<20> 二人の聖女

「パウラ様、ご機嫌麗しゅう御座います。あ、先ほど目覚められ。あぁ、気配で分かりました?そりゃぁそうですよねぇ。えげつないですから。一寸の悪意で昏倒させてますよ。ばったばった。それでですね。結界を張ったはいいが解けなくなりまして。え?一発殴れば解ける?それ、私の命と引き換えですよ。たぶん。えぇ。外部から干渉して下さるんですか。呼応させれば。なるほど。では」


ロナは懐から取り出した小さな魔導具に魔力を通した。遠方の仲間に連絡を取るための魔導具だ。前聖女である王妃パウラ様や騎士団長ほどの魔力があれば魔導具など無しに思い浮かべた相手に意識を送ることもできるらしい。


「足が痺れた」

「ダマらっしゃい。何で開き直ると魔法の使い方まで忘れるのですか。意味が分からない」

「だから、記憶と力が連動してるんだって。というか、あれ?」

「まだ何かあるってぇの?」

「段々と粗雑だなぁ。あのね、全部思い出してないんだ」


折り畳んだ足の上にお尻を乗せ、絨毯に座らされた。こんな体罰で使える様になるなら苦労しない。痺れた足をゆっくり動かして伸ばした。

「うぅう。まだ立てそうもない。誰かに襲われたらどうすんのさ」

「眠りながら何人も昏倒させた人の云うことですか。で、思い出してない、とは?」


ぺたりと横に座り、潤沢な魔力の為か以前よりも張りの増したこちらの足を摩りながら顔を覗き込んできた。その顔は人間と全く変わらない。修道院にいるチビたちの方が魔族然としている。今となっては違えようもなく、彼女は純血の魔族なのだが。


「・・・ロナはどうやって潜り込んでるのって聞いたのに」

「あぁお答えしていませんでしたか。私、外見上は人間とほとんど変わりなくて。背中に羽があるんですが、畳んで気配と共にパウラ様に<隠蔽>を。炎での魔族チェックなんて幾らでも誤魔化し様がありますし」

炎自体の色を変える、使用する針に細工をする、検査官に簡単な催眠を掛けるなどなど。


「王城には魔族が入られない様に<防壁>が張ってあるはず」

「それについては既に見当が付いてらっしゃるでしょう?」

城壁に張られているという防御結界。常設の結界は魔法ではなく呪法或いは呪術と呼ばれ、元来、魔族の技術だ。つまり魔族が魔族を排除する為に結界を張ったということになる。

技術を奪って人間だけで城を造ったとは考えられない。王城は魔王封印より五十年も前に建てられたからだ。当時の魔族は一人で普通の人間百人以上の力を持っていた。魔力も膂力も。思いのまま操るなどそれこそ呪法の得意分野だし、他者と協力するのを苦手とする魔族でも、仲間が無理矢理人間の言いなりに為れているのなら救おうとしただろう。

だから。


「人間側、正しくはレイグノース一族の側に付いた魔族、それも高位の魔族がいた。そいつが呪法を駆使し、この王城を造った。他の魔族の侵入は許したくはないが、自分は出入り自由にしていたはずだ」

「彼もしくは彼女は初代レイグノース王の最側近として正門から堂々と出入りしていた。だから、正門には結界が張られていない、と伝えられています」

実際その通りだったが、南門以外も純粋魔族でなければ幾らでも出入りできる。純粋魔族がすでに殆ど存在しない王国には無用の長物だ。ロナが一緒に馬車に乗れなかった程度の。


「ではこちらの質問にも」

「あぁ、そのまま。全部思い出せていない。魔王封印の後は、この世を去る瞬間まで飛んでる。薄暗い塔の一室に閉じ込められて、首、両手、両足に色んな魔導具とか枷とか付けられてたのは分かったんだけど」

ロナは摩っていた足を叩いた。痺れはもう取れていて、ぺちぺち軽く鳴った。その手を足首でくるりと回す。ちらりこちらを向くから肩を竦めながら頷くと、焦茶色の魔族は鼻から溜息を出してがっくり項垂れた。


「『勇者と聖女の物語』って何でしょうね」

「プロパガンダだろ」

「や、そうなんですけど。そうなんですけどね」

左手で額を押さえると今度は口から大きく溜息を吐いた。息と同時に体の力も抜け、痺れが取れた足に体重を乗せてくる。かと思うと、すっくと立ち上がり握りこぶしを天井に突き上げた。

