<54> 誰もが明日のために

「……アンタさぁ、やっぱ恨みでもあるんだろ」

「風が強くて聞こえませんな」


聞こえてるじゃねぇか。

エタは亜麻で織られた大きな一枚布に包まれて空を飛んでいる。

腰が地面の方に向かい、尻は前方、足と手は上方へ、つまり折り畳まれて身動き取れない状態で運ばれているのだ。

当然、苦しい。

しかし、残り少ない魔力を温存させるためには運んでもらうしかなく、王城の物見櫓から滑空で王都外れの修道院を目指しているところだ。


王城の物見櫓から見た魔の森は、木々の生い茂る鬱蒼とした森に戻ってしまっていた。かつて魔王討伐の際に切り拓いた道はほとんどなくなり、青々と茂る木々を覆うように、魔の気配に満ちた植物が幾種類も伸び出している。

辛うじて第一塔へ向かう道の名残が森の中のへこみとして観察できるだけで、そことて馬車どころか馬で進むのも難しいだろう。

魔の森のさらに向こう側にある魔王城の姿は見えないが、主の復活をせがむような雷光が一つ所に繰り返し落ちていた。魔王復活を望む魔力は魔物と魔獣を際限なく生み出す。

急がなくては、この地を蹂躙し尽くし、南方まであふれ出す。戦乱と災害に病んだ他所でこれを受け止める術はなく、聖典解放の恩恵に与る前に滅びの道を辿ることとなる。


記憶が戻ったあと、魔王城への最短経路の探索と城内の安全確保をロナ、ボリスの両人に指示した。

王妃の従者であるロアンナを借りるのは気が引けたが、白い翼を持つ純粋魔族、隣国の巫女であるロナは魔獣を調伏する業に秀でている。

ボリスもあれで魔獣に詳しいらしい——主に食材として——から、遅れを取ることはないだろう。

経路の方は修道院に来れば分かると、出立前に魔道具で連絡を寄越してきた。ババァから何やら指示を受けていたらしい。どこまで見越していたのやら。


そんなこんなで修道院を目指しているわけだが、コストマンの変わらぬ慇懃無礼な態度にエタは少なからず困惑している。

黒い翼を持つ混血魔族、王太子宮で侍従長をしていたこの男は、貴人の従者ならば当然の、身を守る術に通じた者だ。護衛のみならず、暗殺者を逆に殺傷するための体術にも秀でている。

だが、一番の特長はやはり翼だろう。

魔族の血が薄いからこそ魔族嫌いの王太子の側に仕えていられたわけで、幾ら魔族に有利な土地であれど翼を出せるのは相当な鍛錬を積んだゆえ。

その翼を役立てれば避難民で混雑した地上を行くよりも早く到着できると、志願してくれたのだが。


『聖女様を、男性である私が抱きかかえるわけにはいきませんので』


物見櫓から飛び立つ際、広げた亜麻布の真ん中に座らされた。四つ角を集めて掲げると、軽く結んで持ち上げ、飛び立った。

翼の邪魔になるから背には乗せられない、苦肉の策、といいつつも準備万端整えた上で、辛い体勢を強いられている。もう少し遣り様があったろう、実は腹に一物かとぼやいた次第だ。

しかし、コストマンは恨みとは真逆の話を始めた。


「百五十年以上前の話です。

マルベリ様は魔族を殲滅したと国王に報告しつつも、女子ども、戦う意思のない者たちを、隠蔽や転移の魔法を駆使して逃がしておりました」

「そんな記憶ないんだけどな」

「封印の腕輪の効力か、意識混濁の呪術の影響でしょう。ともかく、貴女さまの記憶になくとも、我が一族には連綿受け継がれた。いつか、ご恩返しをと、王宮に入り込み、ついに中枢で待ち望んだ御方に再会できた」

