ランチタイム

村田天

ランチタイム



「食べてください」


 わたしが差し出したお弁当を、尾崎先輩は表情なく見た。ロボットみたいな動きで、目だけ動かして。これはわたしが嫌われているとかじゃなくて、彼はそういう人なのだ。





 尾崎先輩はわたしの所属する料理部の部長で、唯一の男性部員でもある。

 彼は父親が有名レストランのシェフで、母親が有名な料理研究家。いわゆるサラブレッドで、小さな頃からそちらに触れていたため、とても料理上手で部員からの人気も信頼もある。


 週一の部活動ではみんなで料理を作るけれど、部長に作ったものを持っていって食べてもらい、アドバイスをもらう子が多い。


 もちろん自分でも食べるけれど、たいていは彼氏に、片想いの男子に、クラスメイトに、小さな弟に、おじいちゃんに、お世話になってる人に。みんな色んな人のために料理を作っている。


 部長の凄いところは、舌が人よりちょっとよくて、ここの工程が足りてない、とかあの調味料をもう少し加えればいいとか、そういうアドバイスを、あげる相手に合わせてくれるところだ。

 たとえばおじいちゃんならもう少し柔らかく、同級生なら味は濃いめ、とか行き過ぎない程度に調整のアドバイスをくれる。


 もちろん属性によらず相手が薄味が好きとか、甘いものが苦手な場合もある。

 だから知っているならばなるべく相手のことは部長に話した方がよくて、そうなるとおしゃべりな女子高生。細かく話しだす子もいて、自然恋愛相談になることが多い。

 部長は表情薄く陽気な明るさこそないものの、黙って聞いて、きちんと料理のアドバイスをくれて、最後には必ず「美味いよ」と言う。その時だけ、ちょっと笑う。


 わたしはそれをいつもじっと横目で見ている。


 わたしは二年になって副部長になり、部長とは急接近した。顧問も含めてではあるけれど、次の料理を決めるために一緒に残ったり、一部の買い出しに一緒に出たりと、雑多な用事で時間を共にすることも増えた。


「部長、来週は甘いものが良いとみんな言ってます」

「スイーツか。調べておこう」


 仲は、悪くない。と思っている。部長と副部長という間柄、他と比べて若干厳しく感じられることはあるけれど、全体の会話量が多いのだからこんなものであると思っていい。


 ところでわたしはこのお料理ロボットのような部長に絶賛片想い中だ。


 絶対に気付かれていない自信はあった。

 部長は料理上手で顔に似合わず世話焼きだけれど、どこか少しだけズレている。ありていに言うと鈍い。去年だって、バレンタインに何人かがどさくさ紛れに部長宛てのチョコを渡していた。彼は自分宛てのものに気付かずに「美味いよ。きっと喜んでもらえる」などと励ましていた。


 それを見ていてある時ひらめいた。

 わたしも、どさくさ紛れで好意を悟られずに、彼に自分の料理を食べてもらおう。部長ほどではないけれど、わたしとて副部長になるくらいだから、料理は好きだしそこそこ下手ではないつもりだ。


 部活動の後、部長の周りに集まっていた部員達がはけたあと、片付けをしながら言う。


「部長、わたしも人にあげるお弁当を作りたいんですが、アドバイスもらえますか」


 部長はいつもより三秒ほど長く沈黙した後に問うた。


「……家族に?」

「いえ、身内ではありません」

「……」

「あまり細かいことは言いませんが、とりあえずアドバイスをいただきたいのです」


 部長はたっぷり黙ってから頷いた。


「じゃあ、明日の昼に」


 おっ、部活中ではなく、お昼休みか。

 ついでに一緒にお昼を食べれる。これは嬉しい誤算。


 わたしはせっせとお弁当をこしらえて翌朝登校した。早く昼になれ。唱えながら授業を受ける。


 昼に堂々と三年の教室に呼びにいけるわたしはそこそこメンタルが強い。

 呼び出して一番近くの空き教室に連れ込んだ。そうして気合いの入ったお弁当を「食べてください」と渡した。部活で何度となく食べてもらうことはあったけれど、本人宛の怨念の籠ったお弁当は少し別だ。緊張しながら彼が箸を口に運ぶのを見ていた。


 部長は全てのおかずを食べてから


「不味い。作り直し」


 とだけ言った。

 ちょっと、唖然とした。


 アドバイスも、他のコメントもなし。

 というか、部長が人の作ったものに「不味い」と言うのを初めて見たし、実を言うと人生で初めて言われた。


 不味い。


 普通は作った人に気を使って言わないし。いくら上手じゃなかったとしても、あまり気軽に口にしていい言葉ではないと、知っていると思っていた。それを口にするのはよほどの時だ。