「えーい、落ち込んでも仕方ない。まずは魔法です」

「ロナが落ち込むことでもないけど。でも、まぁ」

伸ばした足を引っ込めて胡座をかく。余所を向いたまま小さく、ありがと、と言った。見下ろすロナが嬉しそうなのも、自分の顔に熱が集まるのも分かった。話題を逸らす。


「そうそう、魔法魔法。昔はさぁ、こうズバッと手を振ると」

振り向いて横一線。手刀で薙ぐ。

空間に線が走った。風の刃が見える物すべて真っ二つにしていた。

天蓋付きベッドの柱が四本、斜め向きに切れてバランスを崩した天蓋がベッドの上に落ちてきた。その横の鏡台は鏡が半分落とされ、鋭利な凶器と化した。クローゼットの持ち手が中途半端な形に切り取られていた。窓際のカーテンは、束ねていたタッセルに自重を預け二つに折れてぶら下がる。残された部分だけが上方で開いていく。


「・・・魔獣をなぎ倒して、デスね」

「・・・デス」



・・・・・・・・・・・・・・・



「あらそう。目覚められたのね。私に代わる聖女様が」

茶色の短髪、灰色の目は並の細さ、唇は色も厚みも少し薄め。凡庸を絵に描いた外見を持つ騎士は手短に要件を伝えた。前聖女である王妃パウラは挨拶もない非礼を咎めもせずに応じる。

「パウラ様には離宮に移られます様、殿下より指示を承っております」

淡々と次の言葉を繋ぐ騎士はすぐ側に立っているのに姿形が朧げだ。印象に膜が張っている。騎士服には所属を示す襟章が確かに付いているのにその色は判然としない。

実際、彼をここまで案内した聖堂騎士は、あんな奴第三騎士団にいたかなと首を傾げ、大聖堂前ですれ違った警備兵はあんな方聖堂騎士にいらっしゃったかなと考え込んだ。


「陛下は何と?」

「殿下の云う通りに、との事です」

事後報告で済ます癖にそれらしいことを宣う騎士が可笑しくなり、パウラはつい余計な口を挟む。

「零の子ね?・・・あら、返事しないのは肯定よ。零って何?って訊かなきゃ」

虜囚として扱って良いとまで主に命じられた相手に揶揄われたにも関わらず、騎士は顔色を変えない。だが、魔力が少し揺れ、存在の希薄さが薄れた。


「離宮に行く前にあの子の処に寄って良いかしら。・・・許可を求めている訳じゃないのよ。あ、ほら、来た来た」

王宮警備を担当する第一騎士団の襟章を付けた騎士がノックと共に入室してきた。扉外には昼夜問わず騎士が詰め、食事の世話などの際も、中にいるパウラではなく見張りの騎士に入室許可を取る。大聖堂にて主の一人が軟禁された状況であるが、大司教の計らいもあり、表立っての騒ぎには発展していない。何よりパウラが騒がないので周囲は静観するしかない。隣国の元王女であり、王妃であるパウラが侍女も世話役の修道女も付けられず、一人部屋にいる事に胸を痛めようとも。


「新聖女エタ様がお部屋に籠もったまま出てこられなくなりました。扉は魔法で固く閉ざされ、誰も開けることができません。中の声や音も聞こえず、安否の確認もできない状況です。部屋が閉ざされる前に侍女が一人中に入り込んでおりまして、この侍女がエタ様を害しているのではないかと心配する声も上がっております」

「ね?」


朧気な騎士に視線を送ると、やっと苦々しい顔をしてくれた。

「氷の仮面はもう被らなくても宜しいのですか」

「貴方たちのお陰で必要なくなったわ」

「その顔を拝見できないのは残念でしょう」

「だから。取り繕う必要がなくなったわけ。まぁ、でも。あの子には一寸厳しくいこうかしらね」

薄青の瞳はすでに目前の騎士から離れ、より遠くを見る。唇も目も。笑んでいるかのように緩むが、それは一層寒さを増す冬晴れの日に似ていた。氷は零度からさらに温度を下げていく。



・・・・・・・・・・・・・・・



扉を幾ら叩こうがびくともしない。中の音は聞こえず、だが上階から伝わる振動が、室内で何か起きていることを示していた。

ずずん、ずずんと突き上げる揺れに、真上の部屋で業務についていた、この区域の筆頭侍女は腰を抜かした。花瓶が倒れ割れ破片が散らばり、絵画は座り込む横に落ちる。這いつくばりながら部屋の外に出、すぐに下で何が起きているか確認しておいでと、目を丸くしながらも笑いを堪える侍女たちに向かって喚いた。



