<26> 他愛ない破壊
「こちらに大穴が」
上階廊下に声と早歩きの軍靴が不揃いに鳴る。話はここまでだ。
「ボリス」
「はっ」
呼びかけだけで次の行動を理解したボリスが木箱を蹴って飛ぶ。灰色の少年が宙に舞うその隣に、コーン、とやはり名前だけを呼んで、騎士を投げ上げる。悲鳴を上げなかっただけで上出来だ。
ボリスがコーンの体を受けとり、共に上階に降り立てば、上擦った誰何が響く。
「誰だ。王宮に大穴を開けた不審者か!」
「いつまで待っても迎えがこないからね」
ふたりの代わりに下から答え、床を軽く蹴って飛び上がる。一階程度の高さ、造作もない。スカートの裾は捲れないよう膝で挟み、空中で二度回転して着地。乱れた髪を片手でかき上げる。
騎士が五人ほど集まってきており、後方からさらに侍従——王太子の侍従ならほとんどが影だろう——数人と騎士の増援が見えた。
「新聖女・・・」
「知っているなら話が早い。いつまでも寝間着でうろつきたくはなくてね」
採光で明るいのだと思っていた上階は、すでに照明の魔導具が灯っている。地下室で一日近く過ごしたということで、移動の際に目立たぬよう気遣ったとしてもあの部屋に閉じ込められたことに誰も気づかず、探しても見つけられなかったなどあり得ない。新聖女を歓迎していないのは昨日の令嬢だけではない。この王宮王太子区域全体が——侍女や侍従も騎士に至るまで——自分の存在をできれば消したいと考えている。
「空いている客室に適当なドレスと装身具を用意しろ。今すぐだ。侍女と護衛は間に合っているから案内だけでいい」
腕組みに顎を上げ、尊大な物言いを装う。
「しかし」
「この穴。開けたのは自分だよ。魔力の残滓も読めない程度なら騎士など辞めちまえ」
それを騎士の条件にするなら該当するのは現在の王国内では両手で数えられる程度だが、考える脳みそがあるなら状況から分かるはずだ。
視線を僅かに逸らし黙り込んだ騎士の肩を背後から叩き、静かに前に出たのは侍従と覚しき男性だった。白髪交じりの茶髪に、苔色の瞳、鼻の下きちんと整えられた髭は自前のものだ。痩身に暗器を隠し持つ、姿勢の良い男は侍従という名に相応せず、むしろ騎士を侍らしている。
「下がりなさい。第三の。・・・失礼。殿下不在の折にて不慣れな王城騎士団などにこちらの警備の一部を任せておりまして」
「ほお?」
「第三騎士団、王城騎士は王城警備が専門の上、率いるディストロ団長はただいま騎士団長代理として全体の指揮を執っておりますゆえ。あまりにも不手際が多く、新聖女様には大変なご無礼、平にご容赦を」
「王宮は相変わらず謝るのが苦手なヤツが多いな。まぁいい。さっさとしろ」
「では、こちらへ」
カツンと振り返り歩き出す革靴の音。騎士たちが頭も下げずに見守る中、侍従を追った。
通されたのは眠っていた部屋よりも一階上のフロアの一室だった。自分を地下室へ連れて行ったご令嬢が滞在しているといっていたが、この部屋ではないだろうな。
王宮の調度ゆえケバケバしいとまではいかないが、黄を基調としたラグやソファはよほど好きな者か慣れた者でなければ、落ち着く部屋だと思わないだろう。テーブル、ベッドは目に優しい茶系の家具で、模様替えの最中に連れて来られたようだ。
「部屋の主を入れ替えることにした、か」
「階下で暴れられた方がいらっしゃいまして。突き上げられ、揺れに揺れた隣室は破損箇所も多く、使用困難となりまして」
「黄色い部屋にいたのは黄色いドレスのご令嬢、とは単純かな」
