<35> 魔族の血を引く娘

ギュンター侯爵領にて天まで届く勢いで上がった三十数本もの火柱は、領内外の多くの者に目撃された。

神々しい青い炎はほんの短い時間で消えたが、それを目にした多くの者が地面に這いつくばって祈りを捧げた。

同日、王国の五箇所で一斉に蜂起した反乱軍は、密かに展開していた騎士団の手により速やかに鎮圧された。

やがて民は噂した。

王国は神様の御力により魔王を封じた聖女と勇者の子孫が治める地。刃向かう者に天の怒りが降り注いだのだと。



・・・・・・・・・・・・・・・



アルベルト・ギュンター騎士団長は、王城を出立する前に受けた指示を思い出していた。指示といっても二三だけ。休暇のために自領に戻ったのだから当然である。

『遠目にも目立つような合図』は送ったし、『隣領と繋がりのある兵士』は確保して、影が持って帰ったし。

「ん、仕事終わり」

幾らかまだこちらを見ている気配はあるが、手出ししてこないのなら放置で良い。いつもの事だ。

整っているのは見目だけで、<幻影>の内側は返り血や汗で酷いことになっている。全裸で歩くには春の気温は低く、一つくしゃみをすると屋敷玄関に足を向けた。


「こ、んな・・・一人なら、色に溺れた若造など簡単だと・・・」

玄関近くまで逃げていた元代理領主が呟いた。存在をすっかり忘れていた。

「失礼だなぁ。妻の他に愛人を三人も囲った上で娼館にも度々出没する君がいうかい?」

「お前のようなっ若い娘を連れ帰り殺める外道に何をっ私の従姪も」

「従姪?」

「五年前、王都のパーティでお前に惨殺されたっ従兄弟夫婦もショックで自ら命を絶った!」


あぁ。アレか。

幾人も斬り捨てた先ほどの戦いでも見せなかった酷薄の笑みを浮かべる。


「あの娘が親類だったって?

幼気いたいけな少年の前で自ら服を脱ぎだすような売女が貴族なんてさすが<王国>だと納得したが、お陰で知りたくもない気質に直面する羽目になったじゃないか。

薄い魔族の血が何よりも甘く芳しく体内の液体すべてを沸騰させる、あの衝撃に慄然とした十五の僕の気持ちが分かるかい?

抑えきれず血を求めた僕にあの娘が懇願し、彼岸へ送って遣った、それだけの話だ。

不審な物音に覗き込んだメイドの悲鳴で娘の親が駆けつけて詰るから、抉り出した心臓を燃やして青く光るのを見せてやったのさ。一滴二滴では青く燃えない薄い魔族の血も、心臓ならば煌々と宝石の輝きを見せる。

あぁ思い出したら試したくなったなぁ」


舌なめずりで赤銅色の服の中身を想像する。できれば若い女性が良いが、実験、観察ではない刹那的な遊興のためならば不要品を利用するのは悪くない手だ。

揃えた右手の指先から氷の剣が伸びる。ゆっくりと獲物に近づく。

主殺しに加担して失敗した男は、異常な光を湛えたその目に震えながら懐から護身用の短刀を取り出して構える。

「そんなに怖がらなくても・・・青いか、赤いか・・・確率は・・・」

ギュンター侯爵家当主の動きはしかし、予想もしない出来事により封じられた。


「ア、ルベルトさっ?」

丸々肥えた元代理領主の背後で扉がそっと開いた。顔を覗かせたのはカテナ・フンメル元子爵家令嬢だ。振り返った男の血走った目に動きを止めた。

代理領主だった男は、意外にも素早い動きでカテナの腕を掴んで引き寄せると、白く細い首筋に短刀を当てた。


「美しいご令嬢と聞いておりましたが、いやはや。ご趣味が悪うございますな?」

カテナが着ていた薄桃色のワンピースは部屋着というにも簡素すぎ、侯爵家の玄関扉を開けて出てくる者にしては、その青白い顔色と併せて不相応だった。

元々深窓の令嬢などではないカテナの魅力は、太陽の下、降り注ぐ光に負けない笑みを見せるときに最も発揮されるのであり、虜囚の扱いに似た境遇においては美貌に見る影もなかった。