「……なんか、話の流れが読めたんだけど。別の話題がいいな。

あ、そうそう。王宮で落下したとき助けてくれたんだろ。ありがとな。そん時は抱き抱えたワケだろ。咄嗟だし。この姿勢、腰が痛いんだよ」

「咄嗟の事とはいえ、聖女様の身体に触れるなど許されぬ所業。非常時でなければ部下に首を刎ねさせた処、おめおめと生き存えていること、まこと、まっこと」

「わかぁった。悪かった。好きな遣り方で運んでくれ。ついでに何でも言いたいことは言ってくれぇ」


言い方はわざとらしいが半分以上本気のコストマンに、エタは反論を諦めた。


「貴女様に初めてお目に掛かったのは、王宮にて、大穴から飛び出してこられた時でございます」

「……あー。あー、あれな」

「伝え聞いておりました封印の聖女様の、儚いほどに美しい外見と凜々しくも細やかな内面を、私如きでは毛ほども、微塵も、一切見いだすこと能わず。

まさか百五十年の間にあれほどの変化が御身にあったとは。

気品を忘れ、口調は荒々しく、所作は魔の森の猿魔獣に負けず劣らず野生じみておられる」

「もはや敬語が不要な貶め様」

「血筋といい、育て親といい、品性を欠く筈はなく、要は心掛けのみが不足している状況、見過ごすわけにはいきません。

戻られた暁には、私が身命を賭して教育差し上げます」


この男の仏頂面も表情を隠す鎧だったか。

エタの顔に、たったいま指摘された通りの気品を無視した笑みが浮かぶ。


「アンタはもう少し素直な物言いを覚えた方がいいな」

「左様で。さあ、目的地に到着しました。私はこれにて」

「え。ちょぉいいぃ」


エタ、本日二度目の自由落下。



・・・・・・・・・・・・



「レグットにい、クラフにい、ナイスキャッチぃ」

「エタねーちゃん、お帰りぃ」

「お帰りぃ」


いつの間に覚えたのか、弟たちが風魔法を操って上手く受け止めてくれた。

布をたぐって外に出る。懐かしい家族が取り囲む修道院の庭。

帰ってきた、自分の家。

だけど。

喉が苦くなり目が潤みそうになるのを、握りこぶしの内側で爪を食い込ませて我慢する。在るものとの再会を笑え。


「ただいま、みんな。元気そうで何よりだ」


一二歳の五人が顔をくしゃくしゃにして抱きついてくる。

頭を撫で、頬ずりし、抱き締めた。

弟妹たちの温もりを感じて、修道院を出る前の自分に戻る。

懐かしい我が家の匂い。ババァと同じ匂いがした。


穏やかな抱擁は、小刻みに突き上げる地鳴りに妨げられる。

王城では気付かなかった地鳴りが、魔の森に接した修道院でははっきりと分かった。感覚を澄ませば、魔獣の咆吼や生まれたての魔物の濃密な魔力、そして、それらが命を奪い合い、強者が血肉と魔力を喰らって一層強者となる混沌が、地面と空気を揺らしてここまで届いている。

