<28> 謀

週に三度、四度。王城を抜け出して女の所に通う。

側室にも侍女にも出来ないその者を抱きたくて仕方がない。身を焦がす想いを、恋とでも嘯けば愚息は納得するだろうか。それがただの欲だと分かっていてなお。堪えきれないのは歳のためかそれとも。



私をその悪行に引きずり込んだのは現大司教の父親だ。

カロッサ家前当主は騎士団長職に付いていた豪放磊落な男だった。酒も女も、嗜むというような品の良い楽しみ方ではない。まだ成人前の王子であった私を貴族のサロンに連れて行った。

強さという一点でこの男を信頼していた私は、強さという一点でしかこの男を信頼すべきでないことに気づいたのだが、手遅れであった。

男が教えた遊びに私はのめり込んだ。気づけば、その種の女しか抱けなくなっていた。すべてを受け入れ包み込むしなやかな肉体。人間よりも固い肉は、柔さを競い媚びる女どもとは一線を画する。

病的に白い肌、あるいは褐色の肌。僅かな表情の動きで唇からはみ出す牙、釣り上がり細まる目尻や口角。頭頂から或いは側頭から伸びる角とまで呼べない突起から辺りを浸潤する魔力が放出されれば、行為を期待する高鳴りと誤解するこちらに何の落ち度もない。

瞳は希有な宝石の煌めきを持つ。拘束され、果てるまでその遊びに付き合わされる、恨みと憎しみを宿す爛々たる瞳が、肉体的接触以上の興奮を私に与える。心を病んで自らを絶つ者も多いというその場所で、絶望を見せない純粋な者の、闇を抱え闇を払う瞳を私は求め続けている。



成人して正式に王太子となった私に、妃が宛がわれた。

年頃の高位貴族の娘で五大貴族の血が流れていない者がなかった。約定を無視して王太子妃を狙う令嬢に辟易していた父王は、強力な聖魔法の使い手であるがゆえに隣国で持て余されていた第三王女を選んだ。

まだ十四であったパウラという名の姫君の持つ清廉さに、私は青ざめた。幾ばくかの金子と食料との交換で、つまりは売り払われてこの国に来たというのに、誰かを、運命さえも呪うことも嘆くこともない。凜と、己の意思で立つ美しさを私は恐れた。

王太子妃となる少女は、神様に仕え、聖女としてこの国を護りたいと父王に訴えた。

魔王の封印の弱まりは顕著で、魔物も魔獣も徐々にその数を増やしており、王宮が<封印の聖女>と呼ぶ庶民聖女による何度かの人柱は、一時的な効果、ほんの半年ほど周辺が護られる効果しかなく、大がかりな魔術を施せる人材もない。

対症療法でしかないとしても、その力で魔物を退けられるのならば願ったりだ。神様は婚姻を許している、妃と聖女は両立できる。父王は王太子妃に聖錫を与えた。



聖女となった妃の部屋を訪れたとき、そこに妃はおらず、妃が国元から連れてきた侍女だけがいた。

大聖堂での祈祷がずれ込んでいるため、しばしお待ちをと伝え、立ち去ろうとする侍女を掴まえたのは、真っ赤な爪が相応しくないと感じたからだ。

まだ成長途中の体では世継ぎを望めるかどうか分からない、しかも聖女としての責務を優先する妃に対する風当たりは強かった。侍女の落ち度でまで糾弾されるのは哀れだと、注意しようとその腕を掴まえただけだ。

そもそも世継ぎが必要だとしても、義務だけでそれを行うのは気が進まなかったから、通っているフリをしていただけで妃自体にも興味はなかった。小一時間ほど寝室の隣の部屋で書物などを読んで帰る。うるさい令嬢たちを誤魔化せれば良い。

それなのに侍女に手出しする気持ちなどあるはずがない。

その、腕に触れてしまうまでは。




今日もあの闇にぬらり光る目に欲望を叩きつけることを、想像だけで背と下腹がぞわりとした。

王族だけが使える秘密の通路を行く。

二百年前に築城された時より、主の移動を支える通路。主の血筋が変わっても、変わらずに。

仕組みは分からぬが、呪法の一種だと一度だけ内部を見せて遣ったアルベルト・ギュンターが云っておった。

魔術に秀でた一族ギュンター。

中でも現騎士団長のアルベルトは幼少より抜きんでた才を発揮していたが、領地屋敷に籠もり、研究に勤しむ方が性に合っていると聞いていた。それも今となっては怪しいが、証言する者はいない。家長以下一族みな死んだからだ。アルベルト一人残して。

