<24> 北部駐屯地

森を歩いた汚れよりも疲れの色の濃い騎士が三名、北門側の駐屯地に戻ってきた。第四砦までの往復任務を終えたところだ。春らしい穏やかな晴れに乾いた強めの風が髪を乱す中、王都の門をくぐるときに身に付けると決められた正装のマントも着用せず俯きがちに歩く。そこには暖かな陽気に浮つくどころか、任務を終えた軽やかさまでも一切なく、必要最小限にも満たない言葉を掛けるだけで騎士補に馬を預けると、報告のために兵舎に入っていった。


「戻ってきて良かったのか?」

小柄な騎士が隣を歩く同僚に小声で尋ねる。

「捜索は向こうでやる。そういう決まりだ。それに、お前など。邪魔になるだけだ」

口調よりもさらに苛ついた顔で舌打ちすると、早足で行ってしまう。中庭に面して大きな窓の並ぶ廊下は、まだ午後も早い時間帯というのに出発前よりも薄暗く感じた。


小柄で素早いから斥候役を、と任せられた仕事は途中で脱落した。大蛇に呑まれた彼、コンラート・ネッケを助けた隊長アーベルは、続く第五砦への途中で奴隷に襲われ行方不明になった。魔獣との交戦中で対応が遅れたと、同行していたルッツという名の騎士が戻り報告した。魔獣が現れたのを好機と狙ったのだろう。隊長を襲い崖下に突き落とした奴隷たちは荷物を担いだまま散り散りに逃げた。第五砦に行くつもりかそのままどこかに落ち延びるつもりか。魔獣蔓延る魔の森で魔族とはいえ混血でさして力も持たぬであろう奴隷たちが、どう逃げどう生き延びるのか。

想像すらできない己の頭をがんと殴りたくなる。思いついたとて役には立たないが。


捜索は第四砦に常駐する騎士の役目だ。不明地点から近い方の砦の騎士が捜索に当たると決められている。遺体の回収と割り切って奴隷を使うこともあるようだが、今回は原因が奴隷なだけに騎士が出るだろう。

救われた身からすればただ遣る瀬ない。


塔への補給任務は王都勤務の騎士にとって最重要任務のひとつだ。塔に常駐する騎士に選ばれてしまえばより危険度が高く自由の少ない生活を余儀なくされるから、補給任務に対して表立った反発はないが、当然命の危険が伴う過酷な任務だ。王都内の犯罪を取り締まる護警団の指揮や王都の出入りの監視は上級貴族出身の騎士が行い、魔獣との戦闘に発展することもある王都外壁の警備やこの補給任務は平民や下級貴族に割り当てられている。もっとも、近年は能力があれば平民であっても王城騎士に登用されるそうだから、そこに入れない時点で高が知れている。


ネッケ家の長男として責務を果たしてきなさい、と嬉しそうに見送った父の後妻は、そのまま大蛇に呑み込まれてしまえば良かったのにと残念がるだろう。より才覚ある異母弟が家を継ぐのに賛成だと伝えた素直な言葉は、伝え方が悪かったのか、五大貴族の遠縁で気位が高い義母には信じられるものではなく、恐らく今回の任務も手を回されたものだ。


報告会など叱責の場だ。足は進まない。なんとか騎士になれたというのに。女々しさに嫌気が差す。

ふと耳に低く祈祷の声が届き、中庭を見る。

「あれは?」

背負い袋に軽装備の六人ほどの騎士の前で聖職者が祈りを捧げている。身分の高い者に対して行う騎士の礼を取った彼らひとりずつの頭に、緑色の髪をした聖職者は手の平を翳していく。最後のひとりまで済むと騎士たちは立ち上がり、もう一度頭を下げた。皆ほっとしたような笑顔だ。

「これから同じ任務に就く者だろうか。だがあれは、司祭か?あのような方。異動してきたのか」


王都の北部駐屯地に併設された施療院は、騎士や警備兵のほか、普段は地域住民の怪我、病気にも対応する。周辺は貧民街のため、医師どころか薬を買う金も持たない。対処できる人数に限りはあるが、王国が貧民に対して行う数少ない施策のひとつだった。

施療院は孤児院代わりの修道院と同じく大聖堂の管轄であり、管理者として司祭か助祭が配置されている。砦への補給任務の折には、聖職者は無事を祈祷してくれる。しかし中庭でひとりずつ加護を与えるとはよほどの方だ。ネッケたちの出発の際には、皆さまの無事を祈っております、という有り難い一言を頂いただけだった。


「新しくこちらに異動になられたペルル司祭よ。先日まで聖女付司教筆頭であられた」

「その様な方が?」

「大怪我を負って任を辞し、こちらに来られたそうよ」

大きな独り言を拾い、答えたのは大柄の騎士だった。小柄なネッケと比べると頭ふたつ分背は高く、全身鎧を纏っているように重そうな肉が覆っている。丸太のような腕というが、振り回しやすそうなそれは金属の棒を思い起こさせた。長めに揃えられた真っ赤な爪先が、血に染まった鉄鋲に見えた。首から上も独特といって良く、髪色は黄味がかった夕陽の赤で、太い眉に長い睫毛、丸みを帯びた目に高い鼻、おまけに分厚い唇まで、ひとつだけも特徴的な部位がずらり並んでいる。