「殿下のお戯れですな。遠目に見分けが付くように、と。黄はドーリス・メルト子爵令嬢の色ですが、新聖女様にご無礼働いた由、騎士にて捕らえさせ、事情を確認せねばなりませんが」
「が?」
「現在行方を捜索中にございます」
一切顔を変えず言い切った。子爵令嬢という黄色い女性は侍女数人も連れていた。あれらすべて令嬢個人の侍女で、自分を地下室に案内したのも独断で行ったことだと。
どのように始末するつもりか。王宮の作法は変わらず反吐が出る。
「美しい
「じゃぁアンタたちは下がっていいよ」
「そちらの騎士の羽織っているマントはお返しいただけないのでしょうな」
ボリスが行きがけの駄賃でいただいた<認識阻害>の付いたマントだ。同僚から逃げている、つまりは騎士団からお尋ね者のネッケに着せている。
「便利な道具は皆で分け合うものだろう?」
「左様で」
ちらと上目を最後まで残しながらゆっくりと礼を取る。慇懃無礼な態度はそれでも悪意とは言い切れず、まずは挨拶を寄越したまでと微かに笑みまで浮かべて侍従は去っていった。
扉を閉め、室内に三人だけになると自然と溜息が出た。ソファにどっかと座る。
「魔力抑えるのすっごく疲れるんだけど」
「よく我慢したね」
ボリスが褒めてくれた。背負ってきた荷物をソファに置いたあと、侍女らしくクローゼットを開けて物色する。
「今の侍従くらいじゃねぇ?マトモなの。後はダメだ。気を抜くと全員昏倒させる自信がある」
淡黄、蒲公英色、金糸雀色、菜の花色。ほとんど同じ色が並ぶクローゼットから黄色でないドレスを探す。元気の出る色といえど、目がちかちかして、ボリスは眉間を揉んだ。
「ねぇ、もしかしなくても眠っている間に影を始末してるよね、エタ」
「・・・始末って言い方やめてくれないかなぁ」
「この部屋に誰も忍んでいないのもおかしいし、王宮全体も人が少なすぎる」
「少しの悪意でバッタバッタってか。でも黄色の令嬢は倒れなかったなぁ」
一番端、別布を掛けてほかよりも丁寧に吊してあったドレスがあった。取り出した淡い桃色をした一着は、ほかのドレスと質感が異なっている。黄色のドレスよりも上質で、裾の内側に小さくふたつ刺繍が施してあった。ふたつの家紋は、父母それぞれの家を表す。母親が手ずから刺すお守りだ。
「本当は嫌だったんじゃないかな、エタを、いや誰かを傷つけるなんて」
ボリスが、令嬢の大切にしていたお守りを見せる。そのドレスは借りられない。首を振ると、元通り一番端に大事に吊した。
「王妃や自分に喧嘩売ってたのも、気を引くためか。助けを求めるには見張りが付いている。気づいていれば、どこかに逃がせたのに」
「あー、ごめん。その女性、離宮でいるよ」
「え?どういう・・・」
ボリスに詳しい話を聞こうとソファの背もたれから身を乗り出したとき、扉が叩かれた。
振り返り頷く。扉前に立つコーンことコンラート・ネッケが、薄く扉を開き、用向きを確認する。二三言葉を交わした後、近くまで来て跪いた。
「同じフロアにご滞在のカーラ・フリック伯爵令嬢が庭園の散歩をご希望とのことです。半刻後に迎えに来ると、返事も待たず行ってしまわれました」
「もてる女は困るねぇ」
「魔力抑えてよ」
「分かってる。もう少し王宮の状況を掴まないと動けないからな。さて、着替えはあった?軽く湯浴みしてくるわ」
「・・・大丈夫?」
家族には敵わない。どんなに強がっていても、平気だって振りしていても、見抜いてくる。
「すぐに戻るよ。着替え、こっちに置いといて」
出来るだけ平静を。取り繕えるうちはまだ、大丈夫だ。
ひとりになるのが、考えてしまうのが怖いのだとしても。