「・・・とにかく中を確認しないと」

「・・・例の新聖女の部屋よね?」

「・・・ワゴンが通れない」

騎士と侍女と使用人が扉を中心に輪を描く。

交代で扉に相対し、体当たりや魔法を行使する騎士たち。遠巻きに見守り、心配している様な顔で噂話に興じる侍女たち。廊下にたむろする者たちのために仕事の遅れを非難されるのはかなわないと迷惑がる使用人たちも、常と違う様子に高揚していた。

突き上げられる振動で部屋が荒らされたと報告した侍女は、原因であるはずの部屋の側に来ると揺れが少なくなったことを不思議がった。


「あれは、騎士団長代理閣下、と、王妃陛下!」

廊下の向こう側から濃紺のマントを羽織った騎士を先頭に、騎士の一団と王妃陛下が歩いてくる。武装した騎士たちに取り囲まれ、護送されているようにも見える王妃は、瞳と同じ薄青を基調としたロングドレスを着ている。貴族の娘の間で人気のある布地を多く使ったドレスではなく、ほっそりとした体の線に沿いながらも、重ねられた飾り布が肉感を隠している。腰から足首まで真っ直ぐに落ちるスカートが、歩く動きにも静謐さを生み出し、前聖女の清楚さを浮き立たせる。

扉に取り付いていた騎士は飛び退き、片膝を付く。周囲の侍女と使用人たちも諸膝を付き頭を下げた。


王妃と王太子の仲が良くないことは周知であり、王太子を主とするこの区域に王妃が足を運ぶことなど無い。しかも先導しているのはカディス・ディストロ騎士団長代理だ。次期ディストロ家当主であるカディス・ディストロは城内警備担当の第三騎士団長だが、ギュンター騎士団長不在の今、騎士団長代理を拝命している。

つまり、新聖女が部屋から出てこられないのは、それ程の事態だということだった。



「お前たちは下がれ」

「はっ」

扉周りにいた騎士たちはすぐに侍女や使用人たちを追い立てながら立ち去った。カディスと共に来た騎士たちが、周辺の立ち入りを禁じる為に廊下の先の方で仁王立ちになる。数人はすでに来た方で立ち塞がっている。

「大仰なことね」

「怪しい行動を取られれば斬り捨てねばなりませんからな」

「皆、然程興味は無いでしょう?」

「国というものの体面をお考え下さい」

衆目の中で正妃を斬り捨てるわけにもいかない、故に人払いする。だが、体面も何も斬り捨てられるのならば気にする必要など無い。魂が彼岸に渡った瞬間から肉体は腐り落ちていくだけの塵だ。屍を何に使おうが知ったことではない。

そもそも此処を国だと信じて疑わない愚か者たちに遅れを取るなら、すでにこの世にいない。祖国を出ることもできずに散っていただろう。

王妃パウラはゆっくり二度首を振った。まずは<叡智>の聖女が育て上げたあの方だ。



右手の手袋を外す。指先まできちんと入る注文品だが、もう手には入らないだろう。

「侍女を連れていないとこういう時に不便」

ドレスには挟む隙間すらない。ちらりと後ろを伺っても腕組みでこちらを威圧する五大貴族次期当主がいるだけだ。十八九のはずだが兄と異なり厳めしい。

あぁやだやだ。

手袋を左手に持つと、右手で扉に触れる。五本の指先だけで軽く。手の平は丸く、扉との間に魔力を溜める。

「中途半端な<隔絶>ね。上は保護しているけど隙間は無いから振動が響く」

気配が変わったのは分かったのか、先ほどまでの振動は収まっている。

パウラはそのままの姿勢で中に呼びかけた。


「エタ様。今から室内に魔力を送りますので、攻撃せずに吸収してください。敵意と見なせば王宮の三分の一ほどが吹っ飛びますし、吸収できなければ一緒にいる侍女がもちません。宜しいですね」

「おい、お前何を言ってるんだっ」

後ろでがなるカディス・ディストロ騎士団長代理を無視して、パウラは冷ややかに数字を告げる。

「三二一」

どんっ。

勢いを付け扉を叩いた。周囲の騎士が見たのはただそれだけだった。

会話の間に扉から手を離していたが、間に濃密な魔力があった事に誰も気付いていなかった。過日聖女付司教を助けた時よりもいっそ濃い魔力に、パウラは自分もまだまだ青いと少しだけ反省した。

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