「それでもまぁ」

有利を確信した男は下卑た笑みを浮かべて胸元に当たる腕に力を入れる。恐怖で祈っているのか、小刻みに漏れる吐息が当たる。気を良くして二度ほどさするとそのまま斜め下に移動し、腰の辺りで止めた。

「身体の線は宜しいですな。出る処はっがはっ」

拘束する女に足の甲を踏み付けられ、痛みに短刀を持つ手がぶれた。

カテナは男の太い腕を風魔法を纏った手で押しのけ、顎に頭突きをお見舞いしてやる。勢いで屈んで、とどめに脛に蹴りを入れてから離れる。

元代理領主は片足では平衡が取れず、転んで尻を強打してもんどりうった。

令嬢はアルベルトの数歩先まで軽い足運びで移動すると腕を組んで顎を上げた。


「このっゲホゲホッ」

「君、喉を痛めていたんだろう。しかし」

「ご、ごろざないでくで!やっと、運が回ってきたんだ!」

尻を押さえて転がりながら叫ぶ様子は喜劇でしかない。

「運、ねぇ。

魔族の血がどちらの家系に流れているか突き止められるのを恐れて、親戚一同で共謀して娘の両親を殺害。弔いは勿論土葬だ。で、君は玉突きで空いた男爵位に転がり込んだって訳だ。

まぁ実際に手を下したのが君ならば、正当な報酬だろうよ。確定されればどちらかの家系は全員魔族奴隷落ちだからね」

男の顔色が変わる。吊るした従兄弟夫婦を思い出したのか、相貌に濃い死の陰が掛かる。

「ち、違っ」

「じゃあ?特産品の流通を阻害してしこたま儲けたこと?隣領の貴族に唆されたといえば逃げられる、なんて思わなかったから主殺しに、要は僕の暗殺だけど、加担した。若造だから素直な振りをしていれば騙せると踏んでいた。だが」

右手を振って氷の剣を外す。石畳で割れて四散した。

「結局は金の流れなのさ。物事の本質。得があるから動く訳だろう?カロッサの受け売りだけどね。

あぁ、興が削がれたなぁ。もういいよ、君。どこにでも行くがいい」

醜いほどに己を肥え太らせた男は、比喩とはいえぬ転がりようで逃げていった。

アルベルト・ギュンターとカテナ・フンメルの視線の先からはすぐに消え去る。再び出会うことのない男の存在は、それで二人の中から永劫消え去った。



「では屋敷に戻りましょうか」

真っ直ぐな茶色の髪をさらり耳に掛け、顎に手をやったまま振り返ってにこりと微笑んだ娘の余裕に、アルベルトは眉根を寄せる。

風向きが変わり、数歩先のカテナの薫りが騎士団長の鼻をくすぐった。


「君は・・・わざと・・・」

令嬢は首元を隠した手をずらす。短刀に傷つけられて滲む血を見せつけると、墨色の瞳を光らせた。一呼吸、ゆっくりと息を吸って吐き、うぅんと咳払いして喉の調子を整えた。

「外の空気はおいしいですわ。アルベルト様。誰かの祈りが濁った心を洗ってくれる。

ご存じでしょうけど、私、フンメル子爵家に引き取られるまでは森で育ったの。母は綺麗なだけじゃなくて魔獣も野盗も斃せるほど強かった。私も幼い頃お手伝いしていたし、子爵家に入ってからも討伐に出ていたから、魔法も血も慣れている。だけど」