ドレスは黄色と刺繍の入ったもの以外だと三着しかなく、サイズを合わせられるのは黒しかなかった。呆れるほどの手際の良さで髪まで整えてくれたボリスは、優秀な侍女だと思う。いや男なんだけど。
「まぁあ。黒のドレスなんて縁起でもない。白髪と合わせて、まるで葬送ですわね」
半刻を四半刻ほど過ぎてからやって来たご令嬢は、開口一番こき下ろしてきた。
深緋色のドレスから半分近く見えている豊満な胸がまず目につき、同じ色に塗られたふっくら艶の良い唇から出たのが、まさか嫌みだったとは一瞬気づかなかった。それも決して心地の悪い声ではないのだ。むしろ吾子を抱いて眠りに誘う優しい旋律を期待させる声。
ついまじまじと見詰めてしまう。
「なぜ・・・」
「さぁ、行きましょう。貧乏人が一生の思い出にすると良いわ。二度と歩くことのない庭園の見事さを」
少しだけ慌てたように踵を返した。付き添う侍女が、どうぞ、と誘導する。こちらも侍女と騎士を連れ、後を歩いた。
王宮の庭園。奥の芝生に寝転がってよく空を眺めた。あまり人の来ない場所で手入れもほかほど行き届いておらず、好き勝手とはいかないまでも芝の間から雑草が生えていた。
目を瞑る。離れた場所の木々が揺れる音。遅れて届く風。通り過ぎて向こうの草を擦り合わせ、またさわさわ鳴る。
耳を澄ませば。何処かで誰かがする些細な動き。起きる伝播。結果はいつだって最後に遣ってくる。
閉ざしていなければ見えた、見逃していた多くの手掛かり。あの腕輪が遮っていたのは。
「聞いていらっしゃいますの?」
すぐ前を歩きながら赤いご令嬢が話していた。庭園の場所は今も変わっていない。花壇や植栽には興味がなかったから、同じ花が咲いているかは分からない。月のない夜闇の中、魔導具のランプに照らされる花は眠そうに萎んでいる。花の名前も流行のドレスの話も下らないと、別のことを考えていた。
「王太子殿下の素晴らしさについて、話されてますよ」
侍女リィズが耳打ちする。きちんと聞いてるの、偉いな。後で褒めてやろう。透けた考えに、一睨みされた。侍女が主を睨むなよ、減点だ。
「あぁ殿下はもちろん素晴らしい方だろうな」
適当に相槌を打つと、ヒールを地面に打ち付けて立ち止まり、上から下まで睨めつけた。
「十歳から政務の補佐をされ、十七になった今では宰相とともに国政を担っておられる王太子殿下の素晴らしさの一端でもあなたのような下賎の者に理解できて?いえ、魔獣や魔物の被害救済のため、御自ら視察に赴かれる殿下の誠実さはもちろん下々も認めるものでしょう。けれどあの方の貴い理想をあなたのような小娘は絶対に理解できない」
苛立ちからか早口でまくし立てる。
「理想?」
「ひとつの王国、ひとつの世界。殿下は、魔族奴隷の解放を理想として掲げておられるの。あぁあなた修道院出身で、そう。魔族と一緒に育てられたとか。では喜ばしい限りね?ただ、どれだけの困難が待ち受けるか想像できるかしら。私はお側で、理想と現実を埋めるお手伝いをして差し上げたいの」
だから、と息継ぎして。
「あなたのような者がここには相応しくないことを、しっかり教え込んで差し上げる」
赤いご令嬢は詠唱する。波打つ魔力を操作し、作り出したのは縄だった。両手の間にできた魔力の縄をこちらに投げ、指先をくるりと回すと、腕と一緒に体が縛られる。その一端を持ち、引く。
「おっととっ」
「さて。まずはこのまま王宮を練り歩きましょう。力を持たないただの小娘だと皆に知らしめ、安堵させなくては」
