲げた。

　べっとりとした赤黒い液体が、手のひらを濡らしていた。

　私の胸の部分が、ホンの少し切り傷を作って、出血していた。寝返りを打った時に傷つけたのだろうか……。

　いや、それよりも。

　私は呼吸を整えた。聞き覚えのない声だった。顔もよく見えなかった。

　だけどはっきりしたのは。あの夢の中の青年は、明らかに私を狙っているということだ。

□□□

「殺られる前に殺る」

　そう決心した私は次の日、一人部屋で眠らずに、静かにその時を待っていた。

　あの夢を見た後、急に悔しくて悔しくて堪らなくなってきた。何故私が、見ず知らずの青年に毎晩苦しめられなくちゃならないんだろう。私はあの青年の顔も名前も知らない。そんな奴のために、私のかけがえのない高校生活が脅かされてたまるか！　そう思うと、恐怖よりも怒りの方がだんだん強くなってきた。

　警察に相談するにしても、夢の中でストーカーされていますなんて、誰だって信じてくれないに違いない。単なる被害妄想で片付けられるか、下手したら「アナタその青年に恋でもしてるんじゃないのォ？」などと失礼なこと言われてお終いだろう。だけど、このままずっとこの悪夢が続くようなら、どっちにしろ私もノイローゼになってしまう。それならいっそ、こっちから向かっていってやろうと決意したのだ。

　暗がりの部屋でじっと息を殺し、私は一人考えた。

　もしあの青年が現実に実在するのなら……恐らくあの場所で、夢と同じ時間に現れるはずだ。

　いないならいないで構わない。

　だがもしいたのなら、私は私の睡眠のために、戦わなくっちゃならない。何も命まで奪おうってわけじゃない。その場で警察を呼んで社会的に抹殺し、私の夢からも即刻退場してもらう。

　「逃げられると思うなよ……」などと挑発してきたあの青年が、今では憎らしくてしょうがなかった。何か一言でも言ってやらなくっちゃ気が済まない。念の為に果物ナイフを後ろのポケットに忍ばせて、私は静まり返った夜の住宅街に歩を進めた。夜の外はひんやりとしていて、猫の子一匹見当たらない。空は分厚い雲に覆われ、月明かりは見えない。私は勇気を奮い立たせ、街灯の消えかかった路地を駆け抜けた。

　これであの忌々しい悪夢とも、今日でお別れだ。

　チラと時計を見る。午前一時四十八分。

　後もう少しで、あの夢の時間になる。私は自然と急ぎ足になった。

　そのうち、夢と同じミユキの家の近くに辿り着いた。

　見れば見るほど、あの夢の景色と瓜二つだ。これが夢なら、あと数分で道の先の角から青年が私を殺しにやってくる。私は急いで生垣の影に隠れた。息を殺して辺りの様子を窺う。彼に来て欲しいような来て欲しくないような、私は道の真ん中で心臓を高鳴らせていた。

「あっ！？」

　次の瞬間。

　私は思わず大きな声を上げてしまった。

　左の角から、サングラスをかけた怪しげな青年が、こちらに曲がってきたのだ！

　服装も背格好も、夢で見たのと、全く同じだ。私は息を飲んだ。私の声に気づき、彼も黙って立ち止まった。私は息を殺して生垣に身を潜めた。

　しばらく私たちは、ほんの数メートルの間で、お互いの気配を探り合っていた。気がつくと、私の体は小刻みに震えていた。

　本当に、いた……。

　何度も繰り返し見ているこの状況は、最早夢ではないのだ。

　まさか本当に夢が現実になるとは……。

　意気込んできたのはいいが、やはり実際に現れると恐怖が心を覆う。見つかったらどうなるのだろう？　やはり夢と同じく、刺されてしまうのだろうか。鼓動が早くなる。ふわふわと漂っていた意識が、一気に現実に叩き落とされた。

　震える指で、私はスマホを取り出し、急いで警察にダイヤルした。しかし、この距離では声を出すわけにはいかない。向こうが出たのを確認して、すぐに切った。これで通話記録は残る。不審に思った付近の警察官が、駆けつけてくれればいいのだけれど。

　それから私は彼の写真を撮ろうと、茂みの中からそっと向こうの様子を窺った。写真を撮ってそれを調べれば。少なくとも相手が何者かくらいは分かるだろう。

　青年は周囲を警戒しながら、ゆっくりこちらに近づいてきた。私は息を飲んだ。ポケットの果物ナイフにそっと手を伸ばす。やがてお互い至近距離まで近づいた。彼は生垣のすぐそばに立ち、私を見下ろしていた。

　見つかった。気配で分かった。生唾を飲み込む。私は中腰のまま、果物ナイフを握り直した。手に汗が滲む。走って逃げたら、追いつかれるだろうか？　あの夢のように。それとも……青年もまた、ポケットに手を突っ込んだ。私は立ち上がった。彼が生垣を回り込み、お互い向かい合う。そして私は、素早くー……。

「……えっ！？」

　私は驚いてナイフを取り落とした。彼がポケットから出したのは、夢で見たのと同じ果物ナイフ……ではなく、携帯電話だった。そのままどこかに通話し始める。

「もしもし、警察ですか？」……青年は少し興奮気味に、矢継ぎ早に警察と会話し始めた。思いもよらなかった青年の行動に、私は一瞬固まった。そして次の瞬間。

　私の胸に、ナイフが刺さっていた。

　青年は呆気に取られていた私を、迷うことなく突き刺した。

　気がついた時には、私は膝から地面に崩れ落ちていた。胸が焼けるように熱い。恐怖と驚きで何もできずに、目の前にポタポタと、赤黒い水溜りができていくのをただぼんやり眺めていた。

「どうし……て……！？」

　でも一体、どうして？

　私は彼を知らない。彼も私を知らないはずだ。

　一体何の恨みがあって、私を刺したのだろう。

　何のために……？

　青年は昨日の夢と同じように、私の耳元に顔を近づけてきた。彼はサングラスとマスクを外し、私の顔を覗き込んだ。一瞬、目が合う。やっぱり、私には見覚えはない。どうして悪夢が現実になったのか。つくづく謎だった。薄れゆく意識の中、私は彼の慄く声を聞いていた。

「くそ……っ！　毎晩女の子に殺される夢を見て、ずっと警戒はしていたが……！　まさか現実になるとはな……！」