「失礼した。先ほど砦任務より戻ってきたネッケだ」

「御同僚はもうあちらの部屋に入られたみたいよ」

ネッケは騎士に軽く会釈し、報告会の行われる部屋に向かった。足取りは幾分軽く。聖職者の祈りの姿に、自身の思う騎士の姿を重ねていた。




「クソつまんねぇハイキングさせやがって。ようやく王宮に入れて貰えるのか?カミル」

飽きず中庭を眺める大柄な騎士の隣に、ルッツと呼ばれていた男が来た。額をごしごし擦ると垢だか泥だか分からない黒ずみが付いた。手に持ったくたびれたマントでそれを拭う。

お帰りなさい、クンツ。騎士は名を呼ばれ、体格にも風貌にも似合わない優しい声音で挨拶を返す。

「選定の儀、みたいなものよ。騎士とは何か。作法も重要だけど、覚悟を問われる」

クンツは心底うんざりした表情をする。

「野盗と変わりやしねぇ。身ぐるみ剥がないだけマシってもんか」

「声高にいわないの。主はそういうの、嫌いじゃない。ううん。むしろ大好物だけど」

その視線の先には、クンツが砦任務の前まで動向を探っていた聖職者がいた。

「ありゃぁ聖女のイロじゃねぇか。随分すっきりしたなぁ。おい」

十数年前に聖女を暗殺者から庇って付けられた十文字の傷が綺麗さっぱりなくなっていた。同時に、傷によって引き攣られた顔の左半分の歪みも消え、懐の深い壮年の面差しに変わっていた。

「療養を兼ねてこちらに異動されたの」

「兼ねてんのは療養じゃないだろうが」

皮肉げに唇を歪ませるも楽しそうだ。お偉いさんが碌でもない目に遭うのはこれ以上ない娯楽だ。同じ平民出といえど恵まれた人間には薄暗い感情しか抱けない。

田舎出の助祭の息子が、王妃でもある聖女に見初められてお付きの司教になった話など、聞いた時には嫉妬を通り越し、引きずり下ろしを画策する輩に率先して協力したい気分だった。しかししばらく見張っていたが、どうにも色気のある場面には出くわさなかった。偉い女のイロなんてのは他に若いネェちゃんを囲ってるもんだ。あの歳なら複数囲っててもおかしくないのに、むしろ近づこうとする女を遠ざける素振りさえ見えた。おかしな男だ。


修道女が二人、司祭に近づく。髪は隠しているがベールはなく、十代後半もしくは二十そこそこの年頃に見えた。王城で侍女をしている貴族の娘たちのような華やかさはないが、素朴で可愛らしい。出立する騎士たちに笑いながら手を振ると、一人が司祭に杖を差し出した。受け取ろうとして、ふらつき、修道女が慌てて支える。

緑髪の聖職者は杖を突くと寄りかかった。確かに体調は万全でないようだ。もう一人から受け取ったコップを傾け、軽く息をつく。修道女は屈んで司祭の顔を覗き込む。顔色か表情を伺っているのだろう。その近さにたじろぎ、また平衡を崩しそうになる。二人の女性はそれを笑いながら支える。苦笑いを混ぜながら司祭は幾度か頷きかけると片手を上げた。それからゆっくりと杖を突いて、少しだけ距離を取った二人と共に歩き去った。


「なんだぁ、おっさんモテモテじゃねぇか」

辛い人質の日々どころか、年増の聖女から解放されて若い修道女に囲まれるなんざ極楽じゃねぇか。

後ろ姿を睨めつけるクンツに、分厚い唇で説明してやる。

「それが新しい聖女サマも既に手中だと云う噂も出てね。あの傷もあだめいていたけど、寛厚さに漂う男らしさ。ぞくぞくしちゃう」

赤い爪の目立つ手を頬に遣り、一層低く呟いたカミル・ヴェンツは、目を細め首を傾けた。



・・・・・・・・・・・・・・・



灰色の髪を持った少年は、日のあるうちは目立つだろうと夜を待って王城に忍び込んだ。今の王都は全体的に警備が薄い。魔の森に最も近い北部駐屯地の人員は割いていないが、他の三つ、南、南東、南西の各駐屯地から相当数の騎士と兵士が王都外の任務に就いていた。

新しい聖女が封印の聖女の末裔、王国を興したレイグノースの血を引く者だという噂はすでに王国の広い範囲に伝わっている。聖女選定の儀が終わったのはたったの十日前。王都から南の国境沿いの村までは馬でも一ヶ月以上掛かるが、情報伝達だけなら魔導具や鳥など手立てはある。当然、重要度の高い情報にしか使われない手段だ。