森は魔力の密度が濃く、魔獣と魔物が混在しているから、今はそれら魔の森の住人たち同士で争っているのだろう。

しかし、修道院の裏は城壁すらなく、いつ魔獣が一気になだれ込んできてもおかしくない。

顔を上げると年長の三人が頷く。


「さ、懐かしの再会はこれぐらいにして。エタねーちゃんは急いでるんだ。ね」

「用事を済ませないとな。さて、ボリスにーちゃんから預かり物がある人ぉ」

「はーい」


まだ零歳児のニコを抱っこした三歳のリースが元気よく片手を挙げる。

あわわ、と五歳のミンツがニコを横から支える。


「おとさないっ。だいじょぶって」

「うん、大丈夫だけどね、リース。ちょっとミンツに預けようね」

「はーい。ミミルねぇちゃん」


リースはエプロンワンピースのポケットから赤いリボンで纏めた灰色の髪を取り出した。屈んだエタの両手にぎゅっと押さえつけるように渡して、弾む声でいう。


「シスターの髪の毛だよ。魔導装置の鍵だって」

「魔導装置……転移か。しかし、本体は……いや、まさか」

「想像通りだと思うよ。エタねーちゃん」

「花畑……」

「死者への冒涜になりますか、封印の聖女様」

「ミミル」


エタは首を左右に振った。

シスターの遺髪に短く祈りを捧げ、リースの頭を撫でた。


「どこに誰が埋まっているか、ぜんぶ覚えてるんだ。シスターも、自分も。

今日この日のために、幼くして亡くなった子らの遺骸を使ったのなら、子らが再びこの世界に戻れるよう、次の生は永く平和に過ごせますようにと祝福を与えたのさ」

「エタねーちゃん、見た目が変わってちょっと美人になったけど、中身はまったく変わらず、やっぱシスターに似てババくさいってボリスが出掛けに言ってたけど、ホントだね」

「なんで真剣に答えたのに混ぜっ返すかな」

「えー。だって、どっちでもいいもん」

「ひどいな。聞くなよ」


さて、行くか。

エタは遺髪を丁寧に胸元に仕舞うと立ち上がり、弟妹たち全員を見回す。


「レグット、クラフ、ミミル。お前らが要だ。生存を第一に立ち回れ」

「はい」

「アリラ、ドルツ、リット、ムゥス、リグ。十歳組をしっかり支える」

「もちろん」

「ネクト、アシカ、シュリ、ハリー。下の子たちを護ってなるべく隠れること」

「うん」

「ミンツ、リース、ウル、レナ。チビたちを頼むな」

「わかったぁ」

「ヴァリー、ラン、ニルス、シェラ、ブール、ニコ。兄ちゃん、姉ちゃんのいうこと、聞くんだぞ」

「あーい」

「じゃあ、行ってくる」


言うが早いか、エタは靴の踵に仕込んだ魔石を割った。

森を駆けるくらいならば、魔石の魔力を使った身体強化で十分だ。

見る間に森の奥へ消えた長姉の白髪を目の奥に焼き付けて、修道院の弟妹たちも生き残るために動き出した。

エタやボリス、それからずっと前に修道院を去った兄姉のふるさとを護る、大切な戦いだ。



・・・・・・・・・・・・



地の底を這うような咆哮に木々が倒れる。

音というよりも質量を持った暴力的な塊に樹齢数百年の巨木が容易く薙ぎ倒されていく。

めりめりどずんという悲鳴さえ、皮との間に血肉や土や草を挟んだ太い爪に、掻き消されるように蹴り裂かれる。


しかし、森もまた生きている。

確かにこの場所に在り続けることを使命とした魔の森の木や蔓草は、その容易く折られた細い枝の脇から、荒ら荒らしく尖った幹の断面から、あるいは千切られた一本一本を地面に突き立てて、新しい枝を幹を蔓を伸ばし、今しがた自らを蹂躙した魔物に絡みつかんと襲いかかる。

どちらもが、果てれば相手の養分となる。

肉や骨、葉や茎のみならず、ふんだんに含まれる魔力は、相手を回復あるいは強化し、仲間と呼べるかは分からない同種族を喰らう、言葉通りの肥やしとなるのだ。


人とて同じことだ。

アーベルは高い木に上り、半刻ほど前までいた塔を見た。

大人五人掛かりでも胴回りを測れない巨大な魔獣が、ぐるりぐるり巻き付きながら曇天に牙を立てる。

ぎしゃぁとでも表現すれば良いのか、猛り声は空を覆った厚い雲を切り裂くのならば役に立つが、そうでないのならば耳障りなだけだ。

ぽつり、雫が傷口に当たる。

魔物の爪先がかすり、右腕の革鎧が裂けて、ぱっくりと肉を切られた。止血のために魔法で焼いた肌が濡れる。


「降ってきましたか……」


雨粒の直撃にじんじんと熱さがぶり返してきたが、左腕は泥や魔獣の体液で汚れていて押さえつけもできない。


このような事態になっても、アーベルたちの準備が不足していたとは考えていない。異変が予想よりも早かった。

金色の空をぼうと眺めていたわけではなく、あっという間だっただけだ。


王国と呼ばれた土地、この地が魔王直轄地本来の魔力を取り戻し、制御する魔王の不在によりそこかしこで溜まりとなった。魔力溜まりは暴発するか、魔物が生まれるかのほぼ二択だ。

魔の森では場所柄、魔物が発生する確率が高く、大小さまざまな魔物が生まれて魔獣と喰い合っている。大枠では魔獣の仲間といえる魔族も餌と認識されたようで、詰めていた第三塔も鋭い爪と牙を持つ中型の魔物が襲いかかってきた。

応戦しているうち、今度は森の女王——例の食せば美味な蛇状の魔獣——が参戦、なんと魔物を丸呑みにしてしまった。

魔物が内側からぶち破って出てくるかと徐々に距離を取りつつ伺っていると、森の女王が巨大化し初めた。魔獣の魔物化、魔物の魔獣化、どちらかは不明だが、純粋魔族でもないアーベルたちが太刀打ちできる相手でないことは確かで、二班に分かれて森の両端、第一塔、第五塔まで撤退を決めた。

狼煙を上げる暇もなかったが、間の第二塔、第四塔についても異常時には各自判断するよう申し付けてある。無事を祈る余裕もない。


「エンリケは無事でしょうか。あたたた。さっさと傷を治してもらわないと」


だけどねぇ。

今もなお姫さまの料理人を名乗るアーベルは、紺色の縮れ毛を痛む右手で掻きむしった。頭に刺激を与えればほかが気にならなくなるかと思ったが、効果はない。

巨大蛇魔獣の響きの間隙を突いて、足元の魔獣の吠え声が届く。

すぐに止血したというのに、血の匂いを察知した魔獣たちが木の根元を取り囲んでいる。もしや焼いたために香ばしい肉の匂いがしたのか。

登ってくる魔獣を蹴り落としたり、戦い向けでない魔法で脅かしたりしているが、落ちては上りしつつ、徐々に近づいている。

枝が細く頼りなくなるため、アーベル自身はこれ以上登れず、切り付けていた剣は先ほど折れ、剣身の大半が落下してしまった。

刃物がなくてどう料理しろと。姫さまならば氷の刃でも水の刃でも作り出して扱うのだが。

得物がない料理人など役に立つものか。


「魔獣ですら明日生きているために必死なのですから」


アーベルは今度は左手で濡れた頭をわしゃわしゃ撫でた。

小さな突起が指先に当たる。

騎士団に潜入してから、魔族の特徴である角の名残を自分でも触れないよう気遣っていた。他者からは縮れ毛のおかげで見えないが、弄る癖にでもなれば見つかる恐れがあった。


「これは……」


アーベルは、角とほとんど同化した、姫さまの贈り物を思い出す。

足元の魔獣は数を増やし、うち一匹はアーベルの乗る枝に近づき、雨は木の葉を大きく揺らすほど降っている。

第三塔に巻き付く蛇が再び吠えた。

大きく開けた口から炎の様な赤舌をくねらせる蛇に向かって、白い雷が落ちた。

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