 しかし、わたしはそれでも、割とポジティブなほうだった。


 いつもと違う反応。部長の態度は誰に対しても同じだから、腹を割って話せる相手として見られるようになったんじゃないかと。なんなら厳しめに指導して、特別真剣に見てくれているのではないかとか。だから評価が辛いのかな〜なんて思うようにした。わたしのメンタルはそこそこタフだった。


「どうしたらいいのか教えてください」

「……作り直し」



 次の日、作り直して持っていった。

 部長はまた全部たいらげてから、同じことを言った。


「不味い。作り直し」

「どこかどう不味いでしょうか」

「自分で考えて」

「部長の好みを教えてください」

「俺の好みに合わせても仕方ないだろう」

「もうちょっと、アドバイスをください」

「……断る」


 とりあえずよくわからないけれど、部長と昼を共にできるのだからと、そのまま帰宅して、次の日にまた作り直した。





「不味い。作り直し」


 一週間ほど経って、なんだか昼の恒例行事みたいになってきた。わたしも最近はアドバイスなんて聞こうともしてない。


「部長、お茶飲みます?」

「あ、あぁ、ありがとう……」

「いいお天気ですね」


 中庭の芝生は今日は陽射しが暖かかった。


「明日は何にしましょうか」


 部長は何やら戸惑った声でアスパラベーコン巻きをリクエストした。





「不味い。作り直し」

「はぁい」


 すっかり昼の恒例となった弁当タイム。いつものように過ごしていると、料理部の顧問が通りかかって目をまるくした。


「ちょっと……尾崎君……今なんて」


 見つかってしまい二人で一瞬黙った。


「あのね、どんな理由があっても、本当にそれが美味しくなかったとしても、人が自分のために作ってくれたものに対して、それは言っちゃ駄目」


「……はい」


 部長が、怒られて非常にバツが悪そうな顔で答える。


「あ、せんせ……いいんです」


 わたしがそう言って、先生も少しだけ表情を和らげた。息を吐いてちょっと笑ってみせる。


「天野さんがそんなに美味しくないものを作るとも思えないんだけど……何か難しいものでも作っているの?」


 そう言って先生が覗き込んだお弁当箱はすでに部長によってカラにされていた。米粒ひとつ残っていない。


「……うん」


 曖昧に頷いて、先生は去った。





 ついにお弁当タイムは一ヶ月に到達した。


 もはや習慣化しているせいか部長の「不味い。作り直し」のタイミングもだいぶ雑になってきた。今日はまだ食べてもいないのに「いただきます」の代わりのように食べる前に手を合わせて言っていた。

 本人は気付いていないから何も言うまいとは思うけれど考えてしまう。彼は一体何がしたいのだろうかと。


 お弁当はいつも残さず食べてくれる。部活でも普通に話してくれる。なんなら部活で作ったものには普通にアドバイスもくれる。だからたぶん嫌われては、いない。部長とお昼を食べる時間は、言葉こそ多くないものの、わたしにとって、なんだかほっこりできる素敵な時間だった。





 けれど、そんな時間がずっと続くものでもない。


「明日は用がある」と言われて一ヶ月ぶりに弁当がお休みになった。


 一回なら意味があったことも、習慣化すると目的を少し見失う。「明後日はまた、頼む」と言われ多少困惑したけれど、頷いた。


 そしてそのお昼の時間わたしは見てはいけないものを見てしまった。


 習慣化していたから、なんとなく自分のお弁当を作って、食べようといつもの芝生に行くと、そこにいるはずのない部長がいたのだ。しかも、三年生の美人で儚げな女子生徒と。


 これが用事? なんとなく特別な気持ちでいたのに、その光景は少なからずショックだった。もしかしてわたしが見抜けなかっただけで、あれは部長の手なのかもしれない。他の人にも同じことをやっているのかもしれない。お弁当詐欺。混乱してよくわからないことまで思う。