肩を竦め後ろを伺うと、両手を胸の前で開いた——降参の——リィズと、剣を抜くべきか迷うコーン。首を振ると大人しく従うことに決めたようで、剣の柄から手を離した。悔しそうな表情を見せる素直さが微笑ましい。
練り歩くといっても王太子区域の客人である赤いご令嬢が王妃区域や最奥の王の居住区域に立ち入れる訳がなく、一度外廷に出るのも面倒だったようで、結局は先ほど来た道を戻る程度だった。メイドや下働きはあまりじろじろ見ないよう気遣いながら哀れみの目で、騎士たちは怪訝な表情で見てくる。考えていたよりも敵意が少ない。もっと嘲笑が見られると思っていたのに。悲嘆に暮れた泣き顔か、羞恥と怒りで真っ赤に染まった顔をした方が良かったのだろうか。
「私、楽しみにしていることがありますの」
先ほどの部屋の前まで親切にも送り届けてくれたご令嬢は、侍女に扉を開けさせる前、縄を持ったまま両手を組んでこちらに笑いかけた。満面の悪意。
「侍女の分際で身の程知らずにも殿下に色目を使う者、私を追い落として成り代わろうとする者。罪深い者たちに、現実を教え込む」
ざわり。二の腕の辺りで締まった縄か、擦られる、予感。
「弁える、ということを知らしめられて、飛びきりの顔を見せて頂戴」
合図に開く扉。
室内には七八人の侍女が、どこから運んできたのか腐りかけた野菜屑や血まみれの魚の頭を撒き散らしていた。ソファもベッドもラグも、刃物が突き立てられ、中の綿がはみ出し、血や屑に汚されている。クローゼットの中身も引きずり出され、床で踏みにじられている。
縄を引き、こちらを見ながら部屋に入る赤い令嬢は、この様に唖然とする自分の表情が気に食わない。
「今与えられたばかりのモノ、そんなの失っても別にどうってことないのでしょうね。持たざる者なのですから。でも」
片手を挙げる、再びの合図。
侍女が隠し持っていた青い布切れを差し出す。切り裂かれたそれは。
「ロナの、ワンピース」
「その顔、その顔よ!私には壊すことなど他愛ないこと。みな逃げればよいわ、彼岸まで!」
歪む顔で叫ぶ。その声に混じる、ボリスの小さな呟き。消え去る魔力の縄。
意識が、白くなった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「形見の」
呟いてしまってから息を飲んだ。一言で充分だった。すべてを察したエタに、もう触れることはできない。
抑えていた魔力が、抑えていた分増して、エタを覆う。うなる。うねる。
強すぎる光はそれだけで刃だ。ほかに武器など要らない。顔を僅かに上げて意識を向けた、その些細な動きで突き刺さり、突き抜ける。何百何千の細い線。嘲笑う女性たちの表面を埋め尽くし、表情を凍らせる暇も与えず血飛沫をあげさせ、その飛沫が床に付かぬ間に傷を癒やす。ただ恐怖と痛み、圧倒的な生命の終わりの記憶だけを残して。
呻き声を上げたのを褒めた方がいいだろうか。立ったまま顔色だけを変えた令嬢と侍女たちのうち、一人だけ低い呻きを漏らした。
だが、それは次の合図となる。
誰が許可したとでもいうように、また僅かに視線をずらしただけで、再び光が襲いかかる。窓どころか壁まで吹き飛ばし、窓際にあった常夜灯も天井に燈っていた照明の魔導具もエタの強すぎる魔力に壊された。覆う魔力に足は床を離れ、白い体は浮かぶ。
そして三度目。
夜と部屋との境目はなく、生死を瞬時に繰り返す光だけが鮮烈に、僕の仕える方の顔を照らす。苦しみに満ちたその顔を。
——壊したいのなら、手に取るがよい——
声が、響いた。
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