六年前、一族が揃う、ギュンター家当主の生誕祝いの席に盗賊団が押し入り、侍従召使い含めその場にいた者たちを皆殺しにした。ギュンターは一族の血が流れる人間の数を過度なまでに調整しており、百五十年前から王家の側に仕えるというのにたった二十七人だったという。しかし魔術師として一級の者ばかりを相手取り、ただの盗賊が蹂躙できたはずがない。五大貴族は存在自体が呪詛の対象だ。他貴族の頭を押さえ、その血筋のみで最重要役職を独占する。貴族であるならば恨みを覚えない者はいない。近隣の領主の私兵が誰かの手引きで入り込み、虐殺を行ったといったところか。

一人生き残った次男坊が家の権利すべてを相続したのだから、つまりはそういうことだ。奴は十四歳で天涯孤独となり、十七歳で騎士団長になった。

何らかの罪に問い処刑するという選択肢はなかった。強すぎたからだ。幼い頃に出会った妃——すでに王妃であった——に憧れ、研鑽を積んできたというこの男は手元に置いておくべき者だった。少なくとも叛意を示さぬうちは。

先日より自領に戻っているあの者が好むのもまた人間とは違う血の流れる者だ。年に幾度か、気に入った少女を屋敷に連れ帰る。少女が屋敷から出るのをみることはない。人ではないその者たちの行末など別に構わないが、楽しみ方は気に掛かる。

魔族嫌いの王太子などが聞けば眉を顰めること間違いなしだ。



音の響かない通路をゆっくり歩く。どこをどう歩いていようが、私の気配を察知されることはない。蓄えられた膨大な魔力が、音も気配も消去する。

王に相応しい、支配者に相応しい通路。

だが、通路に流れる気配には虫唾が走る。

清廉な妃に似た気配だ。あのような気配を持つ者を誰が抱くことができるだろう。余程の物好きか、あれと同じ程神様に仕えている者か。

しかしあの時のあの目、あれだけは良かった。

今の感情を押し殺した瞳ではなく、射殺す魔力を含んだあの力強い目。激情を表せば人間であっても私に抱いて貰える女であったろうに。


その妃を離宮送りにしたと、侍従のコストマンが報告に来ていた。ちょうど通路を開いたところ、中に入ってしまえば後を追う術はないから仕方ないとはいえ、急ぎ伝えるほどのことではない。カロッサ大司教まで現れ、今宵は日が悪いと留め立てするから、誓約を忘れたのかと問うて遣った。

五大貴族に掛けられた呪いは、王家と五大貴族当主のみが共有する秘密だ。縦の誓約と横の盟約に雁字搦めになっている不自由で取るに足らない存在だと奴らを羨望する貴族どもが知ればどのような顔をするか。

たった一人を始末するだけで幾人道連れにできるのか考えれば、これほど効率の良い暗殺はない。競って遂げるであろう。

次に狙われるのが王家になるのは間違いないから、実際的な方法とはとても言えぬのだが。愚息であれば、やがて力を付けたあかつきに遣り遂げるかもしれぬ。宰相とともに実務を担う王太子は確かに有能で便利であるが、何といってもまだ青い。貸し与えた印璽を用い、手続きの面では完全に王の代わりを為しているとはいえ、この王国を支える労働力である魔族奴隷を解放しようなどと下らぬ理想を抱くとは。

まぁおかしな行動を取れば影たちが報告するはずだ。



回廊の外周部の壁の側で立ち止まり、しゃがんで足もとの鍵に触れる。外に向かう通路の一つだ。

幾つか、クラウスに教えていない道がある。

愚息には王宮のみ移動できる通路だと教えている。素より目印のない通路だ。適当に壁に触れたとて開くわけではない。王が次代に教え、実際に幾度も使ってやっと必要な時に使えるものになる。開く箇所に対応する鍵の位置も天井、床、壁、ランプ、絵画、本棚と様々だ。

登録された血筋の者が鍵に手の平を、魔力の波動を当てるだけで扉は開く。このような魔法を組み込める者は今や存在せず、機構も動力源も一切不明だ。現在これを使えるのは王である私と王太子クラウスのみ。王家の者であってもアルムスターの血が流れない王妃は使えない。

曲がりくねる一本道は少しずつ昇っている。女に会える悦びに高揚する胸を宥めながら、歩を緩める。この高鳴りさえも楽しみの一つだ。会う前も、逢瀬も、別れさえも。そのすべてがこれ以上ない快楽だ。

