<17> 白髪の聖女候補

その娘は王国上層部ではよく知られていた。

といっても、顔はおろか名前すら皆知らない。ただ、あの灰色——シスター・グレイと呼ばれる百五十年以上前から生きる魔族——が引き取り育てた人間の娘という事だけだ。


あの修道院は灰色が、『大人しくしている代わりに』要求したという。自らの子と孤児を育てるためだと。修道院に移ってからも、当時は若く美しい灰色の元に通う貴族が幾人も居たとか。壮年になり美貌が衰えると今度は、手出し無用の存在である彼女に、表に出せない我が子を預ける者が後から後から現れた。記録に残るだけで数百人。実際は十倍以上だろう。ほとんどが魔族混じりだが、かつては純粋な人間の子どももいた。ただ、人間の子どもは弱く、劣悪な環境下では成人どころか赤子の域から出るのさえ難しかった。二十年ほど前に魔族に対する取り締まりが強化され、人びとの差別意識が酷くなると、人間の子どもが預けられること自体がなくなった。

だから、修道院の庭先で遊ぶ首筋に焼印のない二三歳の女児を見張りが見つけた時の衝撃は大きかった。門は常時五大貴族の手の者が交代で見張っているというのに、報告にない人間の子どもがいたのだから。監視をくぐり抜けの娘を灰色に預けた者が誰かは未だ判明していない。余程の力の持ち主か、或いは。



少女は十歳くらいの頃から街に出るようになった。貧民の多い区域と庶民区域の間にある市場で魔石を売ったり、薬草や生活品を買ったりする姿を監視が報告している。

美しくとも何ともない、ただの貧しい格好の娘だが、女というだけで売り物になる。灰色は何故少女を一人で街に出すのか。邪魔者だから体よく追い払いたいのか。

カロッサ大司教が酒席で溢していた。

薄い灰色の髪、茶色い瞳、細い手足と凹凸のない身体付き。つい最近、すでに十四五にも関わらず、買い手の付かなさそうな容姿を伝え聞いた。だが平凡な少女でも上手く育てて売るのが賢い人買いだ。元手がタダなら少しくらい手間を掛けようもの。

しかし少女は人買いに捕まることはなかった。魔族奴隷の印がある弟分が外に出て、連れて行かれそうになった時も、少女が上手く助け出していたくらいだ。


何かある。

そんなことは自明だった。あの灰色が、引き取って育てた人間の子ども。

隠すつもりがあるのか無いのか。庭先で遊ばせ、市場に行かせる。

少女が、遣りたいように遣らせる。

次は?

決まってる。

少女が、成りたい者に成らせる。




聖女選定の儀は、一年以上前から準備が進められてきた。

王太子が提案し、王、現在の聖女である王妃も了承した。幾度かあった提案を一蹴してきた王妃が今回は了承したから、動きがあるとは踏んでいた。

しかしこの『公募』というのは何と魅力的な仕組みだろう。街中に看板を出しておけば、馬鹿正直に信じてくれるわけだ。公明正大に遍く国中から庶民を対象に聖女を選んだんだ。って。

そんなわけないだろう。<封印の聖女>に向いた、魔力は高いが惜しくない娘などそうそういない。予め目を付けていた者が居るに決まってる。事前の魔力審査と生い立ちから、奴隷商の娘が選ばれる目算となっていた。勿論候補者と選定人には秘されていたが。

だからこそ安心して僕の欲した彼女も潜り込ませられたんだし、不埒な動きも察知できた。

まあ残りは数合わせで本当に街中から連れてきたみたいだけど。九割九分、力のある者が看板を見て遣って来るなんて思わない。しかもそれが本物だなんて。


候補者を連れてきた聖職者のみが選定役になれるから、候補者が二人程度に絞られるまで関われない聖女サマとしては、腹心であるペルルくんを使うしかない。だから人畜無害の存在には過分の見張りを付けていた。

聖女のお付きがあの区域に看板を立ててから一ヶ月。他の候補者が揃っても鷹揚に構えていた。聖女候補になりたいだけの足りない者を何人面接しても、ペルルくんは少しも焦らない。そういう処はあのふたり、以心伝心というか通じ合っている。適当に理由を付けて引き延ばせるだけ引き延ばそうとしていたのか、無理なら中止にさせる心づもりだったか。

とにかく、少女は来た。


見窄らしいなり、貧相な体つき、平凡な顔の少女。

あの、娘だ。

修道院の門を出た時はいつもと同じだった。それが商業ギルドを出る時にはどうなっていた?何故、見目がそこまで変わる?