レイグノースの血を引く、青い目、白髪の聖女。見目も封印の聖女そのものだという少女が現れた。

現在の体制に叛意を抱く者にとって、どれほど魅力的な存在か。その少女を引き入れることができれば、それだけで大義名分になる。アルムスターに簒奪された王位をレイグノースに取り戻すという大義名分が。少女に能力は必要ない。旗印は手中にあればよい。

先手を打ち、王城騎士団までも魔獣討伐の名分のもと王国中に展開している。ただ、王国随一の騎士、ギュンター騎士団長も自領に戻り王城を不在にしている。各領で起きる反乱は速やかに押さえられるだろうが、これでは王都のみならず王家の居城である王宮も手薄ということだ。平衡を欠いた采配に首を傾げる。

好きに入れと云わんばかりの状況で王城どころか王宮内にある離宮にも簡単に侵入できた。もう少し手応えが欲しい茶色の瞳をした少年の心を読んだのか、相手が現れた。



離宮を囲う林は細い針葉樹だ。乗れるほどの枝はなく、体を隠すほどの太さの幹もない。せいぜいが、おっと、投げナイフの盾に使うくらい。背後に回った木にココっと二本突き刺さる音がした。

ふむ。荷物があるから手こずりそうだ。置いていくとシスターに叱られるし。詰めるか、と覗かせたボリスの茶色い目を狙ってナイフが飛んでくる。すれすれで首を動かす。後ろの木に刺さる小気味よい音がほかに誰もいない林で鳴る。

体力は残しておきたかったが、王宮入りしてすぐにこれほどの相手に会えるとは。位置と動きを悟られないよう自らの魔力は押さえるが、刃には乗せる。確かな射線と冷ややかな魔力はこちらの動きを妨げる。

さすが王族の飼う影は鍛えられているな。しばらく師匠とも先生とも手合わせできてなかったし、と口角が上がる。


ぴりっと背筋が痺れる感覚とともに、足に纏った強化魔法の強度を上げる。気持ちと命が張る瞬間。

微かに息を詰める気配に、横に飛び出し、木を蹴って宙に。相手の投げナイフを魔法で逸らし、背後に着地。振り向きざま突き出されたナイフを、着地した勢いのまま片手をついてしゃがみ避け、足を払う。飛び避けた足に向け、もう片方の足で薙ぐ。想定より深く入る足、浅く避けた足。軽く引っかかり、二人ともがバランスを崩す。

側方に一回転、両手で跳ね上がりすぐに起き上がる。だが、受けの姿勢が整う前に首を刈る蹴りが飛んでくる。咄嗟に肩を上げひねる。右肩から斜めに背負った荷物の包みで受ける形になる。運が良ければ。

固い衝撃を回転でいなし、次の動作へ。相手の尻餅の音がずでんと響く中背後を取る。ふぃい。助かった。

「いったぁ。それはズルでしょーー」

僕も卑怯かなとは思う。でも文句はあとか、あの世で聞くと決めている。細い首筋にひたと短刀を当てる。

相手は両手を挙げた。降参の意志表示。

「エタ様への届け物かなーー。まぁたとんでもないもの持ってきたねー」


新しい聖女の名は広まっていない。見目ほどの重要さはないから。でも僕は知っている。エタというその名を。

地味な灰色の髪、どこにでもいる茶色の瞳。オンボロ修道院育ちの、オンボロ襤褸を着た少女。襤褸から伸びた手足は細長く、穴が開いて肌が多少見えようが、隠す必要のない痩せた身体。魔力だけはやたら強く、無意識で強化魔法を使い、人間なのに魔族の血の混じる仲間よりも速く魔の森を駆けた。

僕の大事な姉で、僕らの大事な方。見目が多少変わろうとも。

あの方を守りなさいと、僕は育てられたから、王城なんて来させたくなかった。反抗したって叶わないのは分かっていたけど。誰もが諸手を挙げるなんて思って欲しくない。危険に笑顔で送り出せるほど僕は大人じゃない。


「味方、かな?」

声音に潜む親愛は演技ではなさそうだ。命を握られて動じないのも仲間だと確信しているから。それでも。まだ何かあるかもしれない。脇の甘い姉の代わりに見定めるつもりだった。

女性は何も言わず、肩下まで挙げた両手をもっと上に伸ばし、ひらひらと振った。

馴染み深い色に塗られた爪を見て後悔した。抱いた敵意に。短刀を当てた行為に。

すぐに得物をしまい、正面に回る。

彼女の頬に手を当て顔を見る。出会えた喜びに木の実の丸になった目、愛をささやく寸前の僅かに隙間ある唇。恥じらいに上気した頬はそよ風に冷まされず僕の手まで暖める。

師匠はどうして僕の好みが分かったんだろう。でも、聞いていたよりも。もっともっと。

愛しい人の——僕の——手に重ねた手が動く前に。

僕は彼女を抱きしめた。

「僕の伴侶になってください」

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