行き止まりの鍵を開ける。

現れた扉をくぐれば、城下の屋敷に出る。直属の者に管理させてある屋敷で姿を変える。大仰な王の服を脱ぎ捨て少し裕福な商人程度の格好に。髭、髪の色、目の横に黒子。片耳に派手な飾り。成り上がり者が好きそうな色合いの服。

愚息ほど上手くない隠蔽の魔術も、魔導具に頼れば問題ない。存在感を薄くすると気付かれる可能性は低くなる。

普段は騎士団長に施して貰う防御系の魔法は無いが、役だったこともないから問題ないだろう。



待たせていた馬車に乗り込むと、いつもの店に向かう。

貴族区域を抜けて庶民区域に入ってすぐ、貴族位を持たない金持ちが住む辺りだ。

貴族区域の外れと庶民区域の入り口は、立場が逆転している。手入れする程の金が無い貴族の屋敷は、鬱蒼と茂る木々と薄汚れた外壁が身分ほどの立場が無いことを示している。貴族位を持たなくとも豪商ともなれば、貧乏貴族の何倍もの敷地をもつ屋敷を構え、門に立つ像一つでさえ最新の芸術作品であったりするのだ。

便宜には便宜を返す彼ら豪商は、矜持よりも強欲を旨とする点で貴族よりも信頼できる。

大司教の仲介で知り合った豪商は、金さえ積めば少々の労苦も厭わない。

そこは表向き普通の酒場で、実際に営業している。裏を知らない者が仲間と杯を交わしているのを横目に、個室を指定する。揉み手の雇われ店主が馴染み客に聞かれて、お得意様の商人だと答えている。

背後の会話よりもすでに頭の中は待ち侘びる女のことで一杯だ。

あの女の肌に何色の傷を付ければ美しいか。部屋に飾りたいあの紫水晶の瞳を憎悪に染めるにはどんな言葉が相応しいか。銘柄を指定した酒も楽しみだ。飲み方の変化も付けたいところ。

何をして遊んでも良いとはいえ、大切にしなくては。今のままではもう次の女は手に入らない。

隣国に攻め入るかあるいは魔王の封印を解くか。諸々勘案すると前者しかあり得ず、すでに王都との中継地として朽ちた都市に魔族奴隷を集め整備させている。奴隷はその後国境へ連れて行き、最前線で歩兵となる。

隣国は内乱状態だ。そもそも相次ぐ災害に対応できない隣国王家は分裂し、小規模に争いを続けていた。

我が国の穀倉地帯を狙おうと国境まで行軍してきたこともあったが、国境は断崖か深い森だ。断崖に荷馬車の行き来する橋はあるものの、軍を素通りさせる阿呆はいない。狭い橋を歩けば狙い撃ちされるのは子どもでも分かる。そちらを諦めて森を抜けようとすればまず戦わなくてはいけないのは魔獣と罠だ。人的被害を巻き散らかして逃げていった。魔獣に餌を遣りに来ただけだ。

そこに一応とはいえ国を纏める国王の暗殺が追い打ちを掛けた。我が国公爵家の次男が上手く遣ったのだ。次期王に名乗りを上げた兄妹三人が入り乱れ争う中、南方からも進軍される事態となれば、国の名は変わり、体制も変わる。その前に新たに奴隷にできる魔族を手に入れる。純粋魔族は隣国でも数を減らしているが、いくつか都市を落とせば手に入るだろう。数が多ければ所有を禁じる法を変えればいい。

面倒なことを考えずとも世界の何処かにあるという<聖典>を手にすれば、すべて思うままというが、封印の聖女などと云う者よりもっと疑わしい話だろう。

兎も角、実りの秋を過ぎれば戦争だ。



・・・・・・・・・・・・・・・



騒々しく幾人もの足音が鳴る。足音には金属がすれる音が混じる。

武装した何者かが迫ってくる音だ。

男が抱いていた女から離れようとした時、扉が蹴り開けられた。鍵も鍵の魔術も施していたのにも関わらず。

「動くな。魔族を囲っている者がいると通報があった」

王都の護警団ではない。討伐仕様の装備に身を包んだ王城騎士団だ。

先頭に立つ紫のマントを羽織った男は剣を抜き、切っ先を向ける。

「混血で無い純粋な魔族を所有することは死罪。人間に仇なす魔族自体ももちろん」

一息に距離を詰めて揮われた剣は重なっていた男と女を同時に突き刺す。抜いた刃を握り直し、二度三度それぞれに刺し直すと、大きく素振りして血を払う。壁に穿たれたような血の点線が現れる。

隣に来た部下の差し出した布切れで拭われた長剣が軽い金属の響きとともに鞘に仕舞われた時、ベッドの上には国王で在った男と魔族の女の死体があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る