ペルルくんにはそんな力はないはず。隠していた?いや。では聖女のお付き或いは魔導具。

確かめなくてはいけない。


その機会はすぐに来た。

選定の儀は説明の文言から遣ることまで大司教の了承の元、執り行う。ペルルくんが勝手にやってる訳じゃない。だが、勝手に動く聖職者や勝手に動く聖女候補者に関しては——責任者とはいえ——彼の責任じゃない。

監視の魔導具越しに見た青い炎。あんなもの、ただの人間の業であるはずがない。

祈りの姿勢で笑い出した僕を、周りで仕事していた騎士や侍従たちが怖々見守る。

美しい。なんと美しい破滅の色。すべてを焼き尽くし、地上をただの野に。命は海と地下にひっそりと残るだけで良い。やがてまた地上に戻る日まで、平らな野が広がっていれば、その方が余程美しい。




僕の大切な女性に挨拶をしに行けば、大聖堂前で立ちん坊の少女に出くわした。一緒にいるのは知ってたけど、どういう状況だよ。また笑いそうになったのを必死で堪えた。

凄い凄い。僕の全力で敵うかなぁ、この魔力。表面に溜まって今にも暴発しそうな魔力を適当に吸い出して雷撃に変えた。普通なら跡形も残らないって分からないだろうな。

ついでのように彼女に声を掛ければ、驚愕のお手本で応えてくれた。やはり素直な娘は良い。それでいて芯の強い、なんと理想の母親像か。

討伐後に立ち寄った街で、魔族混じりの魔力の残滓を追いかけて、偶然見つけた彼女。領主の娘として魔獣に対峙する凜とした立ち居が気に入った。正妻よりも愛した女性が殺された父親に復讐の機会をあげれば、その忘れ形見である娘をすぐに生贄に差し出してきた。正気を失っていたといえば鬼の所業を許されるとでも思ったか。

自らの出自も父親の過ちも飲み込んで彼女は捨て石になることを選んだ。美しく愚かしい覚悟。大丈夫。これは罠だが罠なだけではない。




倒れた少女を抱き抱えた。連れ去るつもりはなかった。でも触れて理解してしまった。これでも封じられている。あれは、この僕が敵わないかもと考えた魔力は、外れ掛けの封から漏れ出た、本人からすればごく僅かな量の魔力だった。

あぁ何だ。何かある処じゃない。見目がどうこうの話じゃない。封印の聖女そのもの。背筋に走る高揚に似た悪寒。子どもの時に初めて氷の聖女サマと会った時以来の感覚。

執務室の人払いをしたのは思案するためだ。或いは始末するための。今ならまだ。

僕を、僕らをこんな風にしたのは結局はあのお姫様に遡る。だから正当な報復だ。同じ姿で同じ力を持つ者の再来を祝える訳がない。

目覚めた少女が悲鳴のひとつでも上げれば、斬り捨てるつもりだった。可能か不可能かは置いといて。けれど大した胆力だ。気が変わった。さっさと取り戻させよう。

少女の封は二重に体を覆っていた。外側の厚い殻はすでに至る所が透けていた。中で最も薄くなった部分。頭頂部に僕の魔力を干渉させた。掌や指先では微妙な加減が難しい。頭頂に触れた唇から静かに魔力を流し込む。内側の封、柔らかい薄皮にも幾らかは影響するだろう。こちらは魔法ではない呪法で作られた封印だ。

灰色が本気でこの少女を護ってきたのが分かる。外敵からも内側に潜む少女自身からも。

あの魔族が潮目と見たなら、僕の望む終焉は訪う。生を得た瞬間に決定づけられた刻限。呪いは遠からず成就される。


その前に。あぁ憎い憎いあの血の流れる彼女を。

どのように愛すればどのように可愛がればどのように嬲ればどのように甚振ればどのように悦んでどのように溺れてどのように泣いてどのように喚いてどのように壊れてくれるだろう。

あぁあぁ。考えるだけで、達しそうになる。




・・・・・・・・・・・・・・・




「失礼するよ」

先触れどころかノックもせず、大聖堂の自室で休む聖女の元に銀髪の騎士団長が訪れた。騎士三人を伴う。聖女は着替えもせずに転がっていたベッドから起きると、頬に手を遣り、小首を傾げた。

「新人ね」

「君たちの同調者が動かない様こちらを使えとの御達しでね」

「そんなものどこにいるのかしら」

「自覚なしは質が悪い。君たち人気者だからねぇ。ふたりとも」

碧眼が緩む。

聖女は起き上がるとケープを羽織りアルベルト・ギュンター騎士団長の近くまで来る。お互いの手を伸ばせば届く程度の距離だ。


「君は新しい聖女の目覚めを祈って、ここに篭る」

「それは軟禁というわね」

「テオ・ディストロ司教が自分の候補者レギーナを使い、聖女の有力候補であるエタ様を殺害しようとした。実際に死地に陥ったのはペルル司教だったが。ディストロ司教と協力者のデリウズ司祭は確保してある。司祭が、黒幕は君であることを吐いた。混乱を避ける為に新聖女が目覚めるまでここにいてもらう。後は離宮で世を儚む、とかかな」