力ある者の謀略には敵わない。

そこには目覚めた時の何も映さないどんよりとした瞳はなく、敵を見据える戦士の鋭さがあった。





見目からカテナの母に魔族の血が流れているのは明白だった。陽に当たっても色の変わらない白い肌。透き通らんばかりの肌はそれだけで娘のカテナすら魅了した。

人間にはまずいない先端の尖った長い耳。高い背や細い手足のバランスも人間というには違いすぎた。

それから俊敏な身体能力と鋭敏な視覚聴覚。魔法を使うとき赤く光る瞳。

異質というよりも神秘的であった母は、母親というよりは畏怖の対象だった。


母から離され、お母様に初めてお目にかかった時、むしろ安心した。

抱きしめて、生母と引き離す薄情を詫びた、その心根に涙が出た。

まっすぐな茶色の髪だけは母譲りだが、他の点ではどちらかといえばお母様に似ていた。血の一滴も流れていなくても、父の妻というだけの存在ではない、実の娘として大切に育ててくれたお母様こそが母親だった。

だから、お母様の最期の望みを叶えたかった。

『あの人は弱いから、守ってあげて』


お母様は、母を森の奥に棲まわせ、森自体を禁忌とした。父はそれを嫉妬からくる暴挙だと詰った。フンメル子爵家が代理領主として治める三つの村の統治をお母様に任し、父は画を描き、母に会いに行くことで時間を潰していた。

お母様が亡くなってすぐに父は母を本宅に連れてきた。

人目を避けるために森の奥で暮らしていた母が、父が望むのならばと森を出たのも驚いたが、父の心底嬉しそうな顔には胸が痛んだ。

何のために。

お母様が悪者になってまで母を森の奥に隠していたのか。父は本当に理解していなかったのだ。

人の口に戸は立てられぬ。箝口令を敷こうとも、すぐに噂は領主にまで上がった。

フンメル子爵家が匿う妖精とやらを渡せ。

色か金か。恐らく両方を欲した領主は、母を連れて行こうとし、母は。

領主の私兵三人を道連れに、父と私の目の前で死んだ。領主は腹立ち紛れにその場で遺骸に火を付け、炎とともに母は天に昇った。

抜け殻となり、屋敷から外に出なくなった父が、一年半ほど前からたびたび夜会に出向くようになった。執事などは新しい女性ができたのでしょうと喜んだが、そうではなかった。

『王国の悪法、ひいては制定した現国王に奥方は殺された。正しい世界を導く我々に貴方は協力すべきだ』

書斎の暖炉、燃え残りの羊皮紙。

誰よりも甘い父に振られる役目など、良くておとりだ。

『悪法を断ち、魔族を解放する。私は仲間とともに成し遂げる。お前も手伝ってくれるな?』

そして、父はその役目を娘に託した。いえ、都合良く押しつけ、母の思い出と生きる自分に厳しい目を向ける娘を遠ざけた。

それでも。

お母様の願いを、叶えたかった。





「地下以外では何をしても。傷付けはしない、そう仰いました」

「・・・云ったねぇ」

暴虐の罰だ。

アルベルトは神様の存在をやっと認めようとしていた。力を与えられたばかりに否定するしかなかったその存在を。

血が沸騰する。

今まで、あの部屋以外でここまで欲したことはない。薄い魔族の血を嗅いだだけで脂汗が出るほどの我慢を強いられるのならば、とうに狂っている。いやすでに狂っているのだが。

呼吸を抑えなくては。吸い込んではいけない。焦れば焦るほど、呼吸は荒く激しくなる。

胸を押さえる。ゆっくりと、そう。ゆっくり。目を閉じて意識を呼吸に集中する。

だが、ゆっくり大きく吸えば、深く吸い込むことになる。全身に甘い香りが満ちる。

限界だ。今すぐに。


パキン。

胸元で音がして、アルベルトは目を開けた。

すぐ前で柄だけになったナイフを投げ捨てたカテナが、今度は手の平で同じ場所を撫でた。指先がアルベルトの手に触れる。

カテナは離した手を見て顔を顰めた。

「やだ、血と汗びっしょり。<幻影>の衣・・・まさか、裸」

「誤魔化すのが下手だ」

薄らと笑って両手を後ろで組む。これ以上触れれば外だろうとお構いなく、命を奪うまで貪ってしまう。

殺してしまえば、望みが果たせなくなる。

地下室に特殊な魔方陣と霊薬を揃えたのは、魔族の血を引く娘に絶望を与えたいからではない。血の香りに正気を失い、憎しみに暴行を加えても死に至らさないための。いやむしろ死の寸前から引き戻されて責め苦を繰り返されることに絶望してみな去って行った。