 彼が何を考えているのか急に全くわからなくなってしまった。


 もしかしてわたしが楽しいと思って、共有していた時間も、部長にとって全然そんなことはなくて。


 突然目の前の人が知らない人に変わるような感覚に襲われる。


 極め付けに部長の膝に小さなお弁当箱がのっていて、彼女がそれをじっと見てる前で口に運んだ。


 そうして何事か言って、ほんの少し笑った。


 会話なんて聞こえない。


 けれど、知っている。

 あの顔は、わたしは何度も見ている。

 だからわたしには部長が何を言ったかわかってしまった。


「美味いよ」


 声が聞こえた気がして、急に涙が出た。


 わたしだって、やっぱり、「美味しい」って言ってもらいたかった。


 そのことに気づいたらものすごく悲しくなってしまった。


 その時部長が顔を上げ、わたしに気がついて目を丸くして、硬直した。

 わたしは目を逸らすことなく十秒はじっとそちらを睨むように見てから、そこを立ち去った。





 今日もお弁当は作る。作っている時は無心になれる時間だから。

 ぼんやりしていたら、うっかりいつもの癖で部長の分まで作ってしまった。


 だけどわたしは部長にそれを渡すつもりはなかった。いつも教室に迎えにいくけれど今日は行かない。お弁当は持ってないだろうけれど、パンでも買えばいい。明日からはまたあの美人にでも作ってもらえばいい。


 なんだよ。


 わたしが「不味い」と言われてもポジティブでいられたのは、それが特別なことだと思っていたからだ。そうじゃないなら、あんなのただのパワハラだ。


 お昼になって教室を見まわすと「早弁したら腹減ったー」と言っているクラスメイトの男子を見つけたので部長の分を「あげる」と渡した。


 そうして自分のお弁当を食べようとして、なんとなく浮かない気持ちを晴らすため外に出ることにした。今日も天気がいいし、中庭は外して、どこか陽当たりがよい場所。


 そう思って扉に向かい、変なものを見つけて動きを止める。


 扉のところに部長が立っていたのだ。


「あれ、どうしたんですか」

「べ……弁当は?」

「あ、あれはもういいです」

「……そうか」


 そう言って顔を上げて、はっとした顔をした。何か教室の中を見てる。視線の先には先程わたしがお弁当をあげたクラスメイトがいた。当たり前だが彼はいつも部長が食べていたお弁当箱の前に座っていた。


「あいつか!」

「え、なにが」

「あいつにあげるやつだったのか」

「え、いえ。違いますけど」

「……そうか」

「もう部長に食べてもらうこともなさそうでしたし、やめにします」


 嫌みたっぷりに言うと部長は黙って何か考えたあとに、はっとしたような顔をした。大変なことに気づいてしまったような、見事な驚き顔だった。


 それから俊敏な動きで男子生徒の席まで行って弁当箱を取り上げる。


「すまない。この弁当を、譲ってくれ」


 およそあまり聞かない台詞を妙にスマートに繰り出した部長は返事も聞かずに弁当箱を奪って、さっと教室を出た。


「ぶ、部長!」


 慌てて追いかける。何がしたいんだこの人は。


「返してください! もう部長にはやらん!」


 言って弁当箱を取り上げる。


「食わせてくれ!」

「嫌です! 他の人に作って貰えばいいじゃないですか!」

「俺はこれがいいんだ! 食わせてくれ! 食わせてくれぇえ!」


 部長が飢えた農民みたいな嘆きの形相でそれを取り戻そうとする。


「ダメです!」


 廊下で弁当箱を真ん中に軽い引っ張り合いが行われた。カッとなって言う。


「そんな不味いお弁当食べても仕方ないでしょう!」


「美味いよ!!」


「……」


 気がつくと廊下で押し問答していたわたしと部長は周囲の注目を浴びていた。


「き、昨日のは違うんだ。……肥満の彼氏に作る弁当について真剣に相談されて……」


 せつせつとこぼす。これは完全に、浮気がバレた時の狼狽えた夫みたいな顔だ。部長、結構いろんな顔できるんだな。


「なんで……わたしに、あんなこと言ったんですか」

「最初はほかの奴にあげる弁当についての相談かと思ったんだ……だから、つい、なんというか……。でも、なんだか様子が違っていて……おかしいなとは思いつつも、そのまま……本当にすまなかった」


「……」


 もうちょっとはっきり言って欲しいなと思わなくもなかったけれど、これ以上追い詰めるのも可哀想な顔になっている。


 とりあえずお弁当箱を渡す。


「ありがとう。その……これは……」

「部長に食べてもらうためですよ。最初から」

「そうか……」


 部長はがっしりと弁当箱を掴んだまま、わなないた。





「美味い。また作ってくれ」

「はい」


 それからもわたしと部長のランチタイムは続いている。


「お茶飲みますか?」

「ありがとう。美味い」


 罪滅ぼしのように口癖のように、彼はそれを言う。


「部長が作ったほうが美味しいとは思いますけど」

「いや、好いた奴の弁当はそういうもんじゃない……」


 しみじみと諭される。


 明日も、明後日も、わたしはお弁当を作ろうと思う。



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