「綺麗な筋書きね」

「でまぁ、僕の主義じゃないんだけど、念のため彼の身柄は預かるよ」

聖女は騎士団長をじっと見る。よく似た銀色を頭に乗せたふたりの碧と薄青が交錯する。髪の長い方が溜息を零すと首を左右に振った。ゆっくりと大きな仕草で。

「昔は可愛かったのに。ママンの後ろでモジモジして」

「昔の話はするな」

ふたりの間で火花が散る。喩えではなく、ぶつかり合う魔力が暴走し、微小な火や雷や氷となり弾ける。

珍しく表情を変えた騎士団長とこちらも珍しく氷に微笑を湛えた聖女。先に目線を逸らしたのは騎士団長だった。


「丁重に扱うことね。手綱は、切れ目のひとつでも入れば用を為さない」

「それも楽しそうだけど、おっと」

「あ、あ」

アルベルトの後ろに立つ騎士二人が瞠目する。彼らの間に立っていた騎士が黒焦げになって倒れた。音も臭いもさせず。煙の一つも立てずにそこに横たわる炭の固まりは、燃え残った剣とナイフ、ベルトといった装飾品から今の今まで騎士だった者だと分かる。が、存在の証明となるのはそれだけだった。

「不用意に動いたとはいえ、容赦ないね」

袖口のナイフを手に移すための予備動作。消炭が行ったのはその程度だ。

「何十人も無辜の民を殺めてきた汚れの匂いがしたから。・・・この程度で表情を変えるの、教育が足りないわね。私に預けるか、交代させることを提案するわ」

騎士団長は肩を竦める。手の平を炭の上に翳すとやはり音もなく青炎が包み、装飾品も含めて跡形もなくなった。

「誰がための聖女、か」

「私は神様に遣わされた聖女ではないから、私の意志により御力を使うのみ」

「取り敢えずはこちらで大人しくしていただけるのかな?」

聖女は問いには答えなかった。ただ鳥の鳴き真似の様な音だけが静かな部屋に響いた。

「まぁいいだろう。適宜取り計らうよ。ただ、僕も休暇に入るから」

そして騎士団長も鳥の鳴き真似で応じる。

「では私は祈祷の為に身を清め、聖衣を替えなくてはなりません。殿方はご遠慮願えますか?」

扉に近い騎士たちはこれ幸いと後退り、すでにそちらに背を向けた聖女を一瞥した騎士団長も静かに立ち去った。扉が閉まると、聖女は立ったまま祈りの姿で気配を探り、誰よりも大切に思うその人に向かって頭を垂れた。


「どうか、ご無事で」



・・・・・・・・・・・・・・・




自らの代わりに刺されたペルル司教を助けた聖女候補エタは、すでに他の候補者が辞退、前後不覚、或いは死亡していたため、聖女候補の最後の一人となった。

ただ、仄かに白く光る魔力を纏ったまま深い眠りについていた。

騎士団区域の救護室に移されたペルル司教と異なり、エタは王家紋章入りの馬車で王宮内廷、王太子区域の客室に移された。

眠る聖女候補の側には世話係の侍女が控えていた。王太子の許可を取ったハロル・ギレス司祭が挨拶の後、エタの側に寄る。侍女は程よい距離を取った。


「馬鹿正直に『聖女は神様の教えの体現者』と宣う痩せた小娘が何程と思っておりましたこと、深くお詫び致します。さすがあの方の連れて来られた娘」


侍女の頭では理解できないと踏んで、眠る少女に神聖語で話し掛けた。

ギレスの頭の中では、昨日の様に思い出される。使い勝手の良い平民出の司教と陰口を叩かれる上司の、主である聖女に対する言葉が。


『・・・であるなら、私は貴女様の元を去らねばなりません』


神聖語を解する者が他にいないと油断した二人の会話の一部が、耳に飛び込んだ。ごく微少に怒りの感情を含み、言い切った科白。聖典解釈の議論に白熱する様を何度も見聞きした身で、少しでも近づければと神聖語を学んだ自分には、それが信条と覚悟に関するものだと分かった。


思い違いをしていた。

聖女は身を挺して自らを守った男を、深い傷を負い一年眠ったその男を、恩義で司教に推した訳ではなかった。彼が生まれながらの聖職者であるから相応しい地位に就けたまでのこと。

あるいは本来の立ち位置は逆であるのではないか。

だが確証は得られず、ふたりを観察する機会は失われることとなった。

では次は誰を観察する?

その為に裏切り者と誹られようとも。私は神様の存在を確かめる為、聖者に近づく。


ギレスはもう一度静かに頭を下げた。

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