遣り方が間違ってるなど承知の上だ。だが、ただの人間では呪いから逃れられない。魔族の血が、僕らには必要だ。だから。

考えが纏まらない。カテナの傷は鼻先といって差し支えない位置にある。血の匂いに思考が奪われる。銀髪をぐしゃりと掴んだ。

「・・・誤魔化すのが下手だ」

もう一度、今度は自分に向かって言う。



『アル』

一番思い出したくない女性の声が聞こえた。

どこも似ていないじゃないか。緩くうねった海老茶の髪、瞳は焦げ茶。

僕より四つ歳上の、兄の婚約者。僕の方が歳が近いんだから僕にしなよ、って冗談まじりに・・・



矢が風を切る。

「あぅっ」

おかしな悲鳴を上げてカテナ・フンメルが崩れた。矢が左肩を貫いている。

開いた射線に続く矢は真っ直ぐアルベルトに向かい。

目の前で止まった。


「ちっ」

狙う殺意に気付かぬほどに心乱されるなど。

浮かぶ矢を乱暴にむしり、瞬時に現れた魔力の弓に番える。矢尻は魔力の濃度に溶け、暴力的な光に置き換わった。

無言の発射。

狙いは過たず、屋敷裏手に去ろうとした刺客に命中、四散させた。

アルベルトは再び舌打ちすると、倒れた令嬢を抱き上げ、屋敷に走る。

玄関ホールに飛び入ると、施錠代わりに結界魔法を張った。


「カテナっ」

大粒の脂汗を額に浮かべた令嬢は、片目だけを開けて呻くと、切れ切れにいう。

「地下で・・・回復・・でき・・」

「できないんだ。僕は回復魔法は持たない。地下は、僕が傷付けた者しか治せないっ」

血が漏れる。流れないよう傷口の左右を圧迫する。

肩とはいえ、胸に近い位置。太い血管を傷付けたのなら、矢を抜かずとも血は漏れ続け、死を迎えるだろう。

「君しか・・・もう。時間が・・・死なないでくれっ」

むせるほどの血の匂い、けれど死の気配に身体の熱は冷まされていた。

漠然と考えていた次の相手——王妃——は、簡単に好きにできる相手ではない。戦えばどちらかが死ぬだろう。魔族混じりの娘など探せば幾らでもいるが、カテナ以上の娘に出会う可能性などないと断言できる。

対峙して義姉の声が聞こえた女性など居なかった。もう、他の誰も要らない。



カテナは力ない右手を、アルベルトの手に重ねた。

「父は・・・」

「あれは小物だし治めている領地も小さい。わざわざ手にかける必要もないと、例の森の奥で隠棲させてあるっ。護衛も付けているんだっ。僕は約束を違わない。ねぇっ死ぬなよっ」

「もう、地下は・・・いや」

「もう使わない。使うもんかっ。ただ恨みを晴らすために嬲るなんて、僕はっなんっで・・・リアっりぁあああっ」

大粒の涙を流して、アルベルトはカテナに抱き縋った。六年前、縋ることもできない姿に殺めた女性と重ねていた。

傷口を押さえた指をカテナの手が剥がす。顔を上げると、カテナの右手には魔力が集まっている。

「矢尻落として・・抜いて・・」

すんすんとしゃくり上げながら、アルベルトはカテナを起こし、願い通りにした。

ずるっ、と内側の血管まで引きずり出しそうに矢を引き抜くと、すぐにカテナは傷口を押さえ、青い魔力の光で包み込む。

片目を瞑り、汗を滴らせて、自らの傷を睨み付けるカテナには、生を諦めない気迫があった。

やがて光は消え、両目を固く瞑って奥歯を噛み締め眉間に深い皺を刻んだ令嬢はふわりと力を抜いた。全身が弛緩する。愛しくもないだろうに、仕方ないという風で自らを連れ去り乱暴を繰り返した騎士団長に体重を預け、薄らと目と口元を開いた娘は一言、疲れた、